第130話「ポール・サイモンの ONE-TRICK PONY ⑲「Long, Long Day」
前回はコチラ
2019年9月19日
スナックふかよみ
ポール・サイモンは、本当に愛していたのね…
彼女のことを…
さて、ようやくここまで辿り着いたわ。
次は最後の曲『Long, Long Day』…
本当に今日は長い日(笑)
それでは簡潔に行きましょう…
アルバム『ワン・トリック・ポニー』の最後を飾る10曲目『ロング・ロング・デイ』を、深読みします…
Paul Simon『Long, Long Day』
いい曲…
日暮れ時とか、眠りにつく前とかに聴いたら、たまんないかも…
ポール・サイモンにとってもお気に入りの曲だったらしく、セサミ・ストリートに出演した時にも歌っています…
映画『ワン・トリック・ポニー』の中でも、この曲は二度歌われる。
クラブでお客さんを前にした演奏と、レコード会社で売れっ子プロデューサーに聞かせるため。
ポール・サイモン演じる主人公ジョナは、ルー・リード演じるプロデューサーの前で、『エース・イン・ザ・ホール』に続けて、この曲を歌うんだ。
大事な曲ってことですね。アルバムのラストに持ってくるだけあって。
歌詞はこんな感じ。とってもシンプルよ。
確かに簡単な英語だわ。1番なんて一瞬で訳せる。
長い長い一日だった…
歩き疲れて足はボロボロ…
今夜泊まれる宿はない…
だからどんなにみすぼらしい場所でも構わない…
本当に長い一日だった…
ん?
どうしました?
この出だし…
何だか、既視感がある…
既視感?
『怒りの葡萄』じゃない?
冒頭シーンでヘンリー・フォンダが似たようなこと言ってたじゃん。
そうそう!これこれ!
確かに同じだ…
ということは『ロング・ロング・デイ』も…
その通り。
この曲は、イエスの長い一日の終わりを歌ったもの…
十字架の上のイエスになった気分で歌われたものなんだ。
イエスは前の日から一睡もしていませんからね…
最後の晩餐のあとは夜通しオリーブ山で祈りを捧げ…
未明に逮捕されて、そのまま早朝から取り調べが行われました…
つまり「歩き疲れて足がボロボロ」というのは…
重い十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ(苦難の道)」のこと…
『ゴルゴダの丘への道を歩むキリスト』
フアン・デ・バルデス・レアル
じゃあ「今夜泊まれる宿はない。だからどんなにみすぼらしい場所でも構わない」ってのも…
ゴルゴダの丘のすぐ近くにあった「石の洞穴」のことだ。
『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ
この曲は簡単ね。
それじゃあ次に2番を見てみましょ…
I sure been on this road
Done nearly fourteen years
来た。お約束の「ロード」だ。
ここでは「主」の「Lord」ではなく、イエスが背負った「重荷」の「load」だろうね。
だから、
I sure been on this load
まったくもって僕はこの十字架の上にいて
という意味になる。
でも「14年近くになった」は変じゃない?
ここは「年」じゃなくて「時」に置き換える
だから、
Done nearly fourteen o'clock
14時近くになった
ということ。
イエスが絶命したのは午後3時過ぎ…
つまりその約1時間前ということですね…
そういうことだ。
そしてポール・サイモンはこう続ける…
Can't say my names well known
You don't see my face in Rolling Stone
But I sure been on this road
僕の名前はまだ有名とは言えない
君がローリング・ストーン誌の中で
僕の顔を見ることはないだろう
だけど僕は確かに十字架の上にいる
イエスが十字架に掛けられた時は、まだローマ帝国ユダヤ属州の中だけでしか名前が知られていなかった…
世界的な有名人になるのは、もっと後のこと…
だけどなぜローリング・ストーン誌なのかしら?
音楽雑誌は他にもたくさんあるのに…
簡単だよ。
「ROLLING STONE」の中では、僕の顔を見ることはないだろう…
つまり「転がる石」の中では…
あっ!
こ、これのこと!?
イエスの墓となった石窟の入口は「丸い石」で塞がれていた…
しかし埋葬から三日目の朝、マグダラのマリアが「転がされた石」を発見…
中にあるはずのイエスの遺体が消えていたので、マリアは墓の前で泣いていた…
すると背後から声が聴こえ、振り向くと、そこには復活したイエスがいた…
だから、
君がローリング・ストーンの中で
僕の顔を見ることはないだろう
どんだけ?
キレッキレよね、ポール・サイモン…
そしてCメロも…
Slow motion
Half a dollar bill
Jukebox in the corner
Shooting to kill
スローモーションはわかる。だって意識が朦朧としていたんだもんね…
だけどその次の「Half a dollar bill」は、どういうこと?
ジュークボックスで使う50セント玉のことなら「半分の1ドル札」って言い方は変じゃない?
別に変じゃないよ。
まさにポール・サイモンは「半分の1ドル札」のことを歌っているんだから。
教官、どういうことですか?
「半分の1ドル札」の裏面は…
こうなっている…
げえっ!
絶句…
ピラミッドの頂点にある目は「プロビデンスの目」…
プロビデンスとは「キリスト教の摂理」という意味で、目は「神の全能の目」を意味している。
それが三角形の中に描かれるのは、キリスト教の教義「三位一体」を象徴しているからだ。
そして中央には「IN GOD」の文字…
つまりポール・サイモンが「Half a dollar bill」という言い方をしたのは…
「神はすべてを見ている」
つまり…
「十字架上でイエスが呼びかけても何の返事もなかったが、父なる神は息子を見捨てたわけではなく、天からしっかりと見ていた」
ということ…
だね。
ちなみに2つのラテン語のモットーについてですが…
1つは「ANNUIT COEPTIS」アンヌイト・コエプティス…
「神は我々の取り組みを支持している」という意味で…
もう1つ「NOVUS ORDO SECLORUM」ノヴス・オルド・セクロールムは…
「来たるべきキリストの世紀の新秩序」という意味です…
「半分の1ドル札」おそるべし…
「ジュークボックス・オン・ザ・コーナー」は、イエスの墓となった石の洞窟のことね…
「大きな丸い石」を「レコード盤」に例えているんだわ…
確かに、クリソツ…
そしてCメロ最後の「Shooting to kill」は…
殺害を目的に撃つこと…
つまり…
イエスにとどめを刺すために貫かれたロンギヌスの槍のことだね。
『ロンギヌスの槍』フラ・アンジェリコ
完璧だわ…
そして最後の3番。
アルバム『ワン・トリック・ポニー』全10曲の、最後の〆でもある。
It's been a long, long day
I sure could use a friend
Don't know what else to say
I hate to abuse an old cliche
長い長い一日だった…
僕は確かに… 友達を使えばよかった?
「could use a friend」は「ひとりはつらい」とか「そばにいて欲しい」という意味だ。
つまり、
「僕の中の確かなこと。それは、君にそばにいて欲しいということ」
という意味…
最後の最後に『ワン・トリック・ポニー』の核心が来ました…
ポール・サイモンがこのアルバムや映画を作ってメッセージを伝えたかった相手…
キャリー・フィッシャーね…
Carrie Fisher(1956-2016)
そしてポール・サイモンはこう続ける…
他に何て言えばいいのか僕にはわからない
使い古された陳腐な決まり文句で
ああだこうだ言いたくはなかったんだ
だからここまで手の込んだ歌を10曲も作ったのね…
他の誰にもバレないように、キャリー・フィッシャーだけが気付くように…
そして最後に、深いタメ息をつくように、
それにしても、長い長い一日だった…
きっと、彼女のことを思い…
長い長い一日を、何日も何日も過ごしたんでしょうね…
あたしたちも、負けないくらいに、長い長い一日だけど(笑)
ところで、このポール・サイモン渾身のメッセージは、無事に届いたのでしょうか?
ここまで手の込んだ、ほとんど暗号文のようなメッセージを、キャリー・フィッシャーは解読できたのでしょうか…
おそらくキャリー・フィッシャーは気付いたと思う。
だから結婚寸前だったダン・エイクロイドとの関係を破棄し、再びポール・サイモンのもとへ帰ったんだろう…
キャリー・フィッシャーも、深読み探偵だったのかしら?
彼女には文才がある。後に小説も発表しているくらいだからね…
まあ、何はともあれ良かったわよ…
ここからトントン拍子で二人は結婚まで行くのね…
1982年は、ポール・サイモンはワールドツアーで、キャリー・フィッシャーは『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』の撮影で、共に忙しかった…
そして映画が1983年5月に公開され、さまざまなキャンペーンが終わった後、8月に二人は結婚式を挙げる…
そして、大阪で手に入れた「阪神タイガースの帽子」を被ってのハネムーンですね。
再結成したサイモン&ガーファンクルが、足かけ16ヶ月にわたって行ったワールドツアー最終公演の地、ニースでの新婚旅行…
関西人でも中々いないわよね…
ハネムーン先で阪神タイガースの帽子を被ってる人…
ちなみに、S&Gワールドツアーと、キャリー・フィッシャーとのハネムーンの最終目的地は…
イタリアのニースではないんだ。
え?
ワールドツアーは日本から始まって、ヨーロッパを回り、北米ツアー中にポール・サイモンがキャリー・フィッシャーと結婚式を挙げ、ハネムーンを兼ねて再びヨーロッパにわたり、スイスとニースで公演したと仰ってませんでしたか?
たしかにS&Gは、1983年9月にキャリー・フィッシャーと共に渡欧し、17日にスイスのバーゼルでコンサートを行い、翌日18日にはニースでコンサートを行った…
その後しばらくニース周辺に滞在してハネムーンを満喫した後、S&Gとキャリー・フィッシャーの三人は、旅の最終目的地へと向かったんだ…
最終目的地? どこですか?
イスラエルだよ。
テルアビブにおける9月24・25日のコンサートが、再結成したS&Gのワールドツアーのゴールだったんだ。
そしてポール・サイモンとキャリー・フィッシャーのハネムーンの最終目的地は、魂の故郷、エルサレムだった…
そうつながるのね…
S&Gの最後のシングル『MY LITTLE TOWN』で歌われた、彼らの魂の故郷…
この時の出来事を、後にポール・サイモンは歌にする…
歌に?
だけどそれは、その歌の解説の時に詳しくするとしよう。
まずは次のアルバム『HEARTS AND BONES』についてから…
ポール・サイモンが阪神タイガースの帽子を被り出した後に発表された『ハーツ・アンド・ボーンズ』は、ポール・サイモンと『ライフ・オブ・パイ』をつなぐ生命線ともいえる作品…
ここから話は本番だと言っていい。
ここからが… 本番...
今夜そのセリフを何度聞いたかしら…
『HEARTS AND BONES』は、ポール・サイモン史上、最も売れなかったアルバム…
レコード会社は一千万枚以上のセールスを期待したのに、わずか五十万枚しか売れなかった…
だけど、ポール・サイモンのキャリアの中で、最も重要な作品とも言える…
まさにその通りです。
このアルバムは、ただのアルバムではありません…
それでは、まずはアルバム発売に至る経緯から解説しましょう…
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?