「ぼくはボクサー(ライラライ)」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
♫ライララ~イ ライライララ~イ ララララ~ラ~イ♫
もう最高すぎるわ!
ノブくん!次はアタシたちの番よ!
はい?
アタシが谷村新司やるから、ノブくんは堀内孝雄ね!
向こうが『ボクサー』でライラライなら、こっちは『チャンピオン』のライラライで対抗よ!
良介山ママ、歌合戦じゃないんだから。
あら、岡江ッチ。もうメリメリメリってしたのね。
あれ見たかったのに。
すみません。意外とアレ、いろいろ大変なんで…
あっ。後片付けは頼んだよ、大林少年…
はい。
ところで深代ママ…
なぜサイモンとガーファンクルの『THE BOXER』を歌おうと思ったのですか?
うん…
この前ね、春木さんとカヅオさんが来た時に、この歌の話になったの…
『ボクサー』の歌詞は全部「ライ」、つまり語り手である「ぼく」の「嘘」なんだって…
ほう。
この歌詞を作詞したポール・サイモンは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のアイデアを、ほぼそのまま踏襲したんですって…
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の「ライ」は「RYE(ライ麦)」と「LIE(嘘)」の駄洒落になっていて…
それをポール・サイモンは「LIE」と過去形の「LAY」に置き換えたのよ…
じゃあ『ボクサー』のストーリーも全部「嘘」ってことなの?
貧しい少年が故郷を捨てて単身ニューヨークへ渡って、貧民街で暮らして、娼婦以外には誰からも優しくされなくて、賭けボクシングで生計を立て、打ちのめされて傷だらけで意識が朦朧としながらもリングに立ち続けるって感動ストーリーは嘘だっていうの!?
はい。ぜんぶ嘘です。
典型的な「信頼できない語り手」による物語ですね。
あまりにも語り口が見事なので、1番で「ぜんぶ嘘と冗談」と歌っているのに、みんなスルーしてしまうんですよ。
え?
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、駄洒落と比喩を駆使して「イエス・キリストの物語」を描いているのよ…
つまり全部、語り手であるホールデン君の「嘘」なのね…
そしてサリンジャーが小説の最初の方でホールデン君に「ぼくは嘘つきです」と言わせたのと同じように…
『ボクサー』の歌詞も、そうなっている…
だからあたし、この曲が真っ先に頭に思い浮かんだの…
マジで?
「ボクサー」ってイエス・キリストなの?
そうですよ。
コーエン兄弟の『バートン・フィンク』で主人公バートンが「BOX」を持つ「BOXER」として描かれていたのは、彼がイエス・キリストの生涯を演じていたからなんです。
ポール・サイモンの『THE BOXER』を踏まえたものなんですね。
そうなの?
信じられない。「BOXER」がイエス・キリストだなんて…
全然そんな歌じゃないじゃん。
そんなことありませんよ。歌詞をよく見ればわかります。
『THE BOXER』は、こんな一節から始まりました。
I am just a poor boy
Though my story's seldom told
まず最初に「ぼく」は「自分の昔話」をめったに話さない「可哀想な子」だと自己紹介するんですね…
「ぼく」は「悲しみの子イエス」だから当然のこと…
イエス・キリストの話をするのは本人ではなく弟子たちですから…
そういえば『ライフ・オブ・パイ』でも、40代のパイは昔話を始める時に同じようなこと言ってたわ。
「もう長らくリチャード・パーカー(虎)の話をしていない」って…
『ライフ・オブ・パイ』の中には『ボクサー』の歌詞が落とし込まれているんだよ。
小説を書いたヤン・マーテルは、サイモンとガーファンクルの『ボクサー』を元ネタのひとつとして使ったんだ。
え? そうなの?
間違いないね。
だって『ライフ・オブ・パイ』のメインコンセプトは「話を聴いた人が神を信じるようになる物語」だよ。
そのためにわざわざ作家はパイの家まで話を聞きに行ったんだ。
本当かどうか確かめたくて…
あ、そうだったわね…
他にもいくつか同じように元ネタとして落とし込まれた歌があるから、順を追って紹介していこう。
さて、『ボクサー』の話に戻ろうか。
「ぼく」は滅多に語らない昔話について説明を始めた。
I have squandered my resistance
For a pocket full of mumbles
Such are promises
かつて「ぼく」は「タシカナモノ」のために時間を費やしたという…
ポケットがいっぱいになる程度の言葉を口にしながら…
それらは「promises」みたいな言葉…
うまい…
イエスの公生涯を「my resistance」という言葉で言い表すなんて…
そして、かつて「ぼく」が口にしていた「promises」とは「新しい契約」のこと…
新約は旧約ほど膨大なものではない…
だから「ポケットがいっぱいになる程度」なのです…
ちょっと待って。
なんで「my resistance」が「タシカナモノ」なのよ?
あら良介山ママ。キスマイの歌、知らないの?
「my resistance」と言ったら「タシカナモノ」に決まってるじゃない。
Kis-My-Ft2 の『My Resistance-タシカナモノ- 』よ。
まあ。「イエス!イエス!」って歌ってるわ…
そして1番はこんなふうに締めくくられる。
「ぼく」が自嘲気味に語るんだね…
All lies and jests
Still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest
すべては嘘と冗談…
人は自分の聞きたいことだけを聞く生き物だから…
それ以外のことは無視してしまう…
ここがこの歌のアツアツポイントよね。
「ぼくの言葉をちゃんと聞いてくれない人が多くて困っちゃうよね。みんな肝心なことから目をそらすんだ」って嘆いてる。
ポール・サイモンの皮肉の効いたユーモアが冴えわたってるわ。
そして2番。
ここでは「ぼく」が「故郷」から「どこか」へ移動した直後のことが歌われる。
「どこか」ってニューヨークでしょ?
違うんですよ。
2番ではまだ「ニューヨーク」という言葉が出て来ません。
つまり2番は「ニューヨーク」ではない「別の場所での出来事」を歌ったものなんです…
When I left my home and my family
I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station
running scared
Laying low,
「故郷と家族」から遠く離れて「どこか」へやって来た「ぼく」は「駅舎」に横たわり「見知らぬ人たち」に囲まれて怖い思いをした…
やだ…
これって、まさか…
「遠く離れた故郷と家族」とは「天国と天の父」…
「どこか」とは「ベツレヘム」…
「駅舎」とは「厩舎」…
「取り囲む見知らぬ人たち」とは「天使のお告げを聴いて集まって来た羊飼いたち」…
そして「横たわる子」とは「生まれたての人の子イエス」…
つまり、クリスマス・イブですね。
『羊飼いたちの礼拝』
ヘラルト・ファン・ホントホルスト
なんてこと…
そしてこう続きます。
seeking out the poorer quarters
Where the ragged people go
Looking for the places only they would know
「布きれをまとった人たち」が行き交う「貧しき一角」を探し出す…
「彼らだけ」が知り得た場所を目指して…
こ、これは…
ベツレヘムの星を頼りに、イエスが生まれた馬小屋を探し当てた、東方の三博士のことですね。
『東方三博士の礼拝』
ジョット・ディ・ボンドーネ
確かにそうだ…
実に見事なライラライです…
ですね。こんな鮮やかなライラライは滅多にあるものではありません。
さすが天才詩人ポール・サイモンです。
では3番に行ってみましょう。
Asking only workman's wages
I come looking for a job
But I get no offers,
Just a come-on from the whores
on Seventh Avenue
「ぼく」は「誰か」に「肉体労働の対価」について尋ねます…
「ぼく」は「job」を望みますが、「誰か」は応えてくれません…
唯一手を差し伸べてくれたのは「Seventh Avenue」の「娼婦」だけ…
なんで「job」は英語のままなの?
「仕事」でいいじゃん。
これも駄洒落なんですよ。
「job」とは「Job(ヨブ)」のことなんです。
英語で「仕事」を意味する「job」と、ヘブライ聖書『ヨブ記』の主人公である預言者「Job(ヨブ)」をかけているんですね。
なんで?
ヨブはサタンの試練に耐え抜いて、最後に神の声を聴くんです。
いっぽうイエスは、自らに課せられた十字架刑という試練について天の父に尋ねましたが、ヨブのように返事をもらうことは出来ませんでした。
「おれがおまえで、おまえがおれで」なんですから当たり前ですよね。
ポール・サイモンは、そのことを歌っているんです。
このシーンのことよね。
『オリーブ山のキリスト』
ハインリッヒ・ホフマン
ちなみに「job」の駄洒落は『ライフ・オブ・パイ』でも重要な役割を果たしているので、覚えておいてください。
オチを完成させる、まさに「good job」な働きをするんです。
おっけー。
でもアタシ、そろそろ店に戻らなきゃだから、このペースだと最後まで話を聞けないと思うわ。
すみません、話が長くて。できるだけ急ぎますね。
さて…
唯一「ぼく」に手を差し伸べてくれたのは「Seventh Avenue」の「娼婦」だけでした。
「Seventh Avenue(七番街)」とは「Seven Archangels(七大天使)」の駄洒落…
「七大天使」とは、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使にもう三名を加えたものです。
だから歌詞はこう続きます…
I do declare,
there were times
when I was so lonesome
I took some comfort there
正直なところ「七大天使」だけが「ぼく」の孤独を慰めてくれた…
つまりコレ。
『ゲツセマネの祈り』
カール・ブロッホ
わお!
次の部分はオリジナル版の録音には無い歌詞です。
だけどライブなどではよく付け加えられて歌われます。
「ぼく」が過去を回想し、しみじみするという内容なのですが…
Now the years are rolling by me
They are rocking evenly
「rock(岩)」と「rolling(転がる)」といえば…
墓の入口を塞いでいた岩ね。
イエスは復活することで、自身が「神」であることを証明した。
だから歌詞はこう続くんです…
I am older than I once was
But younger than I'll be
That's not unusual
No, it isn't strange
After changes upon changes
We are more or less the same
After changes
we are more or less the same
「ぼく」は以前の「ぼく」より年をとっているけど若々しい…
あり得ないことじゃないんだ。ぜんぜん変なところなんてない…
いくら見た目が変わっても、中身はほとんど変わらない…
天地創造の頃は「白髪の老人風」に描かれていた神が、年を経て「黒髪の若々しい姿」で描かれるようになった…
外見は変わったが中身は「ほぼ」同じ…
「全く同じ」じゃないところが、うまいですね…
そしてついに「ぼく」が「ボクサー」として戦うシーンが歌われます。
傷だらけになって意識が遠のきながらも、倒れずに立ち続けている壮絶な姿が歌われるんですよね…
つづく
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