SNSの海で泳ぐ誰かに、頼りない浮き輪をわたしてみたい
こんにちは、岡まことです。
スマホを開けば好きな世界がのぞき放題の時代になり
「そのおかげであなたがこのnoteにたどり着いた」というありがたい事実が浮かび上がります。皆さん、インターネット楽しんでますか。
「はーーーい!」
という方はここでお別れです。
あなたに僕から申し上げることはありません。
これからもインターネットの海を華麗にサーフィンし、さまざまな荒波をファンタジーに変えて自分自身と人々を幸せにしてもらえたらと思います。
「いいえ...もうなにもかもやめたい...SNSも疲れるし...」
という方はもう少しいてもらってもいいでしょうか。
そんなにお時間はとらせませんので。
僕たちは基本的に、自分の好きなものと必要なものに囲まれて生きています。そこにあるペン、壁に貼られたポスター、捨てそこねているぬいぐるみ...
そしてスマホの中の検索履歴もそうです。
あなたがそのワードを検索したのはなぜでしょう。きっとその検索結果が必要だったからですよね。
必要なことがすぐにわかるのはすごく便利だけど、
もしも必要なことが無限に出現し続けたら、それはそれで息苦しいですよねぇ。
ではこのnoteを開いたのは、どうしてでしょう。
他のSNSでまわってきたから?
他のnoteを利用していたらなんとなく気になったから?
その他にもきっといろいろあると思います。
そしてどれも間違っておらず、善悪もありません。
そこで最近ふと思ったのは、
人は自分の好きなものに囲まれた先で他人の目に縛られはじめ、逆に疲れることがあるのではないかということです。
基本的には好きなものや能動的に調べたいことが増えれば増えるほど人生は豊かになっていくと思うのですが、そこに他者の視線が入った途端に息苦しくなったりしますよね。
自分の好きなものを人の目に触れさせることによって、共有できた喜びからより輝かしいものになるものもあれば、その逆に好きなものへの情熱が次第に錆びついていってしまうこともある。
そして「自分の好きなものはこれだ、これが私のアイデンティティだ」
と思ったものたちを中心に自分を組み上げた先でふと、
「本当に自分はこのままでいいのだろうか」と思う人が出てくることもある。なにを隠そう、少し前の僕です。笑
で、その迷いから2パターンの気持ちの動きがあると思っていて、
1.「いや、それでも私はこれが必要で、自分が好きでいることが大切で幸せだから大丈夫!」と軽やかに言い切れるパターン
2.「うーん、好きなものをもっともっと調べて詳しくなって、同じようなものが好きな他の人に怒られないようにしなくちゃ...でもどこまで調べれば『わかる』と言っていいんだろう...調子に乗っていると思われたくないな...」と他人の目を気にし過ぎてしまうパターン。
1のようにスパッと考えられる人は芯があってすばらしいですよね。
自分が見つけたものとそれを肯定することに健全な自信がある。
2のように悩んでしまう人に「人の目なんて気にすることないじゃん」とはなかなかいいにくくて。
というのも、そういう人って「自分の印象が他人の印象の集合体である」ということを感覚的にわかっているので、人の目を気にしようとしていなくても気づいたら心の中に人の目を感じてしまうんですよね。
周囲を気にしてしまうことは周囲に気を遣えるということなので、決して悪いことばかりではないんですが、その繊細さによって自分を責め始めたり、自分なんて...って思いすぎることに対して、どうにか方法がないかな、と思いまして。
で、これをマシにする方法として思いついたのが、
定期的に「今自分は誰のためにこのことを好きでいるのか」を考えてみるというものです。
もし「今自分がこのことを好きになっているのは、人に好かれるためなのではないか...?」と思ったら、少し深呼吸をして捉えなおしてみるのがよいのではないかと。
まーでもさすがにこんなことを毎日考えるのはちょっとめんどうだと思うので、あくまで数週間とか数か月に一回とかでいいと思います。
僕もやってみよう。
それではまたー。
普段はシンガーソングライターをしています。
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