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E25:教授相手に、お揚げスイッチ

僕は
対人関係や議論において、「勝った」「負けた」
などと表現するのは、基本的に好きではありません。 

「はい、論破」なんて言葉が流行りましたが、それがたとえ冗談としても、やはり僕の好きな言葉ではありません。
そもそも
人は言葉でやっつけるものではないと思っているから。

できるだけ、温厚でありたいと思っています。
だから、穏やかに話すことを心がけて生きています。


でも、
たまにある種の「スイッチ」が入ります。
「自分が大切にしているもの」に関して
どうやら、その傾向が強いようです。
そのことに最初に気づいたのは、大学生の時でした。
あの時もそうでした。黙っていられないのですね。
きっと、普段だったら何も言わなかったでしょう…。

自分でも驚きました。
そして、ちょっと、面白かったんですよね。
(ああ、自分にはこういう側面があるのだな)と。

※※※※※

大学時代の恩師、国語学者
佐々木先生(仮名)は、ショートカットで
メガネ姿がよくお似合いの、女の先生だった。

授業は面白かったのだが、
僕は正直なところ、この先生が苦手だった。
いつも、それこそ「論破」されてしまうのである。
だから「論破」と聞くと
自動的に佐々木先生の顔が浮かんでしまう…。
ちょっとトラウマでもある。

とにかくまぁ、厳しい!
言葉遣い、礼儀、授業内容…。
何から何まで非常に厳しい先生だった。

大学に入って、先輩が佐々木先生の講義内容を教えてくれた時のこと。講義内容の話そのものよりも、最後にその先輩が付け加えた言葉が、ずっと僕の頭から離れなかった。

「佐々木先生はね、すんごく、おっかないの!」




この「おっかない」という言葉、
関西人にはあまりなじみがない。
もちろん意味はわかるけれど、個人的には関東の人の1.5倍増しくらい、怖いと感じてしまう。 
そんなイメージの言葉なのだ。

高校まで、国語は好きな科目だったし、
それなりの日本語を話す自信はあったのに、
この「おっかない」先生の前では、
その中途半端な自信は、もろくも崩れ去った。
「あなた、その日本語おかしいわよ!」
「あなたは、それで、何を伝えたいのですか?」
何度指摘されたことか…。

まあ、今から考えれば、
本当にものを知らない若者だったから、
叱られるのも当たり前である。
叱られるのは、期待の裏返し、という考え方もある。
そう、今ならそういう発想の転換もできる。
ただ、当時は、叱られると凹むばかりで…。

がんばって原稿を作って、緊張して、発表して、
それで、「あなたは何を伝えたいの?」だなんて…。
もう、僕はその場から消えたくなるわけで……。



ある日の授業のこと。佐々木先生に指名された。
食に関する方言の授業だったと思う。
「厚揚げと言う言葉は、東京ではあまり使いませんが、関西でよく使われますね。源太さん、やはりそうかしら?」

佐々木砲キター!!

である。
茶化してなどいない。本当に緊張が走る。

国語学の授業では、
関西では〜、関東では〜、とよく比較される。
クラスでは僕が関西人であることが知れ渡っていたので、
「源太くん、関西ではどのように言うのですか?」
という、先生方からの質問が飛んでくることが、
頻繁にあった。それも突然に。

…だから、こちらは毎時間気が抜けないのである。

ちなみに、余談だが、このような事情のため、
同級生は僕に「代返」を頼んで来なかった…。


では、話を戻そう。

佐々木先生に答えを求められた僕は、一瞬迷った。
ここは無難に、「はい、そうですね」
で済ませても良いところ。
けれど、「お揚げさん」については、スイッチが入る。
僕は「おかぐちや」の孫だ!
じっちゃんの名にかけて、的な? ……違うか。

https://note.com/okaguchiya/n/n54b89d19e283

「先生、一口に関西の厚揚げと申しましても、いろいろ種類がございまして、例えば大和揚げとか…」
そう言いかけると、先生は僕の言葉を遮った。

「源太さん、あなたは何をおっしゃっているの? 厚揚げに種類があるとか、ワタクシは聞いたことがありませんわ!適当なこと言うんじゃありませんわ!」


源太くん、かわいそうに、先生に詰められてるよ…。
そういう「同情的」な空気が、教室にただよう。

黙っていられなかった。
僕は机をポンと叩いて、その空気を断ち切った。
ポンと叩いたつもりが、結構大きな音になった。
教室が静まりかえる。やばい。でも止められなかった。

我ながらびっくりするほど、大きな声が出た。

「先生、ちょっとよろしいですか? ワタクシはこれでも、豆腐屋の孫ですけれども!!」


知らず知らずのうちに、
先生の口調に寄せていたかもしれない。なんてことだ。

先生は口を押さえて、あっけにとられた様子。
そして笑顔で
「あら、それは大変失礼しました」
と、僕に頭を下げてくれた。


(ゲンタが勝った! ゲンタが勝った!)
クラスは大爆笑、大いに沸いた。
(わわわわわ…)
1人で冷や汗が出た…。
その後、無事説明の時間が与えられた。

「アタシ、佐々木先生のあんな顔、初めて見たわ!」
この日の授業は、同級生も印象深かったみたいで、
その後も時々話題にあがった。


実はあの日、そこからが大変だった。

授業終了後、先生が僕のもとにいらした。
「源太さん、あなたにちょっとお願いがあるんですけど、あなたの先程のお話、厚揚げの話ね。とても興味深かったので、おじいさまとおばあさまにお話を聞いたうえで、レポートにまとめていただけないかしら」

(ひょ、ひょえええええ〜!)



ひょんな事から
特別課題が僕の上に「で〜ん」とのしかかってきた…。
あ〜あ、スイッチ入れなきゃよかった…。

しかし、頼まれた事は、ちゃんとやらねばならぬ。
何せ相手は「おっかない」佐々木先生だ。
御意。

どんな内容をまとめたのか、
もう、あまり覚えていないが、
言われた通り、
きちんと、僕は祖父と祖母にインタビューをしながら
「厚揚げレポート」を完成させた。


(僕のレポートは現存しませんが、当時の僕なんかより、何倍も丁寧に書いてある記事を見つけました。牟田さんというライターさんの記事です。)

https://jouhou123.net/archives/1317


偶然にも、僕がインタビューをしてほどなく、
祖父母の店「おかぐちや」は約50年の歴史に幕を閉じた。


結果的には、孫の僕にとって
祖父母の仕事をきちんと理解する機会に恵まれたし、
店としても、最後の良い思い出になったと思う。

この特別課題がよかったのかどうかわからないが
この、佐々木先生の授業は
「A」評定だった。 

てへへ。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう!

この記事を書くにあたり
佐々木先生(仮名)のwikiを見たら、
数年前にお亡くなりになっていた…。

確かにいろいろ厳しい方だったけれど
自分が知らないことに対して、
こんな学生にわざわざ頭を下げ、
「教えてくれないかしら」と
笑顔ておっしゃったあの日のことは
今でもよく覚えている。

今となってはいい思い出だ。
先生、お世話になりました。
【エッセイ 25】


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