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5年ぶりに年賀状を書いた話。

これを読んでくれている人の中で、毎年年賀状を出している人はどれぐらいいるのだろう。

私は5年前から、年賀状を出していない。

それまでは、毎年出していた。
枚数にしたら60枚ほど。

以前働いていた会社は「全員に年賀状を出さなければいけない」という、昭和くさい決まりというか風習があったので、社長をはじめ上司や同僚に送っていた。
小さな会社ではあったけど、それだけでも30枚ぐらいは出していたと思う。

それに加え、わずかに残った高校時代の友達や、大学時代の友達、昔の同僚など。
20年近く、年賀状でしかやりとりをしていない人もいた。

毎年、年末の連休に入ったら、年賀状を書いて出す。
お正月は、届いた年賀状を見て、出していない人がいたら追加で出す。

それが、長年続いた年末年始の恒例行事だった。

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年賀状を出すのをやめたのは、昭和の香りが漂う会社を辞めた次の年だった。
年末を迎えた時、ふと「年賀状って、必要か?」と思ったのだ。

もう、会社の人たちに出す必要はない。
それに、頻繁に会っている「今、仲の良い人たち」はみんな、LINEで年始の挨拶をしている。
そもそも、住所を知らない。

年賀状を送り合っている「昔、仲が良かった人たち」と、このまま年賀状だけのやりとりを続ける意味ってあるんだろうか?

毎年のように書かれた「元気?今年こそ会いたいね」という決まり文句に意味はあるのか?実現する可能性ってある?ないよね?

それと、一番の本音を言えば、年末の忙しい時に年賀状を作るのが、心底面倒臭くなったのだ。

年末ギリギリになってから、大掃除の隙間をぬって年賀状を買いに行き、良さそうなデザインをダウンロードして印刷して「元気?今年こそ会いたいね」というお決まりの一言を添えて、近所のポストに放り込む。

表も裏もほぼ印刷だし、大したことを書かないにしても、それなりに手間はかかる。
お金だってかかる。

よし。
年賀状、やめてみよう。

そして、私は年賀状を出すのをやめた。


その年は、それなりの数の年賀状が届いた。
「返事出した方がいいかな」と頭をよぎったけど、まぁいっかとそのままにした。

翌年はその半分ぐらいの年賀状が届いた。
「みんな、律儀だなあ」と思いながら、そのままにした。

そし5年経った今年、3枚の年賀状が届いた。
5年も届かないのに、住所録から消さないなんて、なんて優しい人たちなんだろう。
私だったら、絶対削除するわ。

ちなみに年賀状をくれたのは、1人は高校時代の友達夫婦。
1人は大学時代の同級生。
1人は前に働いていた会社の同僚。

うち2枚には「元気?今年こそ会いたいね!(集まりたいね!)」と書かれていた。
他に書くことないもんね。しょうがないよね。


でも今年、その3枚を見て、ふと思った。
「返事出してみようかな」と。

ちょうど、母が買った年賀状が3枚あまっていたので、分けてもらうことにした。

ずいぶんかわいらしいデザインだし、書く余白が意外とあるけれど…まあいい。

「相変わらず、元気にやってます。そちらは元気?また集まれる日が来るといいね」とでも書いておこう。

今夜のうちに書いて、明日ポストに入れようと思う。
明後日には届くかな。

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余談なんだけど。
年賀状って、大体子供の写真が入っているんだけどさ。

子供が産まれてから、会ってない子の場合、知らない子供の成長を見せられても「へぇ」って、なんというかあまり興味が持てなかったりするんですよ。

中には、子供の写真を何枚も載せてる子とかいるけど(かわいくて絞りきれなかったんだろうね)、何枚見せられても「へえ」でしかないわけです。

だから、できれば子供と共に、お父さんお母さんの写真も載せてもらえると嬉しいなって思うの。
「元気にしてそうだな」とか「ちょっと太ったわね(笑)」とか、その方が近況が分かるから。

私も来年、自分の写真を使った年賀状でも出してみようかしら。
そしたらきっと「オカダ、元気そうね」「ちょっと老けたわね(笑)」って近況が伝わるかな。

って、多分出さないけど。
だって、年賀状って面倒臭いんだもん(笑)

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