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俳書紹介 今瀬剛一『芭蕉体験 去来抄をよむ』

 「現代俳句はあまりにも痩せすぎていはしまいか。自分の本当の内部から出た言葉ではない言葉の遊び、没感動的な作品が横溢してはいないか。その原因はいろいろあろうが、私はその一つに芭蕉を忘れているということがあるのではないかと思っているのである。」という問題提起から、いまだからこそ芭蕉が大切なのである、と本書は説く。                  


 『去来抄』は、芭蕉の門人である向井去来の著になる俳論書。「先師評」「同門評」「故実」「修行」の四部から成る。本書では、芭蕉や門人の作に芭蕉が加えた評語を中心として収録した「先師評」を読み、四十五の章のうち、発句に関する俳話を中心に三十二章を取り上げる。テーマは、切字、等類(類句・類想)、推敲、句の姿、初心者の句、などどれも現代の実作者のテーマに通じるものばかりである。


 本書は各章ごとに〈原文〉〈作品・語句の解説〉〈この章の問題点〉〈現代俳句との関連〉で構成される。〈原文〉に続き〈作品・語句の解説〉では、語句が懇切に解説されている。〈この章の問題点〉では、原文の芭蕉の言葉から想像される背景や意図、俳句理論などの見解が、その時代の臨場感をもって述べられている。〈現代俳句との関連〉では、その見解を現代俳句の名句に透かし見て、見解が敷衍されて述べられている。


 俳句の実作者であれば、『去来抄』またはその解説書を読んで実作に活かしたいと思うところ、近世の心や言葉を実作にどう表すべきか手掛かりが欲しくなる。そこを本書では、芭蕉の時代と現在の読者との間に立って、現代俳句に置き換えて説明してくださるので誠にありがたい。


 冒頭の問題提起に対する解は各章で述べられていて、どれも共感して紹介したくなることばかりだが、作句全般の心得として一つ紹介するならば、「俳句の表現は必要最低限にとどめたい。そしてその言わない部分の大きさに期待したい。その作品の外に湧き出てくる情感を読者は必ず分かってくれると信じたい。俳句形式は作者と読者の信頼の上に成り立つものである。これこそ「座」の心というものではないか。」という部分である。


 『去来抄』が刊行された安永期前後は俳諧の中興期にあたり、この時すでに「芭蕉に帰れ」という運動の機運が高まっていた。本書では「芭蕉に帰れなどという大それたことを言っているのではない。」「ただ芭蕉に耳を傾けてみること、そしてその考えを現代に生かすこと」を勧める。


 芭蕉の考えは三百年以上経った現代に生かされるべきであり、また生かされた句が必然的に後世に残っていることが実例をもって感得できる。座右に置きたい一冊である。            (2020年4月 角川書店)

                 (俳句雑誌『風友』令和二年十月号)

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