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共鳴*競漕のガッツポーズのまま流る

競漕のガッツポーズのまま流る  岡田 耕
 ゴールした勝利艇の選手が歓喜の声と共にガッツポーズをしている景だ。
両手を振り上げた選手を乗せた艇がゴール地点を過ぎてもスーッとゆっくり進んでいる。まるで勝利の余韻を楽しんでいるように。そして周りの河川敷やテラスからは味方の応援団はもちろんのこと、一般席からは敵味方なく健闘を讃える歓声がどっと上がる。そんな競漕の場面の一瞬のきらめきを切り取った一句だ。まるで完成度の高い一枚の報道写真を見る思いだ。
 俳句は時空の一点を写し取る文芸と言われる所以である。構成でいえば、下五の「流る」でこの句は佳吟となったと言っても過言でない。この終止形が大きな切れを生み、さらには深い余韻をもたらしたのだ。
 実況アナウンスや解説記事をどんなに費やしてもこのリアリティは出ない。またよく読むと「競漕の」は主語でないのが分かる。主語は隠れていて、強いていえば「艇と選手たち」だ。
 「の」は微かな切れの助詞である。下五の「流る」に大きな切れがあるのだ。
 だからと言って上五を「競漕や」と大きく切れば句が分断されて意味不明となり、原句のような深い余情は望むべくもない。今更だが、切れの重要さをこの句から学ばせてもらった。
(赤津 山彦)

「あひる句会報」令和五年三月号

☆4月16日は早慶レガッタの日で(2023年)、観戦してきました。
トップの写真は、早慶レガッタの当日、会場で配られていた両校のスポーツ紙です。

(岡田 耕)

写真/岡田 耕

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