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近世に詠まれた「初浅間」

【スキ御礼】中世に詠まれた「初浅間」

早春の浅間山は近世にも詠まれている。

春いまだあさまの山のうす霞煙にまがふ色としもなし
  (村田春海『琴後集』一八一三年)

浅間山の噴煙を、薄い霞と見間違えるような風流な時期は、春の浅い頃のほかにあるだろうか、という意味だろうか。

歌枕「浅間山」を詠んだ歌はいくつかある中で、平安期の藤原良経の「春はなほ浅間の嶽に空さえて曇るけぶりはゆきげなりけり」(『続後撰集』)と、「春が浅い」と「浅間」を掛詞的に詠んだ点が似ている。

村田春海は、歌は調が命であり、調べは古今集に限るといい、古の歌集の中でも、とりわけ古今集を好んでいるという。

「しらべのととにひたるまことのさまをよくしらむと思はゞ、古今集をよくあじはふべし。古今集はしらべをむねとえらべるものなり。
(略)さてひろく万葉集より八代集をとほしみて、そのとるべきをとり、ならふべきをならひて、しらべはかならず古今集のすがたを本となして、おのがひとつのすがたをなしいでむやうにあらまほしきものなり。」(村田春海『歌がたり』)

田中康二『村田春海の研究』汲古書店 2000年

しかし、春海が意識したと思われる良経の歌は『古今集』(905年)より後の『続後撰集』(1248年)に収載されていて、春海の好みから外れているように見える。

ただ、良経の歌を、春海が好まなかった訳ではない。
春海の学問上の敵であった国学者 石塚龍麿が、藤原良経の歌については、万葉集と古今集に入れてもおかしくないと、歌論書で実名を挙げて認めている。

「さて又新古今のころの人の歌にも、其のすぐれたるは万葉古今にまじへつべきもあンなりといへる。まことに古き姿にてよき歌は、古今集にいれつべきも見ゆ。摂政殿(藤原良経)の御歌などは是なり。」(石塚龍磨『歌がたり斥非』)

田中康二『村田春海の研究』汲古書店 2000年(太字部分加筆筆者)

村田春海は、藤原良経の歌が古今集の時代の歌でなかったにしても、藤原良経の歌を、その古今集と同じほどの調べのよろしさがあると認めていたのだろう。
だから、そのうちの歌一つ「春はなほ~」を下敷きとして「春いまだ~」を詠んだのではないかと想像するのである。


☆スピハン さんが、村田春海が影響を受けた賀茂真淵の交友に関する記事の中で、春海の歌風について説明されています。ご紹介します。

( 岡田 耕)

ありがとうございました。

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