苦手な人のことはこう考える
一緒にいて楽しい人とそうでない人、刺激になる人とそうでない人、居心地がいい人とそうでない人、ま、いろいろある。
プライベートの付き合い上、そういうのがあっても差し支えないかもしれないが、仕事となると選り好みは出来ないことが多く、そんな人たちともチームワークが必要になる。
ではどうすれば、〇か×かでいえば自分の中で×がついてしまった人とうまくコミュニケーションがとれるのか。
×をつけないことである。
なんて言うと、はぁ???って感じを受けると思うけれど、だって相手は変えられないから。変えられるのは今の自分だけだとしたら、△くらいにできると自分が成長しているなと思う。
というとで、少し整理をしてみると
〇の人とは、
全てを語らずして理解してくれたり、物事の進め方が似ていたり、喜怒哀楽のツボが近いのでストレスフリーに付き合える、
価値観や志向、好み、立場、環境が似ていたり、将来的に目指したい姿を体現していたり、得たい能力・スキルを持っていたり、そういう人だ。
×の人とは、
つまりその反対。
当然こうすべきだよね?という言動が一致しなかったり、普通はこう考えるでしょう?というところがズレていて話がかみ合わなかったり、優先順位も違うことが多く「理解できない・・・」と思うことが多い。何かと思うように事が進まず感情が揺さぶられる相手ではないだろうか。
この「当然こうすべき」「普通はこうだ」「これが大切」、こういう言葉の裏には私たちが経験から学び取ってきた大切な知恵や生きる術、信念のようなものが反映されている。
人とうまく付き合うために、仕事をうまく進めるために、自分が損しないために、こういうことが大事なんだという学び。それがそれ以上の失敗から自分を守り、支え、自分らしさを作り上げてきた要素でもある。
だから、それを否定するような言動をとる人とはウマが合わないし、理解できない、意味が分からない!ということになってしまう。
ただ相手も同じように、経験から学び取ってきた大切な知恵や生きる術を身につけている。だからこその言動なのだ。方向性や内容の違いだ。大事にしているものが「違う」と分かるだけで、相手を受け止め理解しようと思えたりする。時には、その学びについて「なぜそうなる??」と反発を覚えたくなることもあるかもしれないが、そこは「違い」として受け止める。
歳を重ねるごとに、学びが増える分、そのこだわりや価値観も強固かつ複雑になる。歳を取ると頑固になるとか融通が利かないと言われるのもそれだ。
だからこそ、あえて、その人にもその人のストーリーがある。という視点を持って見ることを意識する。
その視点を持ったところで、一朝一夕には理解できないことも多いが、自分と相手の関係を客観的にとらえ直し、俯瞰し、対応方法を考えるくらいの冷静さは持てるのではないだろうか。
だから△を目指す。
あとはソーシャルタイプや、エニアグラム、MBTIはじめ様々なパーソナルタイプ分け診断も試してみると、人ってそもそもこんなにバラエティにとんでいるのね!と論理的に理解できて、自分の視野と受け皿が一気に広がる感覚がある。
自分の枠組みから出るのって一人じゃ難しいのよね、ほんと。
ぜひお試しあれ。