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土佐打刃物

土佐打刃物は、高知県を代表する工芸品の一つです。 高温に熱した金属を叩いて延ばし自由に形を作る自由鍛造と呼ばれるもので、作るものは包丁や林業用の鎌、鉈、斧、農業用の鍬など実用的な道具を幅広く扱う野鍛冶です。 高知県の山奥でこの土佐打刃物を作るのが勝秀鍛冶屋、2代目の松村幸作さんです。周りの方には「おいちゃん」という呼び名で親しまれています。 勝秀鍛冶屋は鍛冶屋と言えど、刃物だけではなく、柄や、鞘も全て一人で作り上げています。 「昔は山師が柄とか鞘を木から削り出し、自分で作っ

    • 来てみたかった高知県

      四国でもう一箇所訪れたかった場所、高知県へ。 電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、一日がかりで目的の四万十町十川に到着しました。 元々電車の本数が多くない地域。出発や到着の時間を考えて、乗れるのは一本だけです。 旅の中で何度かこのような場面がありましたが、やはり初めての場所。バス停が合っているか、ホームが合っているか、乗る電車、降りる駅、休日のダイヤではないか、小銭をきちんと持っているか等々、移動日は取材日と同じくらい気を張り、どっと疲れます。 宿に到着した時には日も落ち、あたりは

      • 吉野川

        徳島県を西から東に流れる吉野川が肥沃な土壌を育み、この地域では藍の栽培が盛んに行われるようになりました。 水が綺麗で、夏場は川遊びやキャンプをする人で賑わうとの事で、取材が終わった休日、吉野川を見に行くことにしました。 滞在先から電車で1時間ほど。 橋から見た吉野川はエメラルドグリーンでとても綺麗でした。 そこから更に川に入れる場所まで40分ほど歩きます。この日は大変な猛暑。日差しでクラクラしてしまいました。 なんとか川遊びの出来る浅瀬まで辿り着くと、そのまま靴を脱ぎ、ズ

        • 次の世代に繋ぐこと

          藍は「生きている」と表現されるように、藍建ては一回きりではなく、複数ある甕それぞれの発酵液は発酵の進みが異なる為、随時確認しながら毎日調整・管理しています。 その為、染師は365日一日たりとも仕事を休めないのだそうです。 藍秀さんはこの多忙な中で合間をぬって県の仕事や見学、体験、取材を受けているのは、伝わってきたものを更に次の世代に伝えていくことが重要であると考えているからだそうです。 染師を目指す人でも趣味として楽しみたい人でも興味を持ってくれた人には差異なく教えられるだ

        土佐打刃物

          藍はすごかった

          藍染は江戸時代に庶民の間に普及し、奢侈禁止令(武士、町人に対し布地の種類から染め色までを指定した法令)が発令された中でも藍は禁止されなかった為、町中に藍が溢れていたそうです。 明治初頭、来日した英国人科学者アトキンソンが、その様子を書物で「ジャパン・ブルー」と称した事で当時の海外の人々にとって、藍色は日本を象徴する色でした。 しかし、日本人にとってこの日本の藍の持つ魅力は、その色の美しさだけではありません。 藍染の持つ効果効能は多様です。 一つは殺菌効果。傷を負っても殺菌

          藍はすごかった

          阿波の国で阿波藍染

          九州での取材を終え、四国に参りました。 四国のスタートは阿波の国、徳島県。 阿波藍染の取材です。 阿波藍染の元となる天然の染料は「蒅(すくも)」と呼ばれる、蓼藍の葉を乾燥させ、長期間発酵させ、出来たものです。この蒅を製造する工程を担う専門職(藍農家)を藍師といいます。 藍染は日本全国で行われていますが、藍師は現在徳島県にしかおりません。又、その数も現在ではわずか5軒ほどだそうです。 藍師によって1年かけて作られるこの蒅を染められる状態にするのが染師。 藍建てと呼ばれる技法を

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          ベンジャラ探し

          有田町を訪れた際に、気軽に楽しめるのが「ベンジャラ探し」です。 有田町には白川川と有田川が流れています。 かつては職人の多くが失敗作を窯の裏に流れる川に捨てていたそうです。 (現在では不法投棄にあたる為、きちんと廃棄されています。) それらの陶片が長い年月をかけ、流れ去ったものが「ベンジャラ」です。 このベンジャラの一部が現在でも堆積し静かに川底に眠っているのです。 それらを採取し、年代や元の形などを調べることで、有田焼の歴史の一端に触れられる為、地元の子供たちの夏のイ

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          日本磁器誕生の地

          私が次に向かったのは、佐賀県有田町です。 有田と聞けば有田焼、伊万里と聞けば伊万里焼を想像する方が多いのではないでしょうか。 佐賀県は言わずと知れた陶磁器の町です。 日本の磁器文化はここ有田で生まれました。 有田焼の歴史は日本の磁器の歴史そのものなのです。 町中には窯の煙突がいくつも空高く伸びており、歩けば有田焼商店が数えきれないほど建ち並んでおります。 駅の時計も、バス停も、家の表札から花壇の鉢に至るまで、町中どこもかしこも有田焼一色。 かつては8割以上の町民が有田焼に

          日本磁器誕生の地

          風が吹けば桶屋が儲かる

          「風が吹けば桶屋が儲かる」とはよく言ったもので、 皆さんも一度は聞いたことがありますよね。 桶にまつわる日本の諺の一つですが、「ある事によって、全く無関係と思われるところに影響が出る」 また「とてもあてにできそうもないことに期待をかけること」の例えでもあります。 ではなぜ風が吹くと桶屋が儲かるのか。 まず、風が吹くと、砂埃がたちます。 砂埃がたつと、それが目に入り盲人が増える。 その人たちが三味線で生計を立てようと、三味線が多く売れるようになる。 (これは江戸時代、盲目の女

          風が吹けば桶屋が儲かる

          今回私が福岡で取材したものは「桶」です。 取材させていただいたのは、福岡県八女市にある松延工芸、三代目の英雄さんと奥様の美和子さんです。 1959年創業の松延工芸は、木と竹から寿司桶、湯桶、漬物桶、桶太鼓、木風呂などなど、様々な桶を手作りで製作しています。 杉の木や竹等の材料が豊富である筑後地方は桶の生産が古くから盛んであったそうですが、松延工芸は現在九州で唯一の桶屋となりました。 かつては人々の暮らしに欠かす事の出来なかった桶も、生活様式の変化により需要は減り、木桶を持つ

          ものづくりの町・八女

          福岡県は八女市にやって参りました。 八女市はものづくりの町として知られています。 織物、染物、陶器、和紙、提灯、仏壇等その他多くの工芸品に加え、酒やお茶等の食産物に至るまで、様々なものづくりがこの町にギュッと集まっています。町の至る所で職人の姿を見ることが出来ます。 手仕事がテーマの私、何日あっても足りません! また八女福島地区は、江戸時代から続く白壁の町屋が現在でも数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるほど、その歴史ある町並みも魅力の一つです。

          ものづくりの町・八女

          国内フィールドワーク、スタート!

          いよいよ国内フィールドワークが始まりました。 旅は福岡県からスタートです。 緊急事態宣言が出ている中でのフィールドワークはもちろん不安でいっぱいです。 ただ私たちがこのように東京から福岡に来られたのは、空港やホテルなどこの旅で関わる人たちが感染防止に努めながら社会が動いているからで、 皆なんとか、本当になんとか前を向いて生活しているのだなあとふと感じました。 様々な制限がある中で、知恵を絞りながら少しずつでも前に進んでいる。 私も今の状況下で、今の自分に出来ることを精

          国内フィールドワーク、スタート!