今回私が福岡で取材したものは「桶」です。
取材させていただいたのは、福岡県八女市にある松延工芸、三代目の英雄さんと奥様の美和子さんです。
1959年創業の松延工芸は、木と竹から寿司桶、湯桶、漬物桶、桶太鼓、木風呂などなど、様々な桶を手作りで製作しています。
杉の木や竹等の材料が豊富である筑後地方は桶の生産が古くから盛んであったそうですが、松延工芸は現在九州で唯一の桶屋となりました。


かつては人々の暮らしに欠かす事の出来なかった桶も、生活様式の変化により需要は減り、木桶を持つ人は少なくなっています。かくいう私もこれまでの生活の中で木桶を使ったことがありません。

醸造においても転換期がありました。戦後、焼け野原となった日本では住宅が一気に建てられ、木材が高騰。
その一方で軍事産業が終わりを迎え、鉄が安価になっていったことが一つです。
また、木桶での醸造は熟成中に水分やアルコール分が蒸発し、最終的にできるお酒の量が減ります。これは「自然欠減」と呼ばれる現象で、昭和30年代の酒税法改正で、1%を超えるこの欠減に税金が課されるようになりました。つまりは蒸発した分も徴税されるようになったのです。
このような時代の流れもあり酒屋の樽も、安価で、また熟成中欠減が出にくいホーローやステンレスにとって代わるようになっていきました。

時代と共に変わっていくことは「当たり前」でもあり「仕方のないこと」。
決して悪いことではありません。それは「進化」と呼ばれることです。

しかし、元々醸造やその保存容器として木が使われたのは「杉や竹が沢山取れたから」という理由だけではなく、「木」である意味がきちんとありました。

木桶には微生物が住み着き、時間をかけて独自の生態系を作ります。これがその桶や樽で作られる酒や醤油、味噌、漬物などの味を特徴化するのです。
「どこどこの〇〇は美味い!」と思って、同じ材料、同じ分量で同じ作り方をしても桶が違えば同じ味にはならない。同じ桶を使っても温度管理によって味が変わってしまう。全く同じ味が作れないのが木桶です。
いつでも変わらぬ味というものは安心感がある。
一方、味が一定でないものも予期せぬ美味しさが生まれたり、口にするまで予想出来ないわくわく感がある。

どちらが良くてどちらが悪いということではありません。伝統に固執する必要も、棄てる必要もありません。
ただ、新しい形態が生まれても、その伝統の形も多様な選択肢の一つとして存在していてほしい、消えないでほしいなあと思いました。
私に出来ることはこういったストーリーを共有することだと思い書き連ねております。
選ぶのは一人一人ですが、選択肢はいくらあってもいいですから。

木桶、かっこいいですよ!


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