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エンジニア vs プレゼン資料

こんにちは。国際結婚、中国移住したエンジニア→現地研究員、KOです。

エンジニアとして働いているひとの多くが、パワーポイントなどで毎日、たくさんのスライドを作っていると思います。スライドづくりにばかり時間を使って、こんなのは不毛だ、と考えている方は割と多いのではないでしょうか。

あるいは(他の人の仕事をまとめて)発表ばかりしていると、ピッチエンジニアと揶揄されるかもしれません。

このように、どちらかというと、スライドを作るということにネガティブなイメージを持たれることが多いような気がします。しかし私は、スライドをきちんと作ることは非常に大事だとおもいます。もちろんケースバイケースであまり単純に語れない部分が多々ありますが、各論ではなく原則として、スライドが大事だという私なりの気持ちが伝わればと思います。

手短に読みたい方は、「記録としてのスライド」だけ読んでください。

お客さん、重役向けのスライド

スライドはいろんな用途で作ります。お客さんに見せるため、あるいはカタログのため、記録として残すため、そして、社内での経過報告やレビューをもらうため。

お客さんやカタログ、重役向けの資料をきれいにわかりやすく、時間をかけて作るべきというのは、あまり反論する方はいないのではないでしょうか。これらの目的の場合、特に前者の場合は、資料がきれいであること自体がわりと本質なので、仕方ないでしょう。

社内向けのスライド

これは意見が分かれそうです。正直、社内向けについては、ある程度のところで見切りをつけるべきだとは思います。とくにデイリー、ウィークリー程度で見せるものであれば、資料はクイックにつくり、ある程度は言葉で説明で補えばいいと思います。

しかしだんだん仕事が大詰めになり、より広い範囲の人に見てもらったり、ステイクホルダーも入れて最終決定をするような局面では、ミーティングに割かれる工数が増えるという目的と、そして、炎上して仕事が増えるのを防止する目的のため、ちゃんと(仲間内で)他の人の目に何度も通して、しっかりと作り込んだほうが無難だとは思います。次に述べる、記録としてのスライドを兼ねているのであればなおさらです。

記録としてのスライド

記録としての資料はかなり大事であり、軽視すべきではないと思います。なぜなら(とくに製造業では)、製品開発というのはそれまでの知識と経験の積み重ねだからです。とくに人の流動性が激しい場合、人が去っていけばその知見の大部分はその人とともに消えてしまいます残るのはただ記録(ドキュメント)だけです。これが雑だと、後で大変なことになります。

例えばあるエンジニアがざっと1日8時間、年間で200日ほど働いたとします。すると合計1600時間の工数となります。もし1600時間で生まれた仕事の成果(普通はいくつかのプロジェクトなどの複合物)や知見がちゃんと伝わる資料として残らなければ、後でより製品を改善しようとしたときに、結局これをトレースしなければならなくなります。少なくとも私はこのような経験を、わりと短い年数の間に何度もしました。いったいこの実験はなんのためかと。

とくに実験の経過や結果などは、なかなか自分でやらないとわからない、あるいは不確実なことが多いです。そういうときに
(1)どういう条件で測定すると、
(2)どういう結果(重要な測定量はちゃんと数字になっているか?)になったか、そしてデータや数字だけでなく、
(3)それらの結論として何が言えるか、主張は何か、
がしっかりと書かれていて信頼度の高い資料があると、とっても役立ちます。逆に内容に不安があると、結局すべてやり直さなければなりません。

もちろん物事には限度がありますが、あまりに質の低い資料は、どんなにたくさんあっても価値がありません。適当に資料を作って”本業”ばかりやって成果を出すのは、過激に言えば、将来働く人の時間を奪って成果を粉飾する行為とさえ言えます(あまり言い過ぎるとわたしに返ってきそうで嫌な汗がでる...)。あるいは、もしあなたの実験がすべて後に参照され、すべてもう一度やらなければならなかった場合、実際に会社にかかる負担=工数は2倍の3200時間、実質的な生産性は半分です

ただ正直、数年後、あるいは10年後に読んできちんと理解できる(特に実験などの)資料を作るのは難しいです。ただでさえ忙しく、毎日何ページものスライドを作成していては軽視したくなる気持ちもわかりますが、せめて最終成果物である記録はしっかりと責任を持って、だれでもわかる資料を作るように心がけたいです。

というわけで、私が言いたかったのは、もちろん本業は大事ですが、特に記録としての資料は大事です!ということです。

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