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どうしたら曲がるボールが蹴れるのか?

今回のnoteは  楽しいこと・人材育成・研究 のミックスです。笑

もくじ
1. 木村和司に憧れて
2. 楽しみながらまねる
3. 仕事でまねる意味

1. 木村和司に憧れて

木村和司を知っている人は、おそらく40~50代のサッカーおじさんでしょう。
僕は小学校6年生の2学期からサッカーを始めました。凄くのめりこみました。一番影響を受けたのは

サッカーマンガの「キャプテン翼」

小学校までの通学路。ネットに入れたサッカーボールをずっと蹴りながら通ってました。なぜかキーパーの若島津くんにも憧れて、アディダスのキャップをかぶって通学するサッカー少年。

そんなサッカー少年も中学生になり、

「なんじゃこりゃ!?」と思ったのは、

マンガの世界が存在する? ってある日思ったわけです。

中一の頃の先輩達って、子供とオヤジくらいの差があると感じました。体力、走力、技術力、リーダーシップ、全てにおいて別次元の存在。近くで見るふくらはぎと太ももの筋肉の違い。これには本当に驚きました。

そんな先輩の一人。センターバックの先輩。

昔はスイーパーって言ってました 笑。

当時の僕らの中学は、4-3-3のシステム。スイーパーにバックの三枚。ミッド3のスリートップ。正確には両サイドウイングを位置するワントップの時代。僕は中一で右のウイングでした。

話を戻します。そんな先輩。練習後、何やらゴールに向かってボールを蹴り込んでいます。普通の蹴り方ではありません。僕は思わず「何をしているんですか?」って聞きました。

そしたらその先輩、嬉しそうに、

「木村和司って知ってるか?」「まあ見てろ!」って答えました。

蹴ったボール。ギューンと曲がっては落ちながらゴールに吸い込まれました。「なんじゃこりゃ?」って
思いました。

キャプテン翼は現実離れした夢のあるシュートを描いてくれています。
オーバーヘッドキックなんかは、当時の子供たちは絶対マネできない憧れのシュートでした。

そんな中、

「バナナシュート」がありました。

文字通りバナナのようにギュイーンと弧を描くように曲がり落ちるシュート。キャプテン翼の世界で見たシュートをこの先輩は楽しそうに嬉しそうに自慢気に軽々やっています。

その日から僕の特訓が始まったのは言うまでもありません。

ところで、木村和司って誰だ?って疑問だけは残ったままでした 笑


2. 楽しみながらまねる

木村和司:1977年明治大学サッカー部から、1981年高校の先輩だった金田善稔の在籍していた日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)に入団。フリーキックの代名詞と言われるほど、木村和司=フリーキックという感じでした。しかもバナナシュート。今と違ってユニフォームの丈がめっちゃ短いパンツから、むき出しになるゴツゴツした太ももの太いこと!なんか全てが憧れでした。

この木村和司氏も、フリーキックを蹴り始めるきっかけは、当時ブラジル代表のペレやリベリーがフリーキックで直接ゴールネットを揺さぶった事に影響を受けたとのことです。このことは僕自身知りませんでした。

「フリーキックの代名詞、日産の10番と言えば木村和司」

➡(今の僕は完全に中村俊輔ですけど笑)とまで言われた木村和司氏も、人に影響を受け、まねから当時のフリーキックの技術が始まったと言います。

まねこそ最強です。

齋藤孝 まねる力 模倣こそが想像である 朝日新聞社 2017

この本によるとこう書かれてあります。

「厳しい現代を生き抜く一つの要素に まねる力 こそがその基礎である」
「言葉で教えられたことを身につけるに越したことはありませんが、言葉で聞いてもそのまま聞き流してしまうというレベルもあります。それより教えられてもいないのに技を盗んで身につけてしまうというのが、一番意識が高いやり方です」
「まねるということは、受動的どころかもっとも意識が高い取り組み方であると言えます」

つまり、まねる力は学ぶ力だということです。好きこそものの上手なれ!という言葉を耳にしました。好きだからこそ教えてもらうまでもなく勝手に まね をするんでしょう。木村和司氏もそうであったように、僕もそうでした。

この本書にはまたこのように書かれてあります。
「まねる力は学ぶ力」「イノベーションとはアレンジである」「まねが進化につながる」「憧れの人を見つけてまねる」

最近の流行り言葉でいえば、NHKの番組 チコちゃんに叱られる!のチコちゃんに

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って叱られないようにする必要がありますね 笑。

つまり現場の何かをただ何となく見つめるだけじゃなく、機械的にまねするだけじゃなく、問題意識からまず  まね てみて、そしてアレンジを加えることこそが、新しい学びになるんだと思います。

自分が社会人になったころ、学生時代でもそうでしたが、

「〇〇みたいな理学療法士になりたい!」

っていう明確な人物像がありました。その人に少しでも近づけるように服装もまねしたものでした。

皆さんはそんな職業人モデルはありますか?


3. 仕事でまねる意味

木村和司氏に憧れたあの頃。今現在、利き足は右の自分。目標は中村俊輔選手のように、左足でも曲がるボールを蹴りたいという欲求が強いです。
繰返し動画を見る、静止画でイメージを磨く、また動画を見る、実際に蹴る、何度も蹴る、また動画を見る。ひたすらこれの繰り返しです。
50歳を目の前にした年齢では筋力が足りないと感じます。筋トレが必要と感じます。他にできることはないか?こうやって分析するのが実に楽しいひとときです。動作分析は理学療法士の得意技。こういう時こそ本当にありがたいって実感します。

こんな風に

自分の仕事でも まねる 

ということにこだわってもいいのではないかと思っています。

実績を残している理学療法士の仕事をまねる。何をまねる?知識?技術?もちろんその通り。これ以外にも、その人の立ち振る舞い。言葉使い。考え方。論文の書き方。人生。世界観。無限にまねることはあります。

尊敬する人、好きな人、の話し方や仕草は自然とまねしたくなるもの・・・
もちろん、面白おかしくモノマネのようにまねてみるのもいい。
とにかくどんな風でもまねできる人は最高の学びが出来る人だと思います。
理学療法士は動作分析という武器を持っているので、多職種よりは卓越した学びができるはずです。

ところで
どうしたら曲がるボールが蹴れるのか?

その答えは、「本気でまねること」です。

本書でも齋藤孝氏はこのように述べています。

「本気でまねしているかが重要」だと。


研究の分野では、万有引力で有名なニュートンが、バネ定数やフックの法則で有名なロバート・フックに送った書簡で用いたとされる以下の言葉が有名です。

「巨人の肩の上に立つ」
➡私がより遠くまで見渡せたとすれば、それは巨人の肩の上に乗ることができたからです。

新しい何かを見つけたい!とか、何か良いアイデアないかな?とか、そうやって考えている人は実に多いと思います。しかし、「自分には無理!」って初めから決め込んでる人いませんか?

そういう人こそ まね ることから始めると良いのです。

理学療法士養成校の学生は、患者さんの現象を理解するために、患者さんの歩き方をまねしてみなさい!と学校の先生や臨床の先生から言われたことはないですか? これってつまり、まねすることで気づく運動のメカニズム、また別の考察が浮かんでくるというものだと考えます。

分からなければ、まず まね してみる!何度も何度も まね してみる。その中で感じる 何か を見つけだす。そしてその現象がなぜ起きているか!という考察(この場合はアイデアのニュアンス)が生まれてきます。

この思考を繰り返しているうち、自分の疑問に対しての解決策がぼんやり見つかったり、他の情報に関する知識の仕分けが出来てくると思います。

「巨人の肩の上に立つ」とは、

つまり先達者の文献を良く検索し引用すべきということです。

これは自分流かも!?っていうのが研究分野の「新規性」にあたります。研究は新規性が命です。
文献検索もある程度行えていれば、発想が未熟でも、それなりの理由付けがあれば、間違いだらけの研究ではなくなるはずです。

温故知新:古きを温め新しきを知る こんな言葉もありましたね。笑

齋藤孝氏のこの本にも紹介されていますが、まねることで大切なこと、それは・・・

「本書でまねようとしているのは、先人の優れた技術や精神の在り方といったものです。そのためには、看取る力(注意力・認識力)、段取り力、メモ力、アウトプット力、コミュニケーション力、といったものを自分の中に技化することが必要になってきます」

本当にまねること、本気でまねることの意味は非常に奥が深いと感じます。表面的にまねはできても、

優れた人の技術や精神を会得するには、様々な要素があり、自身の注意力を研ぎ澄ませないといけません。

齋藤孝氏、本書の中でこう締めくくっています。

「自分たちが伝統の中にいて、しかも伝統を次に伝えていくという意識を持つことは大事です。まねるということをあまり小さく捉えないで、文化全体として捉えることで、その威力に目覚めて欲しいと思います。」

つまりこういうことです。日常の生活の中で何気なくあるイベント(お花見、夏祭り、クリスマス等々)。これらも実は先人たちが行ってきた習慣や行為のまねです。

一方で私たちが仕事としている理学療法というもの。広い意味で捉えれば、先人たちのまねです。まねしてこそ伝統として文化的に継承していくことができます。

独りよがりにその道を消滅させてしまったら、理学療法の歴史が途絶えます。
協会は必死で守ろうと組織化しています。歴史を途絶えさせないように、強固な組織にするために色々と工夫しているのに、理解得られず協会に属せず、仲間を増やさず、黙々と仕事に励んでいる人も散見されます。

会費が高い、入るメリットが感じられない、と否定されてる人もおられますが、第一には協会の啓蒙活動が不十分でしょう。もっとアピールが必要です。

そして第二の問題は、否定者に逆に質問しますが、協会に属さないメリットは何ですか?と。

理学療法士の文化をまねて、他の理学療法士達の知識や技術をまねて、自分自身の暮らしを豊かにしているのなら、専門職種として協会に属さないというのは、少し考えモノです。自分にとって都合の良い解釈をしていると考えられますね。

アドラー心理学では、この様な事柄を認知論で解釈できます。

岩井俊憲 マンガでやさしくわかるアドラー心理学 
日本能率協会マネジメントセンター 2014

つまり、「人間は外界の出来事について客観的に事実を把握するのではなく、自分の受け取りたいように、自分の体験や好みに応じて主観的に意味づけをして反応します」

理学療法士だと名乗らなくても知識と技術で勝負できるのなら、名称を使わず開業した方が潔いと思います。
しかし、そうはせず、理学療法士の名にすがり、会に属さず、自分の主観的な意味づけで人生を送ること。それもまた自分自身にとって意味あることなのです。

一日約60円という試算が出ている協会費。この金額をどう使うか、使われるかは、自分次第だと思います。

潔くまねること。
本気でまねること。
そうすることが自身の人生を必ず豊かにしてくれます。

僕は断言します。
中村俊輔選手のように左足で曲がるボールを蹴ります。
後日動画に納めます!笑
そのためには
本気でまねることだと信じます。
(もちろん仕事も沢山まねして頑張ります!)

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