見出し画像

多くの写真を見た人間が写真上手くなるなら"評論家"はみんなプロ並みなはず

こんばんは。
久しぶりにnote書きます。
本日は写真うまくなるにはどうしたらいい
を考えていたらふと、沢山の作品を観ろ!って言われたことあるなぁと思い出し、ちょっと疑問に思った点があったのでその疑問点に関して書きます。


沢山の写真を見る事は
写真上達のために
欠かせない事なのか?

沢山の写真集を買い、SNS上の沢山の写真を見て、広告に使用されている写真を眺めて自分の中に沢山の写真を見たよっていう経験値を貯めていったとして必ずしもこの経験値によって写真が上達するとは思えないんです。

なぜならこの経験値によって上達が見込める事になってしまうと写真評論家はみんなもれなく写真が上手い!って事になってしまうからです。
個人的に、そんなわけないなと思うわけです。

なぜなら映画評論家は素晴らしい映画を自身で作る事が出来るか?

格闘技評論家は実際に格闘技で好成績を残せるのか?

音楽評論家が沢山の人間を感動させる楽曲を製作出来るのか?

お笑い評論家自身が人を笑わせる事を仕事に出来るのか? 

と同じで、写真評論家が実際に写真がうまいとは限らないのでは?と思ったんです。

確かに、先人達が残した作品やライバル達の作品をしっかり観察する事は大切な事です。
そこになんの異論もない。やはり写真が好きで撮影してるのだから素晴らしい写真を見る事は何よりも楽しい事ですよね。

だがしかし、観察するだけ·品評するだけでは写真を上達する事は無理だと僕は考えます。


写真を観察して伸びる能力

これは写真を観察する力です。そのまんまです。沢山の写真を見ていれば様々なパターンがある事に気が付いたり、構図の配置にどんな意味があるのかだったり、写真を作った人間の考えをその作品から推察する力が鍛えられるんだと思います。

つまり、写真から沢山の情報を受け取れる能力が鍛えられる。
しかし、それだけでは決して写真は上達しないと僕は考えます。



品評すると伸びる能力


これは伝達力です。
先程の作品から沢山の情報を受け取る能力はインプットの力
この伝達力はそのインプットの力で仕入れた情報を自分なりの言葉に置き換えて第三者に伝える能力でアウトプットの力です。

伝達力は、自分が感じた事を適切な言葉に置き換える言語化能力と、それを伝わりやすい文章にする文章力、話して誰かに伝えるならプレゼン能力、と割といろんな能力が合わさった力なんです。

ここまで書いてて思ったのですが、評論家の方はとても素晴らしい能力を持ってる方なんだなと。
インプットもアウトプットも兼ね備えて無ければ評論家にはなれないんですね。

ですが、やはりこの能力があったとしても必ずしも写真そのものが上達するわけではないと僕は考えます。



写真上達の為に不足している能力


うまくなりてぇ!!!!っていう気持ちです。そもそもこれが無けりゃうまくなるはずがない。

まぁこれで終わっちゃうと当たり前体操すぎるのでもう少し...

写真をうまくなる必要性のある環境·環境に
身を置いているかどうか?

写真上達に欠かせないのはこれだと思います。何をもって写真上達とするかはきっといろんなご意見あると思いますが、ここでは写真上達をこう定義します。

昨日まで出来なかった事が
出来るようになった

写真うまくなる必要性がある環境·状況って何?なのですが、これは

①ライバルに負けたくない
②SNSの数字を伸ばしたい
③うまくなって仕事増やしたい
④自分の表現を追求したい
⑤写真コンクールで受賞したい
⑥好きなあの子にふり向いてほしい
⑦好きな写真家みたいな写真が撮りたい
⑧もっとしっかり被写体を撮りたい

とザッ並べました。
共通点は、「〜したい·ほしい」と自身が願っていて欲している部分。つまり自発的にそうなりたいと思っている事が写真上達を目指す上で何よりも欠かせない要素だと僕は考えています。

理由は何でもいい。
自発的にそうなりたいと思っている事が大切で、その想いを継続しながら写真に取り組めば上達するのではないか?と。

ライバルに負けたくないから今自分はどの部分で劣っているのかを知りたくなるし、知ったらそれをどう改善するかを考え実践するし、SNS伸ばしたいならどんな写真が受け入れられているのかリサーチするだろうし、リサーチ終わったら自分にどの程度それを再現出来るかやってみるだろうし...

これが例えば、あのライバルに負けたくないからライバルにダメージを与えてやろう!とか。SNS伸ばしたいのに伸びなくて「見てる奴らに理解力がないんだ!せかいが悪いんだ!」となってしまうと上達は見込めない...なぜなら自分自身に目が行ってないから。
観ようとしていないから。

ね????

昨日まで出来て無かった事が文章上ではありますが出来るようになってますよね


まとめると、こう!

沢山の写真ずっと見て、あーだこーだと言ってても鍛えられるのは写真に対する観察力と情報処理能力、そしてそれらを言語化したりする伝達力だけであって、それはそれで素晴らしい事ではあるけれど写真上達を目指すのであればこの方法は努力の方向を間違えてるといえるので、写真を上手くなりたい自分なりの理由を見つけて、自分の今現在の写真をしっかりと向き合い続ければ昨日まで出来なかった写真がそう遠くない将来、撮れる様になるのではないか?
という結論に至りました。

つまり、写真上手くなろう!なりたい!って思ってるんならnote書いてアウトプット力ばっかり鍛えてんじゃねぇよ!!!!!という今回も自戒の念を込めた記事になりました。

最後まで読んで頂き誠にありがとうございました!



この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?