見出し画像

【書評】浦出善文『英語屋さん――ソニー創業者・井深大に仕えた四年半』(集英社新書、二〇〇〇)

浦出善文『英語屋さん――ソニー創業者・井深大に仕えた四年半』(集英社新書、二〇〇〇)は、早稲田大学政治経済学部出身の著者が、ソニー株式会社入社二年目の一九八六年六月に本社の人事部長に引き抜かれる形でソニー創業者にして当時は取締役名誉会長であった井深大の「英語屋」(通訳兼カバン持ち)を任ぜられた際の経験をつづった一冊です。

著者は入社初年に会社の負担でサイマルアカデミーの夜間の通訳養成コース(普通科)を受講しており、会社は彼にこの仕事を任せる計画であったようです。

当時の井深の関心はエレクトロニクスから離れ、幼児教育や東洋医学へと移っていました。著者は配属された教育開発準備室で、文体の格調高さが求められる英文レターの執筆や井深の関心に寄り添った通訳に従事することとなります。通訳スキルの向上にあたっては井深の著述や井深の読んだ本に日頃から目を通し、事前に英語に訳しておいたほか、マンツーマンの英会話学校の教員に事情を説明して幼児教育や東洋医学をテーマとしたディスカッションを頼むこともありました。来訪相手を事前に予習し、著書がある場合には入手することも重要だったといいます。またカバン持ちとしては、随行先で井深が相手と交わした会話や約束の内容を秘書に報告する役目も担いました。

一九七六年にソニーでは、幼児教育に井深が注いだ情熱を反映して「トーキングカードシステム」を発表しています。カードを専用プレイヤーのスロットに通すと音声が再生されるという原始的なものですが、著者が任にあたっていたころには音声が反復する「リピートラーニングシステム」も発売されていました。著者は英語屋の仕事の合間にこの部門の教材製作や営業にも関与しています。

著者はアメリカ出張やタイのガラヤニ・ワッタナ王女殿下の来日に際した応接などを経験したのち、一九九〇年末にこの仕事から離れ、営業本部に異動しましたが、数年後、満足できる仕事を求めてソニーを退社、フリーランスの産業翻訳者となりました。本書は独立後に執筆されたもので、この頃にはすでに井深も点鬼簿裡の人となっていました。

以上が本書のあらましですが、ほかにも著者が経験的に体得した英語学習の薦めや、随行の日々で見聞きした井深の為人も語られており、読みどころが多くあります。昭和後期の大企業の名誉会長が送っていた日常のディティールを垣間見ることができるという点でも価値のある一冊でしょう。

ところでこの本を手にとったのは、もしかしたら源氏鶏太に関する言及があるのではないかと思ったからでした。というのは源氏鶏太は昭和二六年に短編「英語屋さん」ほかで第二五回直木賞を受賞しており、浦出著の「英語屋さん」というタイトルは同作を踏まえているのではないかと思われたからです(源氏鶏太の「英語屋さん」はのちに本書の版元である集英社から同名タイトルの短編集として流通していますしね)。あいにく本書には源氏鶏太の話は微塵も出てきませんでしたが、冒頭にある次の記述は興味深いと思いました。

「キミにね、ある人の通訳兼カバン持ちのような仕事をやってもらいたいんだよ……」
 当時、ソニー株式会社の2年目社員であった私を突然本社に呼び出した人事部長は、おもむろにそういった。(…)この異動の話を最初に聞いたときは、「2年くらいの任務」という条件だった。だが結局、それから4年半の長きにわたって、私はその「ある人」の英語屋を務めることになった。
 最初に、ここでひとつだけお断りしておきたい。「英語屋」という呼称をひどく嫌う人がたまにいる。「オレは英語屋では終わりたくない」などと言う人もいる。だが当時の私は、「英語屋」と呼ばれるのがけっして嫌ではなかった。

ここからわかるのは、人事部長が説明した仕事の内容に「英語屋」という言葉はないこと、しかし著者はそれを「英語屋」だと理解していたこと、ただしこの言葉は当時ある程度、認知されたものであったらしいこと、ついでに言えばこの言葉は地の文において「英語屋」として現れており、「英語屋さん」ではないということ(これはほかの箇所でも同様)。

はたして浦出のいう「英語屋」そして浦出の著作名「英語屋さん」はどこから来たものなのでしょうか。『日本国語大辞典 第二版』等の辞書類には見られない言葉です。源氏鶏太が同名作を発表したことによって通訳業が「英語屋」ないしは「英語屋」さんと呼ばれるようになった、ということでしょうか。それとも、源氏鶏太以前からこの語があり、源氏鶏太はそれを掬い取ったのでしょうか。源氏鶏太は本作以前にも「随行さん」「目録さん」といった「~さん」式の短編を執筆していますから、あるいは「英語屋」という言葉に源氏鶏太が「さん」をつけた、ということもあるのかもしれません。このへんを吟味するにはさらに用例を探す必要があるでしょうが、浦出のこの本のタイトルの成立に源氏鶏太が全く影響していないとはどうも思えず、いろいろと気になった次第です。

2021.3.9.追記

著者浦出氏よりTwitterで先の疑問点についての真相をご教示いただきました。

「英語屋さん」という言葉の初出が源氏鶏太の同名短編より前なのか後なのかは定かではありませんが、浦出氏は〈かつて一部の日本企業では、「英語屋さん」という言葉が「英語を流暢に話せるが、それ以外には何の取り得もない人」という侮蔑的な意味で使われていたことは知っていた。しかし、私が勤めていたソニーでは、英語を使える人に対する嫉妬とか羨望のような感情はほとんどなかったように思う。通訳兼カバン持ちとしての私につけられた「英語屋さん」という愛称にも、どちらかというと親しみが込められていた〉(「〔英語屋さんの作りかた〕 (11) 命名『英語屋さん』」)という認識であったということがわかり、大変参考になります。この言葉が〈近年あまり聞かれなくなったレトロな言葉〉(同前)であるという証言も興味深いです。それにしても、こんなにドンピシャのご本人のブログがあったのに見落としていたなんて、お恥ずかしい限りです。

本書が世に出た二〇〇〇年前後といえば、源氏鶏太の逝去から随分経って、一九七〇・八〇年代にあれだけ各社から出た文庫本も軒並み絶版になっていました。また直木賞を受けた出世作とはいえ、表題作として書籍化された回数はさほど多くない短編であるために他の無数の著作の中に埋もれ、また流行作家となったのちに長編型の作家とみなされることが多くなったがゆえに知名度が相対的に低くなってしまったという事情もあったと考えます。浦出氏が源氏鶏太の「英語屋さん」をご存知なかったということ自体が、ある意味では源氏鶏太らしいといいましょうか、この作家の受容史を物語っているように思えるのです。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?