常々ぼくは「普通の国から普通の宣伝にやって来たようなごくごく普通のひとです」と自己紹介します。自分自身をできるだけ客観的に見て、つくづく自分は普通の範囲を超えられてないなあと自覚しているからです。 世の中には普通じゃない人が居ます。それは単に非常識な困ったひと、というのも含めてですが、普通のひとを超えた素晴らしい人というのもたまに居ると思うんです。 普通の程度を超えてる様を「あほ」という言葉で表すことがよくあります。「あほほど足が速い」とか「あほほど面白い」とか「あほほ
4月のある良く晴れた日、午後深めの時間に道を歩いておりました。 たぶん学校帰りのJCが3人、楽しそうに喋りながら通りかかりました。 爽やかな春の空気の中、屈託のない笑顔で笑い合いながら。 3人それぞれ、笑顔に負けない屈託のない春色の声で、爽やかに、 「おめこー!」「おめこー!」「おめこー!」 と、楽しそうに声を掛け合いながら、去って行きました。 春って、シュールだなぁ……。
プロの貧乏人ですが、まだ「貧乏で食べていく」という境地には至っていないので、いちおうゆるゆると仕事もしています。 もともと頑丈な方では無かったので、「ちから」がありません。力仕事は無理です。さらにかしこではないので頭脳労働も無理です。なので、文章を書く仕事をしています。売文業、ナウな言い方で「ライター」というやつですね。 普段使ってる言葉で普通に文章を書いて、それでお金がもらえる。いや、よくぞ世の中にこういう仕事があってくれたものです。 ただ、ライターの仕事は不安定
「甚平はんこんにちは」 「おまはんかい、な、て、えらい早いやないか、さっき確か西宮やゆうてたのに、まだほんの15分くらいしか経ってへんがな。いくらバイクや言うても早過ぎるんやないか?」 「最近ちょっと極めましてん」 「何を?」 「信号のアルゴリズムゆう奴ですわ」 「また何や難しいこと言い出したで」 「つまりね、あの信号ゆうやつ。あら、青は進めですわな」 「そらそうや」 「赤は止まれですわ」 「そんなもん誰でも知ってるがな。大阪のおばちゃんでも十人に二人は知っ
11年前の夏。前職を辞めたぼくは、その年に定年退職された先輩のNさんのヨットに、フィジーからニューカレドニアまで乗せていただきました。1週間あまりの南太平洋クルーズ。コーラを積んでいこうと思っていたのに、出発前に買いそびれてしまいました。 フィジーを出航、リーフを越えて数時間もすると、もう360度どこにも陸地は見えません。 9月の南太平洋は暑さはさほどでもありませんが、日差しはとても強いです。喉が渇きますが、積んでいるのは水とビールばかり。ぼくはビールは一缶も飲むともう酔っ払
翌朝一番に、坂本竜馬記念館に行った。海の見える丘の上の、なかなかモダンな明るい建物だった。正直にいうと、僕自身は今まであんまり坂本竜馬という人のことにそれほど興味が無かったのだけど、やっぱりこうして資料を見るとつくづく面白い人やったんやなあと思った。幕末の日本を走り回って、明治維新の形を作った人、というふうに、大雑把な知識としてしか知らなかったけど、実は日本で初めて新婚旅行に行った人だった、なんて書いてあるのを見ると、ふーん、ほなそれまで、日本の人は結婚しても特にどっか遊び
「久しぶりー、俺、いま奈良に居るんだー」 「あれ、ゴンちゃん? 」 平成十四年九月の中旬、ツーリングに行きたくなる時候の頃。ロサンゼルスに居るはずの奴から、突然電話がかかってきた。お婆さんが亡くなって青森の実家へ帰ってきたのだけど、葬式終わって四十九日まで暇なので、親父さんのバイクを借りて南下してきたらしい。で、今は奈良に居るのだという。 「でさ、明日、竜馬に会いに行かない?」 「竜馬って・・・。四国の桂浜やんなあ」 「そうそう、バイクで桂浜まで行って、
カキオコ。怒り狂った牡蠣のことではなくて、牡蠣の入ったお好み焼き。てゆうか、お好みの入った牡蠣焼き、というくらいにゴロゴロと大きな牡蠣が惜しげもなく入っていて、その日ぼくらはシアワセだった。 帰りにお土産を買いに寄って、こいつと出会ってしまった。カキフライソフト……。 とても美味しい牡蠣フライと、結構本格的にいい味のソフトクリーム。努々それらを分離して味わうことがないように、とのメッセージが込められたようなソースがべったり。 もしもそれぞれ違う場所で巡り会っていれば、わ
二十五年勤めた役所を辞めたのは、平成二十二年の春でした。 たぶんもともとあの仕事は自分には合ってなかったんです。いや、そういう言い方は不遜ですね。ぼくが合ってなかったんです。 就職してしばらく、昭和の終わり頃まで職場の雰囲気は結構緩くていい感じでした。ちょうどバブルに向かって盛り上がっていた時代。がんがん働いてガポガポ稼ぎたい人達は皆さん頑張っていて、ぼくらはそこそこしか稼がない代わりにのんびり人生を楽しんでいて、なんとなく世の中いい感じだったんじゃないかと思います
いわゆる旅好きの人から「あんなものは旅じゃない」と見下され、若手社員からは「なんで休みの日に行かなきゃなんないんすか」と不評を買ったりしていた「慰安旅行」。 「旅」として考えると確かにいろいろ違和感はありますけど、でも「観光バスに乗って楽々移動」「バスの中でいきなり酔っ払い」「目的地に着くやいなや温泉と大宴会」「翌日は酔っ払い組と爆睡組にはっきり分かれたバスの中」というようなのって、見方によってはそれはそれで楽しげじゃないですか。 それにたまにツーリングの途中とかに高速の
日曜の夕方は、なんとなくいつも世界遺産を見ている。今日はドゥブロブニクだった。 市街の中にある公園の噴水は、ヨーロッパによくある、あのどうも意味のわからない「人間の口から水がげぼげぼと溢れてくる」タイプのやつだった。 彼らの美的感覚は、たまに日本人のぼくには理解できないものがある。漫☆画太郎先生っぽいというか。 ドゥブロブニクは要塞都市で、城壁を巡らせて街全体を守っているらしい。基本的に海辺なので、真水は山の川から水路で引いていたのだけど、テレビで見たその水路は溝とい
将来どんな仕事がしたいですか、と聞かれて迷わず「大富豪!」と答えていた、とても天真爛漫な子供でした。成長して立派な貧乏人になりましたが、いずれ大富豪に転職したいです。そして名刺に「大富豪」という肩書きを入れたいものです。 この写真の船はモーターヨットAといって、ロシアの大富豪の方が350億円の費用を投じて建造されたといわれています。全長118メートル、全幅18メートル、6000トン級の個人所有艇です。デザインはあの、フィリップ・スタルクさんらしいです。 めっちゃ目立
アボカドという奴の真意を計りかねている。 付き合いというか、食べるようになってもう長いし、普通においしい。それはいい。 最初は抵抗があった。あの色、あの形のものに醤油や胡麻ドレをかける、という時点で5MΩくらいの抵抗を感じた。ネギトロ丼にとんかつソースとか、メロンに醤油をかけてしまうような罪悪感というか、心の奥底のどこかしらに根ざした抵抗だ。 あの色、あの形。さくっと瑞々しい歯触りを予想させておいて、まるでバターを噛んだようなあの食感。ほんのり青臭くバナナのような甘さ
焼き鳥とかしゃぶしゃぶとか、なんていうかこう、串に刺さってたり薄かったりでぼちぼちと食べるものというか、たとえば丼物みたいに「一気に大入力にならない食べ物」ってありますやん? そして「とても美味しい」もの。 こういうのって、食べ始めた瞬間に「これ、永遠に食べ続けられそう」って思うことがあるんだけどあなたそんなことないですか? なんていきなり今回は問いかけから入ってしまった。 一口一口が軽めというか、口いっぱいにほおばらない食べ物って、最初なんとなく「これでいつか本当
コカ・コーラというとあの独特の形をしたガラス瓶、いわゆるコークボトルというのがまず頭に浮かぶ。 アメリカの古い映画などを観てると、ロックな若者があれをかっこよく飲んでいるシーンが出てくる。 日本でも、むかしボウリングが流行った頃などベンチの横にはコカコーラを置いておく穴というか窪みが作ってあって、投球の合間に飲んでいるシーンをよく見た気がする。めっちゃ子供の頃だけど。 スカッと爽やかコカコーラ。コマーシャルでは爽やかな若者が爽やかなシチュエーションで爽やかに飲んでい
関西には「サンガリア」という飲料メーカーがある。 「いち、にい、サンガリア」とか「国破れてサンガリア」とか、テレビコマーシャルでとてもキャッチーなフレーズを連発するおしゃれな会社なのだけど、製品もなかなか面白い。主に自販機で安く売られるものが多くて、その中に以前「ミラクルボディC」というのがあった。350ccの缶飲料で、デカビタCのような瓶の絵が描いてあって「3本分のおいしさ」というキャッチコピーが添えられていた。 三本分。これはつまり「量が三倍」ということだろう。デカ