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髪を切りに行く

座席に座る。
鏡に映る自分の顔を見る。
頭を洗ってもらう。
ハサミの音がする。
予約の電話を入れる。「明日の15時」。
5分前に店に着く。前の客が終わるのを待つ。
ドライヤーを当てられる。
すきバサミが入る。
美容師が音楽の話題を振ってくる。話が盛り上がる。
店の電話が鳴る。美容師が対応している間、前に置いてある雑誌をパラパラとめくる。
髪が短くなった自分の姿を見ると、自己同一性がほんの少し傾く。
お金を払う。
荷物を預ける。
整髪料をつけてもらう。

ゴキブリの気持ち悪さは、背景とのミスマッチが大きく影響している。もし、彼らが草むらや森にしかいないのであれば、今のような扱いはなかったろう。しかし、彼らはこともあろうに室内に出るのだ。キッチンや寝室に。
その点、蝶などは背景に配慮している。彼らは、常に書き割りを背負って移動しているようなものなのだから。

ある古民家で行われたイベントに、カフェとして出店したときのことだ。
わたしが客のために珈琲を淹れていると、身体の大きな男が現れ、話しかけてきた。
「わたしはある論文を書いているんです」
と男は言う。
「どのような分野の論文ですか?」
とわたしが聞く。
「精神医学、あるいは社会科学に関連する論文です」
「興味深いですね。テーマはどういったものでしょう?」
「『一人の健常な人間が、統合失調という診断を受けた結果どのように変質し、いかにして疎外されていくか』を示すものです」
「面白そうですね。どのような形式で書いているのですか?」
「それは、わたしです」
「と言いますと?」
「わたし自身が、その論文です」
そう言うと、彼は去っていった。
彼は明らかに、論文というのがどういうものか理解していなかった。しかし、彼の言う通り、わたしたちは皆ある考古学を背景に持っており、それによって自分が何者であるかを語りうる。それは、論文にすることができるだろう。そして、それは社会を批判するだろう。
わたしも彼も、キッチンに出てきてしまったゴキブリなのだ。わたしが誰なのかを決めているのはわたしではない。
「わたしは、単にキッチンにいただけなのだ」
ゴキブリの釈明を聞きたがる人はいないだろう。しかし、彼らは(わたしたちは)やはり何かを言わずにはいられないだろう。
目立てば目立つほど叩かれやすくなるのだとしても。

#哲学 #とは #ゴキブリ #蝶 #論文 #統合失調 #精神医学 #社会科学

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