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「永代橋佃しま」−月と篝火の儚いコラボ−『名所江戸百景』

今日は新しいバイトを始めるために髪の毛を暗くしてきました。
せっかく明るい色だったけれどまた重く見えてしまうので化粧の仕方を考えなければいけないです、、。

眉と唇だけははっきりするのがいいと分かっていても、マスクをしていると目がしょぼく見えてしまうのが難点。

難しいなあ、、。

と思っている今日も広重
今回は『名所江戸百景』「永代橋佃しま」です。

◼️ファーストインプレッション

この絵は何度かみたことがある!
自分がまるで船に乗って夜の航海を楽しんでいるような気分になる絵ですね。

左に描かれる柱の下部は緑が入っていて少し苔が生息している模様。細かい演出。
その奥に炎を灯したものだけが船の先頭からのぞいています。
鵜で漁業をするときにこんな炎を灯しますね。
それとは違うのかな?

手前の船から出ている櫂の水面に接している部分だけが少し乱れているのが、船が行き交っていることをよく教えてくれているような気がします。

◼️柱の奥の篝火のわけ

先ほど指摘した柱の後ろに見える炎は篝火で、鵜による漁ではなく白魚漁であるそう。

隅田河口の佃島という中央区の一区域に、隅田川の白魚をとって、食膳に供した漁業者の集団があったことさえ、忘れられようとしている。
(中略)
将軍の食膳に供する魚献上の外、シーズン中白魚をとって、それを城内に運ぶという特別の任務を別に課せられたことから、由緒を尊重する徳川幕府が、彼等が関西から下ってきて間もなくの慶長十八年に、江戸近辺の海川どこでも網を入れて魚猟をしてよいとの特権を与えた。

https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0604t_kiyo26.htm

ここで獲った白魚を将軍に献上していたというのは意外。
その目的のためならここで漁をすることが許されたそう。まさにお墨付きだったのですね。

明治以降は皇居へも白魚が献上されたそう。

東京でもしらすが獲れていたのですね。
しらすと白米を1:1で食べる私にとっては羨ましい話です。

◼️歌舞伎演目との関連

この月と白魚漁による篝火の組み合わせから、「三人吉三」という河竹黙阿弥の演目と関連しているそうです。

三人の同名の「吉三」たちの血縁関係がひょんなことから明らかになっていく物語。
こちらの作品のあらすじには記載はありませんでしたが、お嬢吉三のセリフにこの絵の光景を想起させる台詞があるそう。

月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、[御厄(おんやく)払いましょか、厄落し(やくおとし)、という厄払いの声]ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」

https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/play/play10.html

こちらがお嬢吉三のセリフ。太文字のところがこの絵とのマッチしているとして参考書に言及されています。

広重はこの永代橋あたりの白魚漁を描こうとしたときに、この演目のこのセリフを思い出して重ねたのでしょう。
この光景は間近で篝火を描いてその迫力と白魚のコラボを描くことも狩野だったけれど、月とコラボさせることで、篝火のか弱さと儚さを引き立たせているのでしょう。


◼️描かれた位置

今は夜にライトアップされる永代橋ですが、そもそも江戸時代と橋が違うというのが驚き。

この赤ピンの位置にあるのが現在の永代橋ですが、その少し北に描かれている「江戸時代の永代橋西詰」というところが江戸時代の永代橋
現在のものを北にそのままトレースしたような位置にいるのですね。
その橋の下の柱の元から東京湾に向かって描かれたのがこの絵でした。

本当に自分が白魚漁に参加して間近でみているかのような絵。
漁をしているとは言っても何故か静かな夜の様子である雰囲気が想像できてしまいます。

今日は白魚漁とこの絵に関連した「三人吉三」という歌舞伎の演目についてみていきました。

今日はここまで!

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