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「摂津 住よし出見のはま」−江戸版湘南−『第日本六十余州名勝図会』

今日から花粉症の薬を飲み始めました。
昨夜から目が痒くて眼球を取り出しそうになっていたので早急に薬をぶち込みました。
薬のおかげで目の痒みは消え、くしゃみも効果が切れてから連発するという効果を発揮しました。
明日も朝起きて飲み込まないとバイト中に目が33状態になってしまいますね。


そんな花粉に打ち勝とうとする今日も広重。

今回は『大日本六十余州名勝図会』の「摂津 住よし 出見のはま」です。

国立国会図書館蔵

ファーストインプレッション

ここは昨日の高師の浜よりも海岸沿いとして栄えている印象ですね。
海の向こうからいくつもの帆がやってくるのを見ると、何か真新しいものを見ることができるワクワクを感じますね。

浜ではいくつもの飲食店が立ち並び、一つの町が出来上がっているみたいです。
摂津というと、中世から交易の港として有名な場所ですがその所以が見て取れる光景です。
摂津の中でもこうして橋や塔を真ん中に描いているということはここのトレードマークということなのでしょうか。
当時の地誌を参照してみたいですね。

摂津について辞書や地誌を参照しつつ、住吉の出見の浜についても作品との関連を見ていきます。

摂津

摂津はこれまでの五畿のうちでも最も大きな都市である印象。港がありますからね。

畿内五か国の一つ。古代、「つのくに(津国)」と呼ばれ、務古(武庫)水門の良港をもち、大陸との交易で繁栄。奈良時代を通じて難波宮が置かれ、その後も京都への要地として軍事的・政治的に重視された。鎌倉時代は北条氏、室町時代は赤松氏・細川氏・織田氏が、その後は豊臣秀吉が大坂城を造営して支配。江戸時代は大坂城代と尼崎・三田(さんた)・高槻・麻田の四藩が置かれた。明治四年(一八七一)の廃藩置県後、尼崎・三田の二藩は兵庫県東部、他は大阪府北部となる。浪速。摂州。

日本国語大辞典

大陸との交易もあったという大きな都市。

江戸時代にはどのように描かれていたのでしょうか。


国立国会図書館蔵


『摂津名所図会』「第一巻 出見浜 高燈炉」です。
やはり塔は名所の一つであったようですね。
麓の方に「当夜燈」と刻まれており、夜に灯りをともす当であったことがわかりますね。
誰でも中に入れて、頂まで登ることができるみたい。
今も頂上まで登れる塔や大仏があるみたいなものですね。
麓では路面店が広がっており、人の往来が多かったことが伺えます。

詞書にあるのは伊勢物語の一部の句が刻まれています。

「雁鳴きて 菊の花さく秋はあれど 春の海辺に 住吉の浜」

こちらのページを参考にさせていただきました。

物語の一部なのでここだけ引用しても風景の説明的な句とはなりませんね。


国立国会図書館蔵

『摂津名所図会』第一巻「出見浜 高燈炉」の続きです。
広重の絵よりも左側から浜辺を見ている構図ですね。
塔は見えませんが、橋が描かれています。
橋の上も往来が多く、そこから浜へと続く道には店がいくつも並び、客引きも多そう。中に行くと飲食店となっているのですね。

左の丁には浜で潮干狩りをしている様子も描かれています。
春から夏には潮干狩り、秋には旬のもので美味しい食べ物を販売する。年間を通して人々で賑わう浜辺なのですね。


出見浜

出見浜について日本国語大辞典を参照しました。

大阪府住之江区東部、住吉神社の西側にあった浜。古く、歌枕として広く世に知られ、潮干狩の名所でもあった。
*万葉集〔8C後〕七・一二七四「住吉(すみのえ)の出見浜(いでみのはま)の柴な苅りそね未通女(をとめ)等が赤裳の裾の濡れてゆく見む〈人麻呂歌集〉」

日本国語大辞典

住吉神社についても見ておかなくてはなりませんが、今日はスルーさせていただきます。どんなところか近いうちに調べて読んでおきます。

歌枕として有名で、潮干狩りの名所でもあったというのはまさに先ほど『摂津名所図会』で見た光景と重なります。

万葉集で歌われているのは魅力的な乙女たちを覗き見するための柴を刈らないでくれと嘆く一場面です。
潮干狩りをしている様子か、浜の水辺でキャピキャピしている様子が眩しかったのでしょうか。

万葉集って意外と心の中が露わになりすぎていて、遠回しな表現が逆にドン引きしてしまうような描写がありますね。

出見浜が古代から賑わい、人々の交流の場であったということが想像できますね。

今日はここまで!

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