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「水道橋駿河台」−一家は男子の成長を、武家は一族の隆盛を祈ってる−『名所江戸百景』

昨日は猫の日。インスタやTwitterで猫のフィルターやコスプレで自撮りをアップしている女さんたちで溢れていましたね。
敵を作る言い方笑。
流石に今日は見ませんでした。

最近は導入が長いので早速始めちゃいます。
今回は広重『名所江戸百景』「水道橋駿河台」です。

◼️ファーストインプレッション

なんともキャッチーな絵なのでしょう。
鯉のぼりが風に靡いてうねっていることに迫力を感じるのももちろん、それが川沿いに連なっていることでそのイベント性も感じられます。
川に架かる橋は題名通り水道橋でしょう。
名前の由来を知ってみたいところではあります。
鯉のぼりのうねりのおかげで見られる富士山。
灰色で描かれていますが町を俯瞰するようにズンと聳えています。
全体的に演技の良さや街に希望が溢れていることを感じさせますね。

◼️鯉のぼりがあるということは、、?

鯉のぼりは今も5月になると各地で見られますね。川沿いに大きなものが飾られたり、幼稚園のイベントなどで小さいサイズのものを作ったり。

端午の節句を祝って飾られるものです。

江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武家に移るとともに、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。

https://www.ningyo-kyokai.or.jp/sekku/tango.html

一家の男子の成長を祈る行事。
一緒に兜を飾ったりもしますね。

鯉のぼりは、江戸時代に町人階層から生まれた節句飾りです。鯉は清流はもちろん、池や沼でも生息することができる、非常に生命力の強い魚です。その鯉が急流をさかのぼり、竜門という滝を登ると竜になって天に登るという中国の伝説にちなみ(登竜門という言葉の由来)子どもがどんな環境にも耐え、立派な人になるようにとの立身出世を願う飾りです。

https://www.ningyo-kyokai.or.jp/sekku/tango.html

生命力の強い鯉が川を登る様子に準えて男子の成長を願ったためにできた風習なのですね。
登竜門という言葉の意味も、この竜門という滝を登ると一人前になれるという意味が込められているそうです。

絵の鯉のぼりは子孫何代も繁栄してそうなくらい貫禄のある鯉。笑
これを寄与した一族は相当大きな力を持っていたのだと推測できます。

◼️描かれている場所

題名にもあるとおり水道橋であることがわかるのであとは絵の俯瞰しているところから推測してみようと思います。

この真ん中に架かる橋が水道橋。富士山がある方が南西の方角なので広重の視線は東京都立工芸高等学校あたりからでしょう。

因むとこの神田川沿いの東側にある水色ピンの「神田上水懸桶跡」というところは神田川の水を日本橋神田方面に引くために地上にあった桶があったことを示します。
以前懸桶があった絵を『富嶽三十六景』「武州千住」で見たことがありました。


こちらで懸桶とそのもうちょい長い堰枠というものを見ていきました。

水を川から分離して引いていく懸桶があったことが史跡として今も残っているのが上の地図からわかります。


◼️鍾馗幟も端午の節句のお飾り

この絵のどこに鍾馗が描かれているかというと向こう岸の武家屋敷たちの中の幟の一つに人のようなものが描かれている、それです。

中国で広く信仰された厄除(やくよ)けの神。唐の玄宗皇帝が病床に伏せっていたとき、夢のなかに小さな鬼の虚耗(きょこう)が現れた。玄宗が兵士をよんで追い払おうとすると、突然大きな鬼が現れて、その小鬼を退治した。そしてその大きな鬼は、「自分は鍾馗といって役人の採用試験に落して自殺した者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」といった。目が覚めるとすっかり病気が治っていたので、玄宗は画士に命じて鍾馗の姿を描かせ、以来、鍾馗の図を門にはり出して邪鬼悪病除けにするようになったという。初めは年の暮れの習俗であったが、のちに5月5日に移り、図柄としては鍾馗が刀を振るってコウモリ(蝙蝠)を打ち落としているものが好まれた。これは蝠の字が福に通じることから、これによって福を得たいという気持ちを表現したものである。この鍾馗の信仰は、日本にも伝わって室町時代ごろから行われ、端午の節供を通してなじみが深い。

https://kotobank.jp/word/鍾馗-78974

この太文字にしているところに重きを置いて読むと、玄宗の厄除けをしてくれた鍾馗を邪悪なものに対する悪よけとしてシンボルとなったそう。
それを日本では、室町時代くらいから鍾馗が刀をふるってコウモリを撃ち落としている像が「福を得る」という信仰として流布したそうです。

太田記念美術館河辺暁斎展にいった時に鍾馗が描かれているものをたくさん見ましたが、こういった信仰の像となっていたものだからよく描かれていたのですね。

広重の絵です。
こういう見た目の鍾馗さん。
確かにコウモリみたいな鬼みたいな生き物を退治しているようなところです。
弁慶みたいな大きな体格で威厳が溢れ出ています。

これは北斎の絵。
獅子に乗っている鍾馗さん。
腕の筋肉が隆々としすぎている笑。
ブロックみたいになっていますね。

そんな鍾馗さんを幟に描くことで悪よけにもなるし、その強さを象徴することにもなるから街並みの武家屋敷で描かれていたのですね。

今回は端午の節句、描かれた場所、鍾馗を見ていきました。

今日はここまで!

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