「休み方」から「働き方」を考えてみた!#2
おはようございます!今日は雨でちょっぴりひんやりしている亀岡です!皆さまいかがお過ごしでしょうか?^^
GWの前に【「休み方」から「働き方」を考えてみた!】という記事をアップしました。その際に、「もしも週休二日じゃなかったら?」なんて話も出ていましたが、「そもそも週休二日制って、厳密にいうとどういうことだっけ?🤔」と思ったので、改めて調べて確認してみました👀
ちなみに「週休二日制」をはじめたのは松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんだそうで、1965年には一早く導入されていたそうです。さらに「完全週休二日制」は毎週必ず二日のお休みがあることで、「週休二日制」と混同しやすい…!
さて、調べておりましたら、松下幸之助さんが「週休二日制」を導入されたときに、
このように述べられたんだそうです。
この「一日教養、一日休養」という考え方が気になったので、大西の考えを聞いてみました!
「休み方」を考える上でご参考になれば幸いです!ぜひ読んでみてください^^
Q:「一日教養、一日休養」について率直にどう思うか?
大西:
「一日教養、一日休養」の、「休養」はそうだと思いますが、「教養」としてしまうと、今の時代にそぐわないような気がします。「学ばなければならない」、という感じが業務的でプレッシャーを感じるので、現代の感覚には合わないように思います。
もし僕が敢えて現代的にニュアンスを捉え直して言い換えるなら、「一日素養、一日休養」という感じになるかなと思います。「学び」という押しつけはしない。でも「素養」、つまり精神的な部分で自分を見直す、考え直す、というニュアンスを持たせる感じです。ここに時間を充てたほうがいい気がします。
素養って、知識的なものや技能的なものも含めて、心得や心掛けというところに行きつく。結果それは、自分の着眼点や感性を高めることになると思います。「一日素養」という言葉は、得たものを仕事に生かすという直接的な目的を持つわけではないし、仕事に生かすことを前提にするわけでもない。けれど、後々(人生など)広い意味で役に立つことにつながる、みたいなイメージです。
言い換えるとそれ(「一日素養」の積み重ね)は、「人としての魅力」という感じ。
Q:「一日素養」はどうやって叶える?
大西:
たとえばそれが、美容のこととかであっても良いんですよ。ただ髪が伸びてきたから美容院に行く、のではなくて、髪を切りに行ったときに、「なんか今日の美容院、すごく感じが良かったな。なんでかな?」と考えてみるというか、体験をちゃんと感じてみるというか。接客が心地よかった。どうしてそう感じたのか?みんな明るい雰囲気だったな、とか。
何気なく体験したことから「何か」を学び取るという姿勢は、「素養」になると思う。でも、美容院に行く時点で「接客業を学びに行こう!」と意気込んで髪を切ってもらいに行くのは、「教養」を求める過ごし方のような気がする。微妙な違いかもしれませんが、目的ベースで休日を過ごしたら「教養」で、たまたま過ごした時間の中から感じたものが後々自分を生かす糧になれば、それは「素養」だと思います。
「一日素養」のほうが、押し付けずに人を育てる温度感、距離感みたいなものを感じるので、現代っぽい気がします。
ピンを落としてそこに向かうのも良いのですが、そこから何かを感じること、そしてその感じたことをトリガーに、自分に目を向ける、「何か」に気づき思わず内省してしまうような過ごし方のほうが、良い休日の過ごし方のような気がします。
先ほどの美容院の例のように休日を過ごすことは、前回の記事の繰り返しになりますが自分に与えられた「週休二日」に意味づけをしながら過ごすことに、結果的に繋がるのだと思います。たとえ休日に何か非日常的な、特別なことが起こらなくても、「一日素養」はできる。
松下幸之助さんの仰った「教養」も、もちろんめちゃくちゃ大事だと思います。でも、今の時代に合ったもの、という意味で「週休二日制」を考えるなら、僕は「教養」とは言わず「素養」と言ったほうが近いと思います。
とはいえこれは僕の意見なので、もちろん正解は人それぞれですけどね。
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