創作社会人百合短編小説 タイトル:案外すぐにくっついた。


 恋人と別れた。五年付き合った彼女とだ。正直別れる前兆は一年くらい前からあって、もっと言えば一年半くらいは惰性で付き合っていた。
 もう三十手前になって、今更長く付き合った恋人と別れたくらいでめそめそ泣いたりしない。半同棲していた私の部屋に帰って、元カノが残していった痕跡を見るたびに、私は一人になってしまったのだと痛感するだけだ。
 「……これからどうしようかな」
 怠い。ただただ怠い。何かをやってやろうという気にならない。生きていかねばならないから仕事には行くが、イマイチ身が入らない。定時で上がってさっさと帰って、酒とタバコに溺れる日々だった。
 いつの間にか夜が明け、橙色の日差しが通りを焼く。私はカーテンを閉め切りたくなった。生きるのが面倒になって、でも死ぬほどじゃない空しさを抱えながら、私はまた仕事場に向かうのだ。
 そんな毎日を過ごしていたある仕事帰りのことだった。珍しく残業帰りの私は、一人のスーツを着た女の子が二人の男性に囲まれているのを見た。二人の男は女の子の両脇に手を入れ、持ち上げようとしている。女の子は顔を真っ赤にしていて、どこからどう見ても酔っぱらっている。渋谷では毎晩見る光景だ。
 毎晩見る光景だから、その時もどうでもいいと思っていたはずだ。でも違ったらしい。恋人に占められていた私の心は、その空いた穴が外に開かれていたから。
 「や、だ……」
 確かにそんな声が聞こえた。か細く、人ごみの中でどうして耳に届いたのかは分からない。だが、確かに聞こえたのだ。
 だから私は足を止めた。
 「あの」
 男二人組に声を掛ける。
 「妹が何かしましたか?」
 疑いの目で彼らを睨む。妹なんて嘘っぱちだが、意義を唱えられるのは抱えられている彼女だけで、そんな彼女は酩酊している。
 「もう、いつもそんな酔っぱらうなって言ってるでしょ」
 私は彼らから彼女を奪い取る。彼女の手を私の首に回し、肩を支えた。
 「ご迷惑おかけしました。では」
 思いっきり冷たい声で言ってやったら、男たちはただ茫然として私たちを見送っていた。情けないったらありゃしない、と内心毒づいた。


 人込みから少し外れた所にあるマンションに連れて行く。なんとか私の部屋へ入って、彼女をベッドに放り込む。女の子とはいえ、人間一人を支えるのは運動不足の三十路には堪えた。
 「ねぇ。ねぇ、あなた」
 彼女の肩を揺らす。彼女は低く唸るだけで何も答えない。
 「起きないの? 起きないんだったら服脱がすからね。後で水も持ってくるから」
 新品のようにきれいなジャケットを脱がせて、ワイシャツのボタンを外す。これはあの男たちが為そうとしていたことと同じなのでは? と一瞬頭をよぎった。いやいや、私のこれは救助行為だ、決してやましい心があるわけじゃない。そう頭を振って再開する。
 てきとーに元カノが置いていった寝間着に着替えさせ、冷えた水を飲ませる。言うことを聞いてくれなかったから無理矢理口を空けさせて飲ませた。
 「っ、げほっ、こほ」
 気管に入ったらしい。彼女は大きく咳をし、それを治めるためさらに水を飲んだ。
 「……あれ……」
 そして、自我を取り戻したようだ。大きな目をパチクリさせ、ゆっくりと寝室を見渡す。
 「ここは……あれ、一緒に、誰かと飲んでたような……」
 「あの男どもはここにはいないよ」
 「おとこ……」
 彼女は俯いた。きっと自分の行動を思い返しているのだろう。ただでさえ酒で赤くなった顔が耳まで赤くなった。
 「わ、わた、わたし、男の人とのん、飲ん、飲んで……」
 「結構危なかったんだから。あのままだったら持ち帰られてたかもね」
 「も、持ち!?」
 彼女は頭を抱えた。
 「わたし……なんてことを……」
 「男性とそういうことをするのもいいけど、お酒でなし崩しなんてあんまりよ。自分の意思でやんなさい」
 年上ぶったことを言ってしまう。年上ぶったというか、新品同然のスーツといい童顔の垢ぬけなさといい、間違いなく年下、しかも新社会人だ。この反応からして誰かとそういうことをしたことも無さそうだ。
 うぶでかわいいな……と一瞬邪な気持ちが通り抜けていった。私は何考えてるの、と再び頭を振る。
 「ご、ごめんなさい! わたし、ご迷惑おかけして。し、失礼しま────」
 「あっ、ちょっと!」
 彼女は慌ててベッドから出ようとして、酔いから足を滑らせる。私は慌てて彼女の腹に手を差し伸べた。彼女はくの字になって事なきを得る。
 「まだフラフラでしょ。今日は泊ってきなさい」
 「で、でも……」
 「そんな状態で放り出せないに決まってるでしょ。保護した者は責任を全うしないと罰せられるの。刑法二一八条。分かる?」
 「え? あ、はい。え?」
 ここぞとばかりにエセ法律知識で騙しつつ、彼女をベッドに座らせた。そして手から空っぽのコップを取り上げる。
 「新しい水と、あと何かあったかいものとか、軽く食べれるもの持ってくるから。そこで待ってて」
 彼女はおずおず頷いた。


 おつまみ余りの枝豆と、買いだめしてあったスープをチンして持っていく。彼女はずいぶん落ち着いたようだ。顔もしゃっきりしている。
 「あの、今回は本当に、助けていただいてありがとうございます……」
 深く深く頭を下げてくる彼女に、私は「いいのよ」と肩をすくめる。
 「あなた、あいつらに持ってかれそうになった時『やだ』って言ったの。それをたまたま聞いただけ」
 「それだけで……」
 「ま、まぁ『情けは人の為ならず』とも言うし……」
 感嘆の目で見てくる彼女になんとなく気まずくなる。私はそこまで大人じゃないのよ。恋人と別れて全然気にしてないですよ? みたいな顔しておきながらめちゃくちゃ引き摺ってる女なのよ。
 「見つけてしまったから、これも縁だと思って。そんな硬くならないで。ね?」
 「は、はい……」
 できる限り笑顔になったつもりだが、彼女はますます恐縮してしまう。笑顔の仕方を忘れてしまったみたいで少し傷ついた。恋人と別れてから笑顔なんて初めてだったことを自覚する。
 「そういえば自己紹介まだだったね。私、大塚ナツキ。あなたは?」
 「た、田町ホナミ、です」
 丸っこい顔に愛嬌のある目、大きな口を持つホナミの名前を聞いた瞬間、私の頭に田園風景が浮かんだ。そこでは白いワンピースの裾を揺らしながら、ホナミが後ろ手で手を組み歩いている。ホナミのホは稲穂の穂だろうか。似合う。
 「大塚さん?」
 「ううん、なんでもない」
 名前だけでここまで猛々しく妄想できる私のピンク脳が恨めしい。頑張って外面を取り繕う。
 「ホナミちゃんは、いつもああやって飲んでるの?」
 ホナミはぶんぶん頭を振った。
 「い、いえ。わたし、お酒はてんでだめで。大学時代もほっとんど飲んだこと無くて、飲むとすぐにふわふわしちゃうので……」
 「弱いんだ。その……これ、聞いていいか分かんないけど……何かあった?」
 自分の不器用さ加減にイライラする。私は話し上手じゃないのだ。どちらかと言うと聞き役で、話すのは苦手。元カノがおしゃべりだったから、余計に話下手が深刻になった。
 ホナミは少しばかり悩んだ後、口を開く。
 「……こういうの、会ったばかりの方にお話しするのもどうかと思うんですが」
 私はゆっくり首を振る。
 「いいよ。そういうのって、むしろよく知らない他人の方が喋りやすいことだってあるから。良かったら聞かせて」
 「……あの、実は……」
 ホナミから聞いた話はあまり良い表現ではないが、職場に馴染めなかったというありふれたものだった。
 ホナミは半年間、職場や仕事に食らいついていた。田舎からやって来たらしいホナミは就職で東京に出てきて、ホームシックになるわ友人はできないわ仕事は大変だわで毎日辛かったらしい。
 そしてある日、もう無理と思った。社会人になって初めての社内プレゼンで大失敗をやらかしてしまい、頭がパーンと破裂したようになって、何も考えられなくなり、気付いたら声を掛けられていた男二人に付いていった。そして現在に至る。
 「わたしがダメなのは分かってるんです」
 ホナミは涙を流しながら言った。
 「わたし、あんまり要領よくなくて、あんまりちゃんと喋れないし、覚えるの遅いし、先輩に迷惑かけちゃったし。でもやっぱり、寂しくて……辛くて……でも『新社会人 悩み』で調べるとみんなそうだって言うし……」
 私はいつの間にか彼女の手を取っていた。
 「誰かに怒られたの?」
 そう尋ねると、ホナミは大きく首を横に振った。
 「誰からも怒られなかったです。みんな最初は失敗するって。みんな通る道だって……でもそれもしんどくて……叱ってくれれば、まだ……でも本当に見放されている気がして……」
 「そっか……」
 私は安心させるようにホナミの手を摩る。
 「あのね、ホナミちゃん。誰でも最初はそうだよ。誰でも最初は新しい環境に戸惑って、新しい問題にぶつかっていくんだよ。みんなそうだよ。みんな辛いよ。ホナミちゃんだけが辛いわけじゃないよ」
 「…………」
 「なんてのは大人の意見でね」
 「へ?」
 暗い顔をしていたホナミちゃんがぽかんと私を見た。
 「みんな言うのよ。みんな辛いみんな辛いって。ふざけんじゃないって話よ。みんなって誰よ、具体的に名前上げてみろよって私は言いたいね」
 「あ、あの」
 「大体そうやって言ってくる奴って大抵できる奴なのよね、ざっけんなって感じ。また新人がそう言ってらあ、慰めるのが私の役目、みたいな。そんな上から目線で説教してくんなって私は思うけどね。具体性が無いのよ具体性が。抽象的な精神論ばっか。もう令和で総理大臣も変わったのにまだそんなこと言ってらっしゃる?」
 「えっと」
 「そもそも今までとかみんなとか言われても説得力無いっつの。他の誰でもない、この私が悩んでるのに。どこかの誰かと例え悩みが一緒だとしてもその悩みから出る苦しみは変わんないのに。みんな悩んでるからってどうして私まで我慢しなきゃいけないの? ってならない? 私はちなみになった」
 「そ、そうなんですか」
 「だからね、ホナミちゃん」
 私はずい、とホナミに顔を近づける。ホナミは口をパクパクさせた後、顔を赤くして私から目を逸らした。
 「辛くてもいいよ。悩んでてもいいよ。他でもないホナミちゃんの苦しみなんだから。しっかり向き合ってあげて。もし無理っぽかったら、私も一緒にいるから。力になれたらいいんだけど……」
 そこまで言うと、ホナミは涙をいっぱいに溜めたままふにゃ、と笑った。
 「ごめんなさい、笑っちゃって。でも嬉しくて。行きずりで助けてくれたわたしの話、こんなにちゃんと聞いてくれるなんて……」
 「いや、聞くって言うか、ごめんね。なんか一方的に語っちゃって」
 「いいんです。嬉しい……嬉しいなぁ……」
 また年上ぶってしまった、と後悔する私の前で、ホナミは笑いながら涙を流した。
 「うえええ……うわあああああああ……!」
 今まで泣けなかったんだろう、押し込めていたんだろう、と分かってしまうくらいの涙だった。私はホナミを抱き寄せる。
 「いいよ。泣きな。私が受け止めてあげるから」
 ホナミは私の胸に顔を埋め、これまでの日々を発散するみたいにひたすらに大声を上げて泣いた。


 「……はしたない姿を」
 「いいって」
 鼻をずびずび鳴らしながら謝るホナミを私はいなす。
 「それより、明日はどうするの?」
 「明日……」
 「まだ平日だけど」
 ホナミはしばらく考えて「行きます」と言った。
 「私がまだ頑張れるかどうか、確かめたいです。それに今日のこと謝らなきゃ」
 「うん、わかった。偉いね」
 私は頷いて、彼女をベッドに寝かせた。
 「じゃあ、もう寝な。私は七時に起きるけど、同じ時間でいい?」
 「は、はい。よろしくお願いします」
 スマホのアラームを設定して、ホナミと同じベッドに潜り込む。
 「えっ、ちょっ、ええ!?」
 「何? これ私のベッドなんだけど」
 「い、いえ! あの、わたし床でいいので」
 「そんなこと、お客さんにできるわけないでしょ。良いから寝な。電気消すよ」
 うだうだ言ってくるホナミを、部屋を真っ暗にすることで黙らせる。
 「大塚さん……」
 「ナツキでいいよ」
 「な、ナツキさん」
 ホナミはもぞもぞ身体を動かして、私に向き直った。
 「ありがとうございます。ナツキさんはわたしの命の恩人です」
 私はホナミを抱き寄せた。彼女を胸に閉じ込める。
 「おやすみ。ホナミ」
 背中をトントン叩いた。ホナミはあっという間に寝息を立て始める。私も彼女につられて、気付かぬうちに意識を手放していた。


 「……あれ、ホナミ?」
 アラームの音で目を覚ます。目の前にいるはずのホナミが消えた。隣のシーツを触るとまだ暖かい。
 「ナツキさん、起きましたか?」
 ホナミが寝室にひょっこりと顔を出した。見ると、髪を縛り、エプロンを付けてフライ返しを持っている。
 「……お嫁さん?」
 「な、なに言ってるんですか、もう。朝ご飯もうすぐできるので、待っててくださいね!」
 照れて早口になったホナミは、パタパタとキッチンに小走りで向かう。あのエプロン、買ったはいいけど面倒で全然着なかったやつ……すごい似合ってたな……。まさに幼妻という言葉の体現者だった。
 顔を洗って髪を整え化粧を済ますと、ホナミが二人分の朝食をテーブルに用意していた。フレンチトーストにカリカリのベーコンだ。見るだけで生唾が出てくる。そもそも温かい食べ物すら久々だ。
 「こんな素敵な料理……ほんとにうちの冷蔵庫から生まれた?」
 「素敵なんてそんな……浸して焼いただけですよ」
 「すごいすごい! ホナミちゃん、ほんとにお嫁になってよ。毎日食べたい」
 私は「いただきます!」とフレンチトーストを一口サイズに切って食べる。甘い。温かい。やわらかい。おいしい。これまたホナミが淹れてくれたコーヒーを飲む。ほろ苦い。温かい。おいしい。一人の時食べていたものが本当に食べ物だったのか疑うレベルだ。
 おいしいおいしい言いながら、ふと正面のホナミを見ると俯いてもじもじしていた。ちらちら私を見ていたようで、目が合ったら恥ずかしそうに目を逸らす。
 「食べないの?」
 もぐもぐしながら聞くと、「食べます……」と消え入りそうな声が聞こえる。ホナミはもそもそと食べ始めた。
 「ホナミちゃんって、どこに住んでるの?」
 なんとなしに聞いてみると、ホナミは急いで口の中のものを飲み物で押し込んで答えてくれた。
 「えっと、阿佐ヶ谷です」
 「会社に近い?」
 「はい。それにあんまり人ががやがやしてなくて好きです、阿佐ヶ谷」
 「落ち着いてる感じだよね。私も上京したての頃住んでた」
 「ほんとですか!?」
 嬉しそうに、ホナミの声のトーンが一つ跳ねあがった。
 「ほんとほんと。大学生の時住んでたんだけどね、中野にバイトがあって自転車で通ってたの。駅からちょっと外れてしばらく進んだ、なんていうんだろ、高架下のとこ分かる? そこにタイタンっていう芸能事務所があってね」
 「み、見たことあります」
 「そうそう。私、爆笑問題が好きだからタイタンの前通って『あーここに太田さんがいるんだー』って思いながらバイト行ってた」
 ホナミは「ふふ」とくすくす笑った。
 「めっちゃファンですね」
 「そう、めっちゃファンなの」
 団らんしながら朝食を食べるというのは新鮮だった。とにかく皿の上の減りが遅い。無くならなければ、ずっと話していられるのかな。
 ホナミはきょろきょろ部屋を見渡す。一応掃除はしているはずだけど、そこまで見られると少し緊張する。ホナミは私の顔を伺った。
 「あの、その、これ聞いちゃうと失礼かもしれないんですけど……このお部屋、もしかしてすごく高いんじゃ……」
 「あー、まぁそうかも。私、実は給料いいんだよね」
 「ど、どこで働いてらっしゃるんですか?」
 「銀行」
 ホナミは大きな目をさらに丸くする。
 「ぎんこう……半沢直樹ですか」
 「まぁ、大体そんな感じかな。そこの法務部。大学が法学部だったから」
 「ほうむぶ……それは、それはお高いですね、お給料」
 「でしょ? 私エリートなんだぁ」
 冗談めかして言っても、ホナミは私を羨望のまなざしで見つめる。
 「ホナミはどこで働いてるの?」
 「えっと、ベンチャーなんですけど……」
 「あー、ベンチャーか」
 私は苦い顔をする。
 「えっ、何かあったんですか……?」
 「私の恋人がね、働いてたのよ、ベンチャー。すぐやめたけど。イベント運営系のね。めちゃくちゃ愚痴聞かされたからちょっと覚えがあるだけ」
 ホナミはなぜか寂しそうに目じりを細めた。
 「ん?」
 「あ、いえ、その……よかったんですか? わたし、上がりこんじゃって」
 「いいのいいの。もう別れたから。ホナミちゃんが着てる服、元カノの置いてったやつなんだよ。だから気にしないで。サイズもぴったりでよかった」
 言ってしまってからそれ言う必要あったか? と自問自答した。慌ててホナミを見ると、自分の着ている服を見ながら何かをぶつぶつ言っていた。
 「そっか……女の子もチャンスあるんだ……」
 「ホナミちゃん?」
 「ひぇ、ひゃい!」
 その後も時々挙動不審になるホナミを相手にしていると、あっという間に家を出る時間になってしまった。


 「じゃ、お仕事頑張って。応援してる。でも頑張りすぎないでね。周りに頼ることを忘れないで」
 玄関前で、ホナミの手を握る。ホナミは深く頷いた。
 「ありがとうございます。その、色々。本当に助かりました。ナツキさんがいなきゃどうなってたか……」
 「いいよ。役に立てて私も嬉しい」
 感極まって、ホナミは私に抱き着いてきた。
 「ナツキさぁん……!」
 「おお、よしよし。頑張れて偉いぞぉ、よしよし」
 髪型を崩さない様に撫でてやると、ホナミはくすぐったそうに頭を揺らした。
 「……子供扱いだなぁ」
 「なんて?」
 「なんでもないです!」
 ホナミは名残惜しそうに、しかし自分から離れた。私から一歩分距離を置く。
 「あの、またお話ししたいです」
 「うん、いつでもおいで」
 「お礼もしたいし、その、もしよかったらご飯も作りに行きたいな……なんて」
 「そっちも忙しいのに、いいの?」
 「ナツキさん、すごい美味しそうに食べてくれたから……その顔を見せてくれたら、疲れなんて吹っ飛びます」
 なんて良い子なの……!? という叫びを寸前で押し留める。
 「そっか。せっかくだしおねがいしたいな。じゃあ、そのお礼に泊まってって。食費も出すから」
 「そんな……わたしがやりたいだけなのに」
 「私も幸せなの」
 私がそう言うと、ホナミは満面の笑みを浮かべた。
 「ナツキさんが幸せ……わたしの料理で……」
 「ホナミちゃん?」
 「あの! じゃあ今週末いいですか!?」
 「いつでもおいで。あ、じゃあ連絡先交換しなきゃね」
 「は、はい!」
 ホナミはいそいそとスマホを出す。ラインのプロフィール画像はおめかししたホナミだった。晴れ着を着ているから成人式だろうか、かわいい……。
 「えへへ……嬉しいです」
 「これから不安なこともあるだろうけど、相談してくれたら嬉しいな。力になれるといいけど」
 「絶対なれます! あ、いや、私が言うことじゃないか」
 「あはは。もう、かわいいなぁ」
 焦ってきょろきょろするホナミが可愛くてつい口に出してしまったが、どうやら不審に思われなかったらしい。このまま頼れるお姉さんポジに居続けたいものだ。
 「じゃあ、また連絡します!」
 「うん。また今度会おう」
 マンションの前で別れる。私は彼女に背を向けて歩き出す。
 「ナツキさん!」
 自分を呼ぶ声がする。振り返ると、歩道橋の前で信号を待っているホナミがいた。
 「なーにー?」
 大声で呼び返す。ホナミは大きく息を吸った。
 「好きですっ!!」
 言葉に殴られたような感覚。
 ハッと気づいたときには、ホナミは走り去っていた。
 「好き……って。まさか、ね」
 きっと親愛の好きだろう。そう自分を納得させて、けれどなぜか胸がドキドキして収まらなかった。


 「起きて、ナツキさん」
 どこかから声がする。
 「起きないと、ち、ち、ちゅーする、けど……」
 ちらりと目を開けると「は、恥ずかしい! 何言ってんのわたし!」と悶えている恋人がいた。
 「ホナミのキスが無いと起きられないなぁ。むにゃむにゃ」
 隣は「もう! ナツキさんはー!」という声と共に布団をポスポス叩いてきた。
 「じ、じっとしててくださいね……」
 頬にしっとりとした柔らかい感触が訪れる。
 目を開けた。朝日に照らされた恋人が佇んでいる。
 「おはよ。今日も好きだなぁ」
 「ば、ばか。わたしも好きですよっ」

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