BAHAMA KITCHEN / 開業編 其の三
はいども、オッティです。
今回は、自分個人的な側面から飲食店を創るに至る出来事や思考を残していきます。
自己紹介編で書いてきた通り、20代の頃はダンス、DJ、バイトの生活だった。
バイトとして働くにあたり、結局手っ取り早いのは飲食店かな、という雰囲気だけで業種の選択に特別な理由はなかった。
とりあえずダンス、DJするにも生活費なんとかしないとな、くらいの感じ。
飲食店でバイトはしていたが当時の思考を正直言うと、特にお店をやりたいという夢があったわけではなく、どの時代のどこにでもいる、ちょっとダンスが得意なだけの20代の若者だ。
初めのきっかけは20代半ばの頃だったか、ダンスのワークショップで訪れた札幌(たしかw)だった。
その時のワークショップをやったダンススタジオが、なんとカフェ?かなんかの店内にあるのだ。
スタジオへ入るには一度木造りで良い感じの飲食店に入り、その店内の一角にある扉を開けるとそこにはダンススタジオが、という当時の自分にはなんとも斬新なロケーション。
あまり詳細な記憶はないが一応飲食店でバイトもしていたので、浅い知識ながらも店の雰囲気には興味もあり、踊った後に飯食ったり呑んだりできちゃうのか〜、めちゃいいな〜、と感じたことは記憶にある。
店のメニューがどうとか、雰囲気がどうとかでなく、いろんな空間的、時間的要素が1箇所に集約されていることに興味をそそられた。
今考えれば、DJというのは音楽を使ってその瞬間、時間、場所をコントロールし、お客さんの気持ちや感情を引き上げて空間を演出し創り上げる作業だが、既にDJ活動をしていた自分が持ち合わせていたであろうこの感覚と、ここ札幌のカフェ兼スタジオという空間の組み合わせに、どこか好奇心をくすぐられたのだと思う。
まぁその時はそのくらいで、その後のライフスタイルは変わることなく時は過ぎてゆく。
多少話が前後するかもしれないが、同じく20代の頃、ダンスで仲が良かった仲間の一人の家に一瞬居候させてもらっていた時期があり、その彼はバーテンダーのバイトをしていた。
居候させてもらっていたくらいなので当然仲良くやっていて、前述の札幌での影響もあってかその彼と、もう店とスタジオやっちまおうぜ、みたいな若く勢いだけの夢物語を語るようになっていた。
さすがに居候生活は早々に終わらせたが、長いこと仲良くしていた彼とそこからいろんな計画を練り始める。
他の仲間にも相談しながら、自分はその当時バイトしていたオーナーからもアドバイスをいただきつつ、事業計画書なるものが作成必須ということで、比較的得意だったPC作業に着手。
とある知り合いが事業計画書を貸してくれて、それをコピーするような形で数字だけ当て直し、その時のやりたいことを落とし込んでいった。
少し経った20代も終わる頃か、当時お店をやっていた友人が閉店、撤退するということで、沢山のテーブルと椅子などの什器を譲ってもらうことになり、車で運び出しいったん家にぶち込んでおく、という無計画な行動に出る。
さらには業務用冷蔵庫も処分する、ということでこちらもピック。
さすがに家には置けないな。
冷蔵庫は工場かなんかに勤めているまた別の友人のご好意で、いったんそこにスペースあるからということで預かってもらった。
マジで順番めちゃくちゃで勢いだけのしょーもない若造だ。
飲食店什器を譲ってくれた友人、冷蔵庫を置かせてくれた友人とはその後なかなか疎遠になってしまい、テーブルと椅子は実家に持ち込み、冷蔵庫はそのままその工場に。
ということはだ、この当時のこの無鉄砲な計画が実ることはなく、否、実らせる程の知恵も財力もなく、個人的には無責任な黒歴史となる。
このあたりは本当に迷惑をかけてしまい、歳を重ねた自分としては本当に謝りたい。
もうごめんなさいでしかない。
つづく〜。