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メガバンアラサー男

昔マッチングアプリで出会ったメガバンアラサー男。
待ち合わせに現れた瞬間、彼は私を文字通りつま先から頭の先までぐるりと見た。嫌なやつだと思ったし分かりやすい人だとも思った。
その瞬間、彼にとって私はタイプじゃないとわかったしそれは私もそうだった。 あぁ今日はくだらない夜になるな。

連れていかれたのは表参道にある煙もくもくの安い居酒屋。きっと表参道で1番安い居酒屋。
彼が思う『1番どうでも良い人』が現れた時に連れて行くお店なのだろうと悟った。
店に入ると表参道の“表”にはいないようなクタクタのおっさんたち。それと申し訳程度の若くてピカピカの美容師さんでいっぱいだった。

初っ端から男は、何故か私に自分の勤務先を聞いてほしくて堪らない様子だった。初めましてなのに青い紐のついた会社のセキュリティカードを首から下げたままでやってきた。ネクタイは外していた。
でも私は彼に聞かなかった。
10年近くフリーランスやってる私には世間のランク付けなんてとうに分からなくなっていた。
と、言うよりも分かりたくないからフリーランスになったのかも知れない。

メガバン男はマッチングアプリで初めて会った女に聞くようなテンプレートの質問、つまり私の些細な情報、例えば出身地や休日の過ごし方など一つとして聞かなかった。
その代わり、終始なぞなぞのように自分の会社での立ち位置や業務内容、苦労話を話し続けた。私が会社名を当ててくれるのを待ちながら。

しかしそのどれもが私には関係のない、どうでも良い、たかが東京のどこかの高層ビルのワンフロアの中で起きた、いわば『時間潰しの愚痴』にしか聞こえなかった。
今日という日を早送りさせるための愚痴。

自分の身銭や安定した生活を捨ててまで人生を磨いてきた自負のある当時の私にはどれも魅力的な話ではなかった。
会社の金で作った実績。会社の名前で作った地位。会社の中だけで使われているカタカナの長くて賢そうな役職名。 用意されたパソコンにデスク。コネや取引先。全部会社がくれるもの。

それでもきっとメガバン男にとっては自分の会社名が女性へのとっておきのサプライズでありプレゼントなのだろう。
だけど私は聞かなかった。聞いたって本当にそれがどんなものか分からないから。 延々となぞなぞが繰り返された後にメガバン男はふと言った。

『だけど合コンとかしててもみんな僕の出身大学や会社名にしか興味ないんですよ。中身を見てくれる人になかなか出会えないんです。なんでだと思いますか?』

巧妙なボケだと思った。少なからず賢そうだし。きっと会社でもそれなりにきちんとやってる。
背もうんと高くて綺麗な黒髪のツーブロックは毛先だけ色っぽくパーマがかかっていた。
きっと合コンにも行きまくってて、女の子が喜びそうなお決まりの鉄板トークも出来るんだろう。
そんなメガバン男の渾身のギャグだと思った。 壮大なフリ。すごいな、とこの男に対して初めて感心した。面白いな。全部フリだったのか。

そう思い『すごい!!ギャグですか??』と私はその日1番大きな声で笑いながら言った。
彼はキョトンとしていた。
声も出さず真っ黒な瞳でその日初めて私を見つめた。あ、キレられるな、と思った。

ただでさえその日の私は“1番どうでも良い人用”に用意された居酒屋に連れてこられて、誰とも知らない他人とした合コンの愚痴を話されていたのだから。彼が今キレるのなんて簡単だろうなと思った。

だけど彼は心底不思議そうに『なにがですか?僕真剣です。ギャグじゃないです。みんな僕の会社名と年収にしか興味ないんです』と言った。
ここまで来ても私はまだギャグだと思っていた。私にそうしているように、きっと彼は女性の前で自分の会社名にまつわる会話しかしてきていないのだろうから。

あぁ今夜は面白い夜だな、と思いながら私は言った。
『だって今日ここに来てからあなたは自分の会社のことと、どれ位の年収なのか相手の想像を掻き立てるような話しかしてないじゃないですか。それ以外の話してないんだからそれについて話すしか無いでしょう』
彼は本気でハッとしていた。
人間の瞳がぐらぐらっと揺れるのを初めて見た。
それでも私は続けた。
『自分の中身について評価して欲しければ中身についての話をすれば良いんじゃないですか?』
だけどそれはきっと彼には無理なんだろうと思った。
彼の中身は会社名と役職と年収とリッチな生活で出来ている。彼の中身はそれが全てだと彼自身がそう示しているのだ。

ぐらぐらした瞳のままの彼に手を差し出され何故か握手をした。
狭い居酒屋のカウンター席に座ったままがっちりと握手をした。 彼は何かを感じたのかその後はほとんど何も話さず、瞳はずっと宙に浮いていた。 そしてもうそのままその日は店を出た。 何故かまたギュッと握手をしてその場で別れた。

煙もくもくで苦しい店から解放された私は澄んだ空気が恋しくて人がまばらになった表参道を明治神宮前まで歩いた。
今夜は面白い夜だったな、と思った。
明後日会う高校からの親友にどうやって今夜のことを最大限面白く話そうか、頭の中で話の構成を考えるのが楽しかった。
彼の顔が腹話術の人形にそっくりだったことを思い出し『腹話術男』ってあだ名も付けた。
腹話術男、青い紐のセキュリティカードを首から下げた腹話術男。 首輪みたいに結び付けられた皆が羨むメガバンクのセキュリティカード。
元気でいてね。幸せに生きていこうね。あぁ、楽しい夜だったな。


(Twitter投稿時より誤字訂正、加筆修正しています)


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