すべての『SEED世代』へ、これはぼくらの同窓会だ! 【ネタバレ有】劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想・考察【前編】
どうも、格ゲーマー兼Webホラー小説家兼、ガノタの大萩おはぎです。2024年1月26日より、劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』公開されましたね!
ぼくも早速観てきました。
そして観終わった今、結論から言えば――。
めちゃくちゃ面白かった!
興奮冷めやらぬ今、この感動を共有したい! と思い感想記事を書くことにしました。
というわけで本noteの内容は以下になります、
ぼくとSEEDとの出会い:ネタバレ無。主に自分語りエッセイなので感想・考察が読みたい方は飛ばしてOKです
ガンダムSEED FREEDOM感想:ネタバレ少
ガンダムSEED FREEDOM考察【前編】:ネタバレ大
1.ぼくとSEEDとの出会い
年齢がバレるから嫌なんだけど……。
ぼくとSEEDとの出会いはちょうど小学校から中学校に上がったあたりだったと思う。
小学校の頃はみんな普通にアニメを視ているものなんだけど、さすがに中学に上がる頃にはアニメを”卒業”する子も出てくる。
アニメは子供向けだから恥ずかしいだとか、オタクとみなされたくないから意図的に離れたくなるだとか。
当時はまだオタク差別という古い価値観が燻っていた時代だったので、「中学になってもアニメを視続ける」ということは即ち、「オタク=イケてないグループで生きること」を覚悟できるか否かという岐路に立たされることを意味していた。
ぼくが小学校時代に視ていたアニメは少年漫画(ジャンプ・サンデー・マガジン)のアニメ化を中心とした夕方~ゴールデンの少年向けアニメであり、所謂”オタク向け”ではなかった。
ガンダムや深夜アニメといった、オタク向けコンテンツとはほぼ無縁だったと言って良いだろう。
小学校時代の大萩おはぎは、アニメは普通にみるものの娯楽の一つとしてしか捉えておらず、特別な意味を見出すことはなく、考察や設定をアレコレ深く楽しむこともない。オタクではない単なる普通のアニメ視聴キッズでしかなかったのだ。
――『機動戦士ガンダムSEED』と出会うまでは。
ガンダム大地に立つ!!
そんな思春期始まりたての微妙な時期に出会ったのが、そう。SEEDである。
まあハマった。ハマってしまった。もう取り返しがつかないほどに。
まず関連書籍を買った。買いまくった。
これまで少年向けアニメを見て面白いと思ったら何をするかって、「原作漫画の単行本を買う」これくらいのものだ(『シャーマンキング』にハマりすぎてホロホロの夢小説を漁りまくった過去から目をそらしながら)。
しかしSEEDのハマり具合は違う。なんせ原作のないオリジナルアニメにハマり、リアタイで追うのは初めての体験だったからだ。以下に、当時のおはぎ少年が何をやったかを羅列してみよう。
ガンプラを買う:HGデスティニーの出来良かったよね。
設定解説本を買う:当時たくさん出てたけどお小遣いはだいたいここに注ぎ込みました。
声優ラジオを聴く:豊口めぐみさんの種ラジ、ボロボロのラジオの前で待機してました(ラジオを聴くまで豊口さんのことを「とみぐちさん」だと思っていました。ごめんなさい)。電波が入らなくてラジオを抱えたまま部屋の中ウロウロしてね……。
『スーパーロボット大戦』にハマる:”漢(オトコ)”ならゼオラの乳揺れをガン見した過去くらいあるはずさ。
感想サイトを巡る:『ルナマリア様が見てるhttps://www5e.biglobe.ne.jp/~hiro-har/luna.htm』当時腹抱えて笑った覚えがあります。
二次創作小説を漁る:二次創作小説文化にはここで触れました。当時は個人サイトがメインで、
ムフフ♡な小説を読むには隠しリンクを発見しなければならないのでサイトの中をくまなくクリックしていたのはいい思い出。イベントに行く:なんのイベントだったか詳細を忘れてしまったのですが田中理恵さんやHIGH and MIGHTY COLORが歌っていた気がする……。
漫画版、小説版を買う:そりゃそうよ。後藤リウ先生の小説版SEEDだけではなくアストレイの小説版も読んだよ。
アニメ雑誌を買う:↓
こうして「アニメにハマってオタクになるか」「アニメから卒業してオタクにならないか」という岐路に立たされていたおはぎ少年は、立派なオタクの道を歩み始めたのでした。
ありがとうガンダムSEED、あなたが初体験を奪ってくれたおかげで今でもぼくは立派なキモオタです。すべてあなたのおかげです。
ゆるせねェよ……。
この気持ち、まさしく愛だ!
こうしてアニメをただ見るだけではなく、それに関連するコンテンツ「設定解説本」「声優ラジオ」「二次創作」「感想サイト」「グッズ(プラモ)」「イベント」「ゲーム」にも手を出すという行動にいざなうこととなったSEED。
今で言う「オタ活」初体験というわけだ。
その後も順調にオタク化が進んだおはぎ少年。
中学時代中盤~後半に待望の続編だった『SEED DESTINY』が放映され、生まれて初めてアニメに対して「本物の怒り」を覚えるという体験をしてしまったのもそれに拍車をかけた。
アニメは楽しい、面白いだけではなく、「怒り」まで感じさせてくれるという経験は、アニメを単なる娯楽ではなく人生そのものにまで昇華してしまう危険を孕んでいる。
ハマる――とはそういうことだ。
愛すればこそ憎しみも感じる。無関心であれば、こんな憎しみは生まれなかっただろう。
ぼくは『SEED』でアニメへの深い愛を。
『SEED DESTINY』でアニメへの深い憎しみを学んだ。
こうしてぼくというアニオタは創られたのだ。
さらに終盤に『ぱにぽにだっしゅ!』という深夜アニメを視てしまったことでアニオタという地獄から逃れられなくなるのだが、これはまた別の話(さらに付け加えるなら『D.C.S.S.』という深夜アニメにも脳を破壊され、「アニメは楽しいだけではなく怒りさえ感じさせてくれるモノである」という認識を深めてしまったのもこの時期だ)(『D.C.S.S.』と『SEED DESTINY』には「前作主人公(ヒロイン)の扱い」という点で関連性があるのだが、これもまた別の話……)。
で、推しキャラは?
『SEED』ではフレイ・アルスター。
『SEED DESTINY』ではシン・アスカである。
当時のぼくは思春期、反抗期真っ只中であり、「脚本に優遇されている」と感じたキャラクターをあまり好きになれない傾向にあった。
だから『SEED』では3ヒロイン(ラクス、カガリ、フレイ)の中で一番不遇な人生をたどるフレイを応援してたし、『DESTINY』では「前作主人公に主役を奪われる」というとんでもない結末をたどるシンを応援していた。
今でもこの2キャラが好きなのだが、良くも悪くも大人になり素直にストーリーを楽しむようになった現在では、この子たちが好きな理由は脚本への逆張りだけではない。
彼らはずっと運命に翻弄される普通の人だったからだ。
そういう弱い人間に愛おしさや可愛さを感じる。
意志が強く、世界をなんとかしようと頑張るキラやラクスと違い、こういう弱さに人間性を感じるのだ。
当時、特にDESTINYで顕著だったが、シリーズ通しての主役カップルたるキラとラクスの「弱さ」を感じられないまま活躍ばかり盛られたが故にぼくは彼らに一切感情移入できなかった。
今ではストーリーを読み解くことで、彼らも彼らなりに苦悩していたんだとわかるが、やっぱりその辺は『DESTINY』の描写不足もあったとおもう。
そして後の時代、欠落していると感じられたキラとラクスの「人間性」は約20年後、『SEED FREEDOM』で補完されることとなる……。
2.ガンダムSEED FREEDOM・感想(ネタバレ少)
初日に劇場入りしたものの
客層は主に男性、年齢層は……おそらくぼくと同年代くらいが多そうだった。所謂『SEED世代』だろう。
しかし男性向けのアニメ映画と比較するとかなり女性客も散見されたと思う。それもそのはず、『SEED』シリーズは女性人気も相当あったからだ。
だからって『SEED』をきっかけに女子と仲良くなれていたかというとそんなことはなく、女子からは忌み嫌われてきたのだが。
物販にも長蛇の列が出来ていた。
初めて見た……近所の映画館は新作映画でもあまり人が入らないというか、物販が並ぶなんて光景は珍しい。
列に並ぶのが苦手なぼくはとりあえず物販は後回しにして、映画を見ることにした。
め、めちゃくちゃ面白いぞ!
映画が始まる。
正直、「半分期待」「半分不安」くらいだった。
だってあの『DESTINY』を送り出してきたSEEDスタッフやで? 監督やで? 行けるんか?
『SEED』は好きだが、それ故に裏切られる経験を負っているぼくは「過度な期待はしない」という心構えで映画に臨んだ。
それが間違いだったことはすぐに思い知らされた。
まず劇場版の作画! 動画! 豪華すぎる画面の圧!
バンクシーンや塩戦闘(具体的に言うとシンがインパルスでウィンダム数十機を相手している間にアスランのセイバーがカオスとくるくる変形しながら遊んでいたアレである)で尺を稼ぐことが定番になっていた『SEED』シリーズでこんな本格的な戦闘が見られるなんて!
もうテンションは序盤からMAXである。
『SEED』はロボットアニメの中で比較的ミリタリーやリアル路線を意識する(こんなことを言うと「Gガンは?」とか言われるのは想像に難くない、ガノタは面倒くさい生き物だ)ガンダムシリーズの中において、キメポーズやヒロイックな演出を多用する作品である。
よく言えば『外連味』がありハッタリが効いている、悪く言えばハッタリだけで使いまわしや動かない戦闘が多い傾向があった。
そんな中、外連味はしっかりと継承しつつディティールの細かい高速集団戦闘をしょっぱなから突きつけてくるとあってはもはや期待せざるを得ない。
この映画は、『SEED』の豪華版だ!!!!
『復活のルルーシュ』を彷彿とさせる同窓会映画
本作には『SEED』『DESTINY』のキャラクター、メカがふんだんに再登場する。
かつて『SEED』『DESTINY』を好きだった人たちへ向けたファンサービスがたっぷり詰まっているのだ。
これは同じように、本編TVシリーズが終了してからかなりの年数が経ってから公開された続編映画として『コードギアス 復活のルルーシュ』を彷彿とさせる。
『SEED FREEDOM』は同窓会映画だ。
同窓会というのはキャラクターやメカが集まってくるという作中の出来事のみを指すのではなく、劇場に集まってくる『SEED世代』の我々も含んでいる。
劇場は当時のキャラクター、当時のメカ、当時の視聴者。すべてが一同に介する場となっていた。
映画を映画館で観るということは、単にストーリーを追ったり画面を見たりすることとは違う。
昨今、「映画館で映画を観る意義がわからない」という意見を目にすることがあるが、映画館にお金を払うのは単にコンテンツ視聴にお金をかけているのではない。
――体験を買っているのだ。
となると、このような同窓会映画は当時から『SEED』を追っていた友達と映画館を訪れ、映画館を出た後はどっかの喫茶店でぞんぶんに語り合うのが一番の楽しみ方になるだろう。
まさに同窓会である。
ちなみにぼくには当時一緒に『SEED』を視聴して語り合った中学時代の友人がいたにはいたが、その一人として関係は続いていないので語り合えるリアルタイム世代の友達は今はもういない。
詳しくは以下の記事を参照↓
そういうわけでぼくは同窓会には出られなかったのだが、そうではない皆さんはそうやって本作を楽しんでほしい。
青春を懐かしんでほしい。
ぼくにできるのは、せめて同じ『SEED世代』がこのnoteを読んで共感してくれることを願うだけだ。
だからこのnoteを読んでなにかを感じた方は「スキ♡」を推したりフォローして欲しい。よろしくお願いします。
パンフレットを買えなかった漢
さて、劇場で映画を堪能してたいへん満足したおはぎだったが、唐突にこう思った。
「面白かったから感想記事を書きたい!」
だけどメカや設定について多数の疑問点があったのでパンフレットが欲しくなってきた。
上映後も物販には列が出来ていた。人混みな嫌いなおはぎくんだが、ここはさすがに並ぶ。なんとパンフレットには豪華版があるようで、どうせならと豪華版を狙って列に並んだ。
ここで注釈。
ぼくは買い物が苦手だ。コミュ障が極まったせいで極力他人と話したくないぼくは、外食なら可能な限り券売機のある店を選ぶし、店で買えるものも通販で買う。
こんなエピソードがある。
ヨドバシカメラでガラスケースの中のものが買いたい時、店員に話しかけて開けてもらう必要があるのだが、ぼくは知らない人に話しかけるのが怖すぎて4時間くらいフロアをうろうろしながら迷っていたことがある。
そういうときに限って店員さんは「なにかお探しですか?」と話しかけてこないのだ。
なんでだよ? 服屋の店員なんて1秒で話しかけてくるだろうが!!!
はぁ、はぁ……ま、まあ。
『SEED FREEDOM』が面白すぎて豪華版パンフレットが欲しくなったぼくは列に並んだ。珍しくリアル店舗での買い物をするという覚悟を決めた。
やっとぼくの列が来て、心の中で何回もリハーサルした言葉を口にした。
おはぎ「ガンダムSEEDふりっ、FREEDOMのご、豪華版のパンフレットくださひぃ(早口、小声、暗黒微笑)」
めっちゃ噛んでて草。
でも言えた! 言えたんだ! 一回の恥でぼくは目的のブツを手に入れたんだ!
その時だった。店員さんは申し訳無さそうにこう言った。
店員「申し訳ございません、一つ前の方で豪華版は売り切れです」
おはぎ「……じゃあいいです(早口、小声、震え声)」
通常版を買えよ!
そんなツッコミが聞こえてくるが仕方ない。
うるせェぼくが欲しかったのは豪華版なんだよ!!!
キラとラクスの「弱さ」と「人間性」
正直、『DESTINY』は主役がミネルバサイドからアークエンジェルサイドに転換するという意味不明なストーリー構成上、キャラクターの描写不足が目立っていた。
前半に散々苦悩していたシンは後半は主役ではなくなったため成長描写の機会を奪われた。
後半から主役となったキラは何を考えているのかわからないまま活躍を繰り返し事態の収拾に回ったことで、結局2何に悩んでいてどこに着地するのかはわからなかった。
まだ人間性がわかりやすいシンを応援していた当時のぼくに近い感想を抱いた視聴者も多いのではないだろうか?
では、今作『SEED FREEDOM』はどうだっただろうか?
答えはキラとラクスの「人間性」とは何かを描く映画だった。
どういう信念を持っていて何を覚悟したのかわからないままとりあえず目の前の「デスティニープラン」という「悪(らしきもの)」を打ち砕いたキラは、今作でその精算を徹底的に迫られることになる。
そこにはキラの弱さや人間性を丸裸にする物語があった。
そして『SEED』当初から覚悟や信念はキマっているものの、常に冷静で最強キャラであり続けたラクス。
そういうヒロインはあまり好きになれなかった。
今作では彼女は何を求め、何に怯えるのか。そういう「弱さ」を乗り越えて彼女が何を選ぶのか。それが徹底的に見せつけられる。
『SEED FREEDOM』は最強ヒーローと最強ヒロインだったキラとラクスを「丸裸」にする映画だったのだ。
3.ガンダムSEED FREEDOM・考察(ネタバレ大)【前編】
キャラクター中心に考察していこう
さて、ぼくはパンフレットを買えなかったのでメカについては全然わからない。
だからキャラクターを中心に考察していこう。
1.キラ・ヤマト:覚悟の精算
ぼくがかつてキラを好きになれなかったのは、上記に引用した部分が原因だった。
『SEED』の舞台コズミック・イラは終末が近い世界。ナチュラルとコーディネイターという「同じ人間」なのに「どこか違う」種族が互いを根絶やしにするまで戦う世界だ。
そんな戦争の終わらない世界で、人々を管理することで公平な世界を作り出すという解決策を提示したのが『DESTINY』の黒幕ギルバート・デュランダルだった。
彼は巧みな陰謀を駆使して自身の計画「デスティニープラン」を推し進めていたのだが、その陰謀をキラやアスランに暴かれ最終的には倒されることとなる。
上記の引用は、デュランダルに銃を向けたキラという場面である。
しかし最終的にデュランダルを討った(撃った)のはキラではなくレイだった。
「覚悟はある」と言ったキラがその手でデュランダルを殺すのではなく、レイが代わりにやった。
これは脚本家によるキラへの「甘やかし」ではないか? ぼくはそう感じた。戦う覚悟を示すには、デュランダルを撃つ必要がある場面。なのに別人が撃ってしまった。
人を極力殺したくない優しいヒーローであるキラを、いくらなんでも甘やかしすぎている。当時のおはぎ少年は憤慨したものだ。
でもそうじゃなかった。
キラは「甘やかされた」のではなく、「覚悟を示す場を奪われていた」のだと今作を観て理解した。
今作が始まってすぐに、キラは『DESTINY』の後ひたすら戦い続けていたのだと知らされる。ヤマト隊としてシン、ルナマリア、アグネスという仲間がいるものの、彼らに頼ることができず一人でなんとかしようとひたすら前に出て戦いを繰り返すキラ。
彼はデュランダルを倒してしまった精算をひたすら捺せられ続けているのだ。
終わらない戦いの「解決策」を一応は示したデュランダルを否定したということは、キラは終わらない戦いに一生向き合わなければならないということだ。彼が普通に幸せになるのは許されない。
だけどキラはデュランダルを撃つ機会を奪われている。
覚悟を示す場、確固たるイニシエーションを通過しないまま、状況だけを収拾しようと奔走するキラ。
ぼくはキラの「覚悟」という言葉にずっと疑問を呈していた。「覚悟」とかいいながら結局デュランダルを撃たなくていいなんて筋立て、不殺主人公への甘やかしだと。
でも違った。
彼はデュランダルを撃てなかったが故に、ずっと苦悩させられ続けるのだと理解できた。
作中、キラは「何も変わらない」「自分が間違っていたんじゃないのか」と本音を吐露する場面がある。
仮にデュランダルを撃っていたらこんな言葉は許されないだろう。もはや前に進むしかない。でもあの時撃つ機会を奪われたから、覚悟は本当は決まっていなかったから。だから心が折れるのだ。
薄っぺらな覚悟を本当にするには、永遠に戦い続けるしかないのだ。「自分は間違っているかもしれない」「本当はデュランダルが正しかったかもしれない」という疑念を抱えながら。
1,2キラ・ヤマト:やっぱり傲慢だよお前は
作中、(細かなセリフは覚えていないが)キラが他人を頼ろうとせず一人で戦っているとアスランに指摘され、感情的に「みんなが弱いから!」と言う場面がある。
これもまた「デスティニープランを破壊した精算」である。上記の引用の通り、デュランダルに傲慢を指摘されて否定したキラだが、実際彼は傲慢であり、他人と自分を比較すると客観的には自分のほうが能力が優れていると自覚している。
これは本記事当初に引用した場面から何も変わっていない、
キラは優しいが馬鹿ではない。
自分が優れているという自覚はちゃんとある、ということだ。そして他人への見下しという気持ちもある。
彼は実は傲慢な人間なのだ。
しかしそういう傲慢さこそが、彼が完璧超人ではないという証明でもある。これがキラの「弱さ」であり「人間性の発露」なのだ。
事実、ぼくはこれまで好きになれなかったキラを、「みんなが弱いから」と吐露する場面で一気に好きになった。
なんだ、お前ちゃんと人間じゃん……。
言ってやりたいよ、ぼくはキラに……「傲慢じゃないからみんなと同じなんじゃなくて、傲慢だからみんなと同じ人間なんだよ」って。
1,3キラ・ヤマト:力だけが僕の全てじゃない!
今作はデュランダルの影は濃いものの『SEED』の黒幕ラウ・ル・クルーゼの影は薄い。
しかしキラの発言には上記のクルーゼの言葉が重く反映されてる。
今作のキラは、「自分には戦うことしか出来ない」と何度も口にする。そのあげく周囲を弱いとみなしているという本音まで吐露するのだ。戦闘能力の強弱で自他を比較し、自分だけを信頼してしまった。
これはかつてキラが否定した「力だけが僕の全て」というクルーゼの言葉をリフレインしているということ。そう、認めてしまったのだ。
――「力だけが僕の全て」だと。
デュランダルの時と同様、キラが過去に対峙した黒幕たちの思想はキラの中に棘のように突き刺さっており、それは深刻なまでに彼を蝕んでいるのがわかる。
ではキラが主張したかった、しかし自身で否定してしまった「力だけが僕の全てじゃない!」を肯定してくれるのは結局誰だったのか?
ラクスである。
2.ラクス・クライン:完全無欠の歌姫(アイドル)?
ラクス・クラインは掴みどころがない人物だ。
天然系の歌姫でありつつ、冷静な指導者でもある。
両極端などちらの顔も弱さを見せず人間性をあまり感じさせない人物像だとぼくは思っていた。
今作では、そんなラクスの価値観がよく描写されている。
作中、ラクスは作中の敵キャラ”オルフェ・ラム・タオ”(遺伝子的にはラクスの番となる存在らしい)に口説かれるが拒否。
そのうち口論となり強姦されそうになる。
だが冷静かつ毅然とした態度で彼に反論し続け、ついには退けることにせいこうする。
やはりラクスは最強ヒロインである。そう思った、次の瞬間――。
彼女は泣いていた。
そう、ラクスは強がっているだけである。強姦されそうになったら普通に怖いし泣く。人と同じものを恐怖する一人の弱い人間だ。
キラはかつてデュランダルにそう言ったが、こうして今作ではその根拠を行動で示している。
当時はあまり好きになれなかった”最強ヒロイン”ラクスをそこで好きになれた。
2,1:ラクス・クライン:スタイルでもミーアには負けないことを証明する
『DESTINY』で登場するミーア・キャンベルというキャラクターは今でも強く記憶に残っている。
なんせラクスと同じ顔ながら、とんでもない巨乳だったからだ。
視聴者の間では「胸だけ違いすぎだろ」などとネタにされていた。なんならラクスは相対的に貧乳キャラ扱いされていた時期もあった気がする。しかし――。
実は本物のラクスも体型で負けていなかったのだ
今作終盤でなぜかピッチピチのパイロットスーツを装着して戦場に赴くラクス。
観客の目はもはや彼女の尻と乳にしかいかない。
それはもう揺れるしプリンプリンのプッチンプリンよ。
そして十数年越しにぼくたちは知った。
やっぱ”ホンモノ”は違ェや――。
もしかしたらこの記事をこんな最終盤まで読んだ人の中にはまだ『SEED FREEDOM』を観ていないという不届き者がいるかもしれないので言っておく。
ラクスの乳と尻だけで入場料におつりがくるぞ――と。
続きは後編へ
あまりにも記事が長くなってしまった(興奮のあまり一万字を超えた)のでここらでいったん終わろうと思う。
推しキャラのシンについて語り始めたり、アスランのとんでもなさについて語り始めるととんでもなく長くなりそうなのでそれらは後編へ持ち越すこととする。
後編もご期待くださる方がいれば、どしどし「スキ♡」や「フォロー」よろしくお願いします。記事を書くモチベーションに繋がります。
ぼくのnoteを初めて読んだという方も、今後も面白い映画やアニメを見たらこうして考察記事をあげようと思うのでよろしくお願いします。
ではまた、後編でお会いしましょう!
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