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陰キャがイキって成人式に参加した結果→無事精神破壊された話

「いいだろお前、成人の日だぞ」

――とある成人向けビデオより


 2024/01/08(月)。
 今年もやってきた、魔のイベントが。
 ――成人式が。

 こんばんは、格ゲーマー兼Web小説家の大萩おはぎです。
 今回のnoteはぼくの成人式にまつわるトラウマをご紹介します。


第一幕:陰キャがまだ自称だった頃


 201X年。
 20歳、大学生の大萩おはぎ青年は浮いていた。
 今でも浮いているとかそういうことは言ってはいけない
 とにかく一人飯、一人映画は当たり前。授業の情報を交換する友人はおらず単位はボロボロ。居場所はゲームセンター、中野TRFとあとネットくらいしかない。
 留年の不安、無駄に上達する格ゲー技術。

 ……上京してからの慣れない一人暮らしもあり精神的に追い詰められてゆく中で、一筋の希望があった。
 それが成人式である。

 ぼくは地元は関西だが、大学進学の際に東京で一人暮らしをするにあたって、住民票は移さなかった。
 法的には住居を移す際に住民票も移さなければならないが、通学のみを目的とした一時的な居住は(定期的に実家に戻り、卒業後も実家に戻る可能性が高い場合は特に)住民票をそのままにすることも例外的に認められる。
 そういうわけで、誰も知り合いのいない東京ではなく地元の成人式に出席することができる。
 これは陰キャには朗報だった。

 そう、ぼくは陰キャ。友だちを作るのが下手。
 だけど「地元には友達がいる」と思い込んでいたのだ。
 今、陰キャを名乗っている人にも心当たりはあるだろう。
 人生で全く友達が一人もいなかったわけじゃあない。幼少期は友達と呼べる相手くらいいたんだって。ぼくもそうだ。
 陰キャは自称だ。友達はいるのだ。生粋のぼっちなんかじゃない。
 幼稚園~中学校までを共にした同学年の地元の人々は、今でもぼくを歓迎してくれる。
 そう思っていた……。

 この日――までは。
 

第二幕:再会~まるでフリのような~


「おはぎやん、久しぶりやな~」

 会場につくなり、顔見知りがいた。
 小中学校通しての同級生たちだ。気さくに挨拶してくれた。
 ぼくも「久しぶり~」と挨拶を返す。
 そうだ、9年。幼稚園も含めれば最長12年も共に過ごした仲間たちだ。気のおけない友人だ。

 なまじ高校受験に成功して、高校から一人地元を離れたからといって、今更この関係が崩れることはない。

 涙がちょちょぎれそうだった。
 東京で背負った孤独を彼らが埋めてくれる気がした。
 俺たち……ズッ友だよ! 俺、地元に骨埋めるわ! 
 根拠のない地元愛を誇るマイルドヤンキーの精神性をも今なら理解できそうなくらいにぼくは高揚していた。

「久しぶりやなぁおはぎくん。元気やった?」

 その時だった。
 中学時代の友人、Defineディファインがそこにいた。
 重度の中二病で型月厨、Defineというのはそんな彼にかつてぼくが授けた魂の名前ソウルネームだった。
 由来は特になく、中二病が好きそうという短絡的な理由でしかなかったが、とにかく彼は中二病だった。
 そんな彼と近況を話し合っていると、おもむろにこんな発言が飛びした。

「いやーやっぱ洋楽やわ、最近の邦楽はクソ」

 き、キターーーーーーーーーーーー!!!!!
 
やっぱりDefineは期待を裏切らない!
 具体性のない洋楽賛美、そして邦楽批判。理由は不明だが彼は最近洋楽にハマっているみたいだった。
 英語の成績が壊滅的だった彼はそもそも歌詞を聞き取れているのだろうか。それは疑問だが、そんなことはともかくぼくにとってこれは”救い”だった。

 変わっていない!
 地元の友人達は全然変わっていない!
 今でのぼくの友達だった彼らのままだ!!

 こうして成人式が始まった。
 かつての小学校の担任の先生とも再会し、懐かしさとともに式はつつがなく進行した。
 やっぱり成人式に出てよかった。
 地元最高! 大学ぼっちなぼくにだって”居場所”はあったんや!

 なんておはぎ青年は浮かれていた。
 大学で浮いてるぼくが、地元では浮かれていたのだ。
 そこにどんな違いがあるだろうか。
 結局お前なんてどこでも浮いてるだけなんだよ――その現実に直面されるのは、このすぐ後のことだった。

第三幕:青春の終わり


 成人式が終わった。
 ぼくとしては再開した友人たちとこの後も思い出話に花を咲かせたくて声をかけようとする――その時だった。
 参加者たちが固まり始めた。
 式の前までぼくとおしゃべりしてくれていた人たちも、差も当然のように一箇所に固まり始める。
 そして幹事らしき青年(当然ぼくとも顔見知りだ)はこう言った。

「じゃあそろそろ同窓会に移動するから」

 あ……。
 みんなさも当然のように集合する中、集合する理由がわからず集団の一歩外で聞き耳を立てていたおはぎ青年は悟った。
 「これ、自分だけ誘われてない同窓会だ」と。
 ぼっちあるあるだが、都市伝説と思っていた。
 しかし目の前に”それ”はあった。

 ――黄金郷は、ここにあったんだ……。

 っ――いかんいかん、一瞬気絶していた。
 あまりの破壊力に正気を失いそうだった。
 さっきまで普通に談笑していた彼ら友人……友人(?)たちがぼくには目もくれず集合してゆく。
 これからもっと楽しい会合に移動しようとしている。
 当然、ぼくを気にかけてくれる人、「あれ、参加しないの?」と誘ってくれる人はいない。
 いや、いなくてよかった。誰か優しい人に、

「おはぎくんも参加しないの?」

 なんて言われていたら、

「さ、誘われてない……」

 などと魂の自殺を敢行しなければならなかったからだ。
 そうなればぼくは今ここにいないだろう。
 「一緒に行こうよ」なんて言われた日には、たぶん泣きながら断っていた。本当は誘って欲しかった。だけどお情けで誘われる自分が情けなくて、たぶん強がって、その後一生後悔して、消えない傷ができていただろう。
 とにかくぼくは誘われなかった。
 ただどうしようもない絶妙な半笑いで「た、楽しんできて……」などと小声とともに手を振って彼らを見送った。

 リアルに手が震えていた。
 下を向いて、でも涙は流さないようにじっと耐えた。

 ぼくの青春はこの日、終わった。
 友達はいつまでも友達、なんていう子供じみた幻想から卒業して、大人になったのだ。
 それはひどくゆがんだ大人像なのかもしれないが……。
 少なくとも、子供のままではいられなかったのだ。

終幕:陰キャは成人式に行くな


 答え合わせをしよう。

 地元には公立の進学校から私立高校まで進学の選択肢が数多くあり、多くの地元民が地元での進学を選ぶ。
 だから同窓会に行った彼らの多くは高校まで同級生の関係が続いていた。
 対してぼくは高校受験の時点で地元を離れていたので、地元との関係が希薄になっていた。
 だからわかる。理性はこう行っていた。
 ぼくは同窓会に誘われる立場じゃなかった。そもそも東京に行っていたのだから、地元の同窓会に出てくるなんて例外的行動であり想定外なのだ。
 後にそう納得できたが、その当時はそこまでお利口さんじゃなくて、もう他人を信じられなくなっていた。

 「自分には友達がいる」などといううぬぼれが許せなかった。
 「信じられるものなどなにもない」という諦観に飲みこまれるほうが楽だった。
 でもそれまで仲良くしてくれて、希望を見せてくれた友人たちがぼくの手を引っ張って無理にでも連れて行ってくれなかった現実だけは、最後までどうあがいても飲み込めなかった。

 それ以来地元の”知り合い”とは一切連絡をとっていない。
 別に嫌いになったとか恨んでいるわけじゃない。
 悪いのはぼくだ。
 彼らじゃあない。ぼくがうぬぼれていただけだ。
 だいたい、自分からまめに連絡を取っていればこんなことにならなかったんだ。
 自分から関係をつなげようともせずに、なんで勝手に誘われると思ってるんだよ?
 そんな受け身の姿勢でしかないから、ずっとぼっちなんだよ――お前は。

 他人を恨めるほど馬鹿になれなくて。
 自分を変えられるほど賢くなれなくて。
 その後のぼくは東京でも結局ぼっち生活を謳歌することになる……のは、別の話。

 

おまけ 心の傷を黄金に変える

 今では少しだけこのトラウマを”黄金おもいで”に変えられつつある。
 だって貴重じゃあないか。
 「成人式に行ったら自分だけ同窓会に誘われてなかった」だなんて。
 そんなコントみたいな経験ができたぼくは、ある意味幸運だったのだろう。
 誰かに「成人式の思い出」を語る時、「旧友と再開して同窓会が楽しかった」ヤツと「旧友と再開したものの同窓会には自分だけ誘われてなかった」ヤツがいるとして、どっちの話が面白いと思う?
 ぼくは後者だと思う。”他人の不幸は蜜の味”だからだ。

 若者よ、成人式に行くな。
 立ち向かうな。
 後ろ向きに全力疾走したってかまわない。
 もしも行ってしまい、心が傷つけられたその時は。
 このnoteを読んでほしい。自分と同じようなヤツがいるんだなという慰めにしてほしい。自分よりどうしようもないヤツもいるんだなと思って笑ってほしい。自分よりマシだなと思って優越感に浸ってほしい。
 そうやって見切りをつけたとき、あなたの心の傷は”黄金おもいで”に変わるのだろう。


BGM:cinema staff『Name of Love』

 

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