悪口を言う人は、悪口言われる人にどうなってほしいのか考

悪口を言う人は、悪口言われる人にどうなってほしいのか考



仮説1、

心を入れ直して、聖人君子になって、幸せに暮らしてほしいと思っている。という仮説1。

検討

ないだろうな。そもそもそんなに良いことを思う人が悪口を言うとは思えない。



仮説2、

怒りや悲しみや恐怖をもたせて、見えないところにいってほしいと思っている。という仮説2。

検討

もし仮にそうなら、たとえ気に入らない相手が見えなくなっても、きっと他の不満を持つことだろう。お気の毒さまと思うしかない。そして、そうされた方はえらい迷惑であることを、わかってない。



仮説3、

相手を傷つけることによって、相手の心を悪に傾かせるように仕向けて、自分が良い者であることを確かめたいと思っている。という仮説3。

検討

たとえば、悪口を言うことにより、不安を増やして、悲しみや怒りに我を見失わせて、悪い道へ進ませて、「ほおら、私よりも悪い人だった、私の方が正義だ」と思うならば、一時的な快楽を得られると思っているのかもしれない。たしかに、自分の方が良い人間、優れた人間だと思いこむことによって、自分を保とうとしている可能性がある。ただし、相手の気持ちや人格や心等への想像力には乏しい。



仮説4、

相手にどうなってほしいとも思っていない、とりあえず、自分に害がない範囲で、日頃の憂さ晴らしをするひとつの手段として、活用している。その方法の種類としては、怒りとともに言う方法、笑顔で馬鹿にする方法、自分の正しさを訴える方法、かげで盛り上がる話題提供の方法、聞こえるように言って反応を見て優越感を持つ方法、挨拶さえも無視をする方法など、方法は様々。共通するのは、相手がどうなろうとかまわなく、むしろ自分が優越感に浸るためには、相手が幸せであったり聖人君子になったりしては、自分がみじめになるのでいやがる。という仮説4。

検討

自分のことしか考えてない人という印象をうける。人の気持ちへの思いやりが足りないと受け取れる。想像力に乏しい。優しさが足りないと感じる。



考察

悪口を言う人へは、同情はしないで、放っておく方が良さそうだ。自分のことで精一杯なのだと思う。


悪口を言われる人へは、悪く言われた所を直して良くなる場合もないではないかもしれないが、そんなに効果はないと思われる。なぜかというと、悪口を言う人の心は汚い。つまり、心の汚い人の言う事を聞いて自分自身を改善するのは、オススメできない。

できうることなら、いつもそばでほほ笑みかけてくれるような、味方でいてくれるような人のことや、アドバイスの方を大切にすると良いと思う。そして、いつの日か、素敵なひとになって、その大切なひとに恩返しや未来の子供たちへ恩送りをしたい。

大切なひとへの一番の恩返しとは何か?

それは、自分自身が、優しい良い人でありつづけて、幸せであふれて、まわりのひとへも、優しいほほ笑みで、幸せを分け合えるような、女神様や福の神様のようなひとになることだと思う。



ありがとうございました。

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