科学と詩の根本:エッセイ

ノーベル賞物理学者の湯川秀樹さん。

湯川秀樹さんは詩やエッセイが極上です。


彼は科学と詩は同じところからはじまり、同じところへ帰るというようなことを書いてあります。

たしかに。「身近を見つけて、根本を探る」その方法は違っても、流れている気持ちは同じなのかもしれません。



そういえば昔、私が尊敬する叔父は言いました。物理学の正反対には、哲学がある。と。

なるほど。根本のカラクリを解くという見方から見るとたしかにそうかもしれません。


しかし、私には、科学と詩の方がしっくりきました。

哲学の位置づけは、またの機会に。



私は10-20代前半は、科学、宇宙や素粒子や物理学にとりつかれました。

その後は、言葉、詩や詩歌にとりつかれました。


科学は、好奇心からの情熱。身の回りの世界を知りたい。

言葉は、心の中をまとめる安心感。身の回りの世界が心の中へ映し出された時の形容。


なかなか上手くいかない。しっくりこない日々。

しかし、バチッとパズルのピースが決まったときは大変嬉しいものです。


科学研究は、身の回りをインプット、映し出された数式や図表を見つめて研究、言葉数式グラフなどでアウトプット。

詩作は、身の回りをインプット、映し出された心の中で見つめて研究、言葉でアウトプット。


似てる。

と思います。



最近、科学を忘れていました。

詩の方に夢中でした。


そうして歩くと思います。

科学を。詩を。


なぜ草は揺れているの?

共鳴のリズム。


なぜ草は手を広げた形が規則的に並んでいるの?

日光を上手に吸収する方法。


なぜ小待宵草に雫がこぼれそうなの?

雨の雫を人の涙と重ね合わせる、脳ミソのシナプスと発火。


いったい宇宙には、根本のカラクリがどのように在るのでしょうか。

いったい身の回りには、宇宙のカラクリがどのようにあるのでしょうか。


科学はそれらを心の外で研究して、数式やグラフでアウトプットします。

詩はそれらを心の中で研究して、言葉でアウトプットします。



日常の何気ない生活とは、はたして、宇宙の根底を流れる根本から生まれ。

宇宙の根底を流れる根本とは、やがて、日常の何気ない生活のすみずみまでを流れてゆく。


我々は今まさにその途中の道に居て、ポツンと取り残されている。

そのなんとも言えない微妙な立ち位置が、科学研究の醍醐味となり、詩作の味わいとなるのだと思います。


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