お皿の気持ちを理解したい

私、毎朝、大体食パンを召し上がっているんですけど、その際、お皿を使っているんですね。
卵の黄身が滴り落ちて、一生懸命パンで拭いて。
そんな感じで、豊かに生きて。

しかしですね、幸せハッピーグッドモーニングタイムが終わると、地獄の後片付けってもんが残るんですよ。
やりたくないですよね?
そうなんですよ。
でもね、ほら、やらねばならんでしょ?
誰もやってくれないからね。
卵の黄身も、結局全部は取れず、
パンのカスも多少は残り...。
そんな感じのお皿ちゃんを、洗わねばならぬのですよ。

そこでね、今朝、洗浄しながら、ふと思ったんですよ。
これって人間で言うところの、お風呂ってこと?って。

汚れがついていて、それを落とす。
まさに、お風呂ですよね?

人間様は大抵、面倒くさいなと思いながらも、
入ってしまえば、ルンルン気分だったりしますよね。
お皿はどうなんでしょう?
取り敢えず、服脱ぐ過程もゴシゴシする過程も、誰かがやってくれる訳じゃないですか。
お風呂という行為におけるデメリットが、一掃されている訳ですよ。(多分)

こう考えると、お皿にとって洗われている時が、一番幸せだったりするのではないでしょうか。

「おい、こいつ洗剤変えやがったよ〜。
 俺、前のシトラスっぽい匂いが良かったんだ
けどな」
とか
「ちょっ!てめー湯加減ってもん考えろよ!
 火傷するだろ?!」
とか
「いいよー。もっと強くてもいいよー。
 ゴシゴシいってみよう!」
とか言われてるのかもしれませんね。

私自身、お風呂に入るまでに時間がかかるタイプなので(面倒くさがり)、その点、少し羨ましいな。
それでも、人間の都合で汚されて、人間の引き起こした事故死が圧倒的に多い人生だよな。
そう考えると儚いな。
そうだな。
明日から、信じれないくらい、ご丁寧に、お皿を洗うことにしよう。
君に使ってもらえてよかったよって、思ってもらえる、そんな使い方をしよう。
ぐすん。



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