台東区の避難所ホームレス受け入れ拒否騒動、悪いのは台東区だけか? #3

台東区の避難所ホームレス受け入れ拒否騒動、悪いのは台東区だけか?
#1  https://note.mu/oharan/n/n776bbed21bc2
#2 https://note.mu/oharan/n/n24f01a034ea6
#3 https://note.mu/oharan/n/n9b6a6379835a

当初は2回くらいにまとめようと考えていたこの問題、いつものお約束であれもこれもで長くなり過ぎ、今回も全3話という分量でお届けする事となりました。


”税金の再配分” という観点から考えると台東区の対応はNOである

さて、日頃からホームレスを嫌悪し、街の中心地から排除してきた件については、行政だけではなく市民の罪も同じようなものである。
よって、人道的な面から「ホームレスにも人権が!」などと言って正義漢ぶり、台東区を非難するというのは筋違いだと思う。じゃあお前は普段からホームレスの人権のために何かしてるのかよと言いたくなる。

だが、少し視点を変えて「税金の再配分・使い道」から考えてみると、今回の台東区の対応を許す訳にはいかなくなる。
何故なら、台東区のような判断を許すと、それは即ち「支払っている税金の額によって身分が固定化される」事となり、人命にかかわる事であっても受けられるサービスに差が出てしまう。果たしてそれが健全な民主主義社会と言えるだろうか。

税金とは、金持ちは多めに払い、貧乏人は生活に支障をきたさない程度に払い、極貧の人間は様々な支払いが免除されるというのが原則だ。日本では「金持ちが多めに払う」の時点で出来ていないのが問題なのだが、それはまた別の話。

こういう原則のもと、集まった税金で公共の福祉や治水工事など様々な分野にお金を投じ、この国に生きる全ての人々が安心・安全に暮らせる世の中にする……という事になっている。建前としては、そのための税金であり国家である。

という事は、我々が払った税金で賄っている施設だったら、この国に生きる全ての人間が平等に使えなければ話がおかしい。例えそれが住民票を持たないホームレスや外国人であってもだ。
「今この場にいる人間全て」の命を守るために、我々は税金を納めているのではないのか。そうじゃないというなら、一体なんのための税金なのか。日本がそんなふざけた国家だというなら、我々には納税の義務などない。

この点から「台東区の選択は大間違いだった」と非難するなら話は分かる。この一点においては大いに批判すべきである。


正義漢ぶってる連中こそ真の病巣なんじゃないのか?

さてさて、繰り返しになるが行政は過去に市民の皆様の声を受けて、様々なホームレス排除対策を講じて来た。公園の遊具や街中のベンチなどを改造してホームレスが寝られないようにするとか、ホームレスが住み着いている場所があったら強制撤去するとか。
その繰り返しによって、市民の皆様が望む平和な街が保たれ、その代償にホームレス達は川っぺりくらいしか生きる場所がなくなった。

そうしたホームレス対策に対して、一部のホームレス支援団体は常に抗議の声を挙げ続けていたが、それが大きな力となって何かを変えるという事は稀だった。何故ならば、彼らのもとに「民意」が集まらなかったからだ。
我々は、我々日本人の大多数は、行政のホームレス排除を「ヨシ」として来たのである。今さらその事実から逃げようなんて思うな。

こうまで言ったので正直に述べておくが、私が仮に家族で避難所生活していたとして、そこでホームレスと居合わせたら、とても嫌だなと思う。なるべくホームレスから離れたいなと考える。
何故なら、ホームレスって尋常じゃなく臭いじゃない。避難所なんて狭い場所に押し込められて、あの悪臭に耐えられるとは思えない。
それに、ウチはまだ子供が小さいので、絶対に臭いだ汚いだ大騒ぎするだろう。みんなしんどい思いをして避難所に逃れて来たのに、そこでガキんちょどもがホームレスに向かって臭いだなんだギャーギャー大騒ぎし出したら、誰がそんな空間に耐えられるというのか。
おそらく非難者の中からも「ホームレスをよそに移らせられないか」なんて声が挙がるに違いない。容易に想像できるでしょう、そんな光景。

ここまで言ってもまだ「いやそれでも台東区の対応は!」なんて言うヤツは、だったら有事の際に自分の家を開放してホームレスを泊めるくらいの事が出来るのか。本当にそれが出来るというならば、各地にあるホームレスの支援団体に話をしに行って、自分の家を有事の際の支援施設として登録して貰え。そこまでやれるなら話を聞いてやる。

私が思うに、こういう時だけ安全地帯から能書きを垂れるような連中こそが、ホームレスや生活困窮者を追い詰めている真犯人ではなかろうか。

まず第一に、私のような「ホームレスと同じ避難所なんてキツイ」という人間が絶対的な多数派であるという現実から目を背けてはならない。
例えば、電車に悪臭振り撒くホームレスのオッサンが乗り込んで来たら、世の多くのひとは迷惑そうに別の車両に移るか、可能な限り離れるだろ。台東区に差別だなんだとつべこべ言ってるヤツは、あの悪臭に平然と耐えられるのか。そんな訳ないよな。あの悪臭は 「危害」 と呼ぶべきレベルである。あれを間近で嗅がされるとは、すなわち危害を加えられる事と同じ意味だ。

となると、ホームレスを普通に避難所に受け入れるとなったら、多くの市民に 「度を越した悪臭という危害を加えられるけど我慢しろ」と強いる事になる。

それ、誰が納得するの?

むしろホームレスに対する憎悪とか迫害が加速するに決まってるじゃないか。善意のつもりか知らんが、結果的にホームレスに悪い目しか出ないぞ。

だからこそこういう話の時は正直に主張しないといけないんだよ。「あんな臭さには耐えられないから一緒の場所にはしないでくれ」って。
それを押し黙ってしまって、正義漢ぶった連中の声が行政に通ってしまったらどうなると思う。我々は何かあった場合にあの悪臭の中でじっと耐えねばならなくなるんだぞ。その時に行政はこう言うだろうさ。

「ホームレスであっても人権があるのだから、平等に避難所に入れるべきだって市民の声が圧倒的でしたよね? だからそうしてるんです」って。
そういう状況になってから避難所でパニックが起きて、市民たちが実力行使でホームレスを叩き出すような事件でも起きたらどうすんだよ。

なので今の内に堂々と自分の本音を言っておく。私はホームレスと一緒の避難所なんて嫌だ。絶対にあの悪臭には耐えられない。こっちは税金を払ってるんだから、あの悪臭が気にならない人だけで固まれるよう、避難所を分けてくれ。
当然だけど、人権がうんぬんと正義漢ぶってる人たちは、今後何かあったら迷わずホームレスと一緒の避難所に閉じ籠って欲しい。

私の主張と正義の人々の主張、どっちがホームレスのためだと思う?

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