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旧柳川藩主・立花家のお盆のお話

みなさまこんにちは。
柳川藩主立花邸 御花です。

障子を開けると爽やかな風が駆けてゆき、風鈴を鳴らす。縁側に佇むのが気持ち良い季節になりました。

御花の縁側。緑の松が美しいです。

今回は立花家のお盆のお話。

現在も御花を営んでいるのは、柳川藩主の末裔。
旧柳川藩主・立花家のお盆では「立花家のご先祖」および「旧柳川藩戦没者」を供養します。

旧柳川藩戦没者とは

旧柳川藩戦没者とは、立花宗茂の義父である戸次道雪の初陣から戊辰戦争までの340年間に立花家を支えて戦没した家臣およそ580名のことです。

長い歴史を感じずにはいられません。
そして、先祖と戦死者を共に供養する旧大名家は、立花家の他にはあまり例がないそうです。

立花家のお盆は、一般的なお盆よりも1か月ほど早く、毎年7月13日にお迎えして7月15日にお帰りいただくまで、行事がございます。

なぜ7月なのかというと、8月の御盆はあまりにもお坊さんが忙しく、15代にお坊さんが相談ことがきっかけだそうです。

精霊舟(おしょろさん)づくり

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骨組み

毎年7月15日夜、御花の東庭園にある、江戸時代からの面影を残す御池に、舟を浮かべてご先祖様をお見送りする精霊流し(おしょろさん流し)がございます。

まずはそのためのお舟づくりです。お舟はおしょろさん、と呼ばれており、ご先祖様の乗り物になります。

舟の周りに麦藁を挟み込むような感じで少しづつ作っていきます。

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笑顔の志岐さん

御花の伝統行事を支える志岐さん。
チャーミングな笑顔で、麦藁を巧みに操りときにはお供え用のぐい呑み等も藁でつくるほどの腕前です。

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少しずつ出来上がっていく様子
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舟の外壁を整えた後は、紐で縛って崩れない様に整えていきます。

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その次は屋形船風になるように、お家の部分を作ります。

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お部屋をつくっていきます

木枠に和紙をはり、合体させて飾り付けをすると、この様なお姿に。圧巻の立派なお舟です。

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供養のための旗をつくり、くくりつけます。

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最後に、お供物を載せる菰編みを作ります。
真菰(まこも)という長いイネ科の植物を編んで、お供物を置くための敷物をつくるのです。

錘をつけて、丁寧に編み込んでいきます。

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植物から敷物を作る様子

舟着場に迎え火を焚いて、お出迎え

13日は、いよいよお迎えの日。
御花の舟着場で迎え火を焚き、その火を頼りに皆様が帰ってまいります。

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迎え火

帰ってこられたら、みなさんをおんぶをしてお仏間までお連れします。

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おんぶする様子

ご到着されたら、お迎えだんごをお召し上がりいただきます。

立花家のお仏間には、歴代藩主も含めたご先祖さまと、左右には340年間に柳川藩のために戦い、戦没した家臣およそ580名の名前が今もしっかりと刻まれています。

お参りをして、長旅お疲れ様でした。3日間ゆっくりと御花でお過ごしくださいという想いでお迎えしています。

座布団をイメージした「お迎え団子」

お迎え団子

お迎えには、平べったくてまるい団子をお供えします。これはお座布団をイメージしており、どうぞゆっくりていってくださいという意味が込められています。

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お迎えだんごと牛、馬。

翌朝には、奉膳をお召し上がりいただきます。
白ごはん、味噌汁、煮物、煮豆、酢の物を並べます。

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歴代藩主が眠る立花家の菩提寺「福厳寺」

二日目は菩提寺の福厳寺へ。1587年、立花宗茂が父・戸次道雪の菩提を弔うために創建したのが始まりです。立花宗茂が柳川藩に復帰した際、柳川藩主・立花家の菩提寺になったそうです。歴代藩主のお墓がございます。

福厳寺

不思議なお供え物「シャンコン(上供)」

青、黄、赤、白、黒の五色を基調とし、中国古来の陰陽五行説の思想が起源とされています。

ご先祖様の旅立ちを祈る 精霊流し(おしょろさん流し)


3日間ゆっくりとお過ごしいただいた後は、ご先祖のみなさまと旧柳川藩戦没者の方々の旅立ちです。

安全な旅立ちを願う「送り団子」

送り団子

送り団子は細長い形をしています。これは、駕籠(人を乗せて人力で運ぶ乗り物のこと)を担ぐための担ぎ棒を模しており、安全に極楽へと帰れますようにという意味が込められています。

いよいよ日も暮れてくると、精霊流し(おしょろさん流し)が始まります。

江戸時代の屋敷の名残を今も残す、御花のもう一つの御池、東庭園。

こちらでお舟を浮かべて送り火を焚きます。火を使うのは、みなさんが道に迷わず極楽へと帰れるよう道を照らす役割をするためです。

お舟の出港準備をする立花家の方々
志岐さんの手によってゆっくりと動く舟
お舟に火が灯る様子


年に1度だけ。国指定名勝で花火ができる日。

御花の敷地は7000坪全てが国指定名勝に指定され、次世代に繋ぐべき文化財としての役割があるため、基本的には火気厳禁となっております。

そのため、普段は花火や、蚊取り線香でさえ愉しむことができません。

ただ、長年受け継がれてきた文化や行事である場合は例外となります。

この立花家のお盆は、欠かすことのできない大切な行事であるため、この日に限り、敷地内での花火をすることができます。

炎は闇を照らすもの。古くから神聖なものとされてきました。花火にも「鎮魂」の意味があり、心を込めて想い想いに花火をします。

花火の様子
古くから変わらぬ、切ない夏の景色

沢山の人の想いとともに受け継がれていく

立花家のお盆は、毎年欠かさず今日まで受け継がれてきました。

今回は、事前にご連絡をくださった旧柳川藩戦没者の家臣の末裔の方、御花にご宿泊してくださった皆さま、立花家の方々、御花で日々働く人々でおしょろさん流しを見守りました。

脈々と受け継がれてきた血の繋がり、そして、血のつながりはないけれどもこの場所に縁を持ち、支える人たち、そしてその一瞬を温かな想いで共に過ごしてくれた方々。

そんな多くの人たちの手や、想いがあって、今日も伝統は未来へと受け継がれていきます。

また来年。

2020年NHK BSプレミアム「新日本風土記」に取り上げていただきました。

新日本風土記は、日本各地に残された美しい風土や暮らしを丁寧に紹介されている番組です。
「水郷 柳川」の会にて、立花家のお盆の行事に密着いただきました。

2023年のおしょろさん流しを動画でご覧いただけます

柳川藩主立花邸 御花 | Yanagawa Ohana on Instagram: "立花家のお盆🎐 現在も御花を営んでいるのは、柳川藩主の末裔。 旧柳川藩主・立花家のお盆では「歴代藩主を含む立花家のご先祖」および「旧柳川藩戦没者」を供養します。 旧柳川藩戦没者とは 旧柳川藩戦没者とは、立花宗茂の義父である戸次道雪の初陣から戊辰戦争までの340年間に立花家を支えて戦没した家臣およそ580名のことです。 長い歴史を感じずにはいられません。そして、先祖と戦死者を共に供養する旧大名家は、立花家の他にはあまり例がないそうです。 7月15日の3日目は、みなさんが道に迷わず極楽へと帰れるよう道を照らすためにお舟を浮かべて、送り火を焚きます。 #立花家のお盆 #立花家 #御花" July 15, 2023 - 120 likes, 3 comments - 柳川藩主立花邸 御花 | Yanagawa www.instagram.com


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