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つらい話。。

大人でも子どもでも。。。

その人間関係が対等でなければ
目の前の人に尊重の気持ちや
共感の気持ちを持てないなら。
寄り添う気もちや優しい気持ちは持てないし

上下関係、勝ち負け思考。。
もっと言ってしまえば。。
その人間の心が自分で自分を満たせない人間なら、いじめは起きてしまう。

望まなくても、引き起こされてしまうし
理由あって激しい言葉で罵倒されるわけでもなく
訳があって怒られるわけでもなく
ただ、無視という罰を与えられる。
自分がどんなに相手に合わせようが
仲良くしてもらおうと努力しようがその気持ちを汲み取ってもらえることはなく、

いじめを行う人間は
いじめをするための理由を作り上げて
人を攻撃しているんですよね。。

『理由は作られる』んです。。

それは大人の世界でも、子どもの世界でも
全く同じ構図にみえます。

正常な人間だと
まず、自分と他人は別の人間ということをちゃんと理解してるので
意見の食い違いなど当たり前のこととして
自分の意見を伝えたり
相手の意見を聞いたりと、お互いの妥協点を見つける健康なコミニケーションが取れます。

しかし、いじめを行う者は上下関係なので
一方的です。
いじめを行う者の話し合いは
相手に自分を受け入れさせて、
わからせるためのものです。
自分の思い通りにならない。
自分の言う通りにしないことに怒りの感情を持つことが原因なので

そこに対等であるという認識はありません。
勝ちか負けか。。
上か下か。。


言いかえればいじめの理由は
『自我を持っていることが気に入らない』
『意見を持っていることが生意気』
相手を下に見ているからこそ
相手より上の立場でいたいから仕掛けられるのだと思います。

いじめをする理由は加害者が上に立つために
作られるものです。



先日。。末っ子がクラスメイトに誘われて
その子の家に遊びに行ったら。。
平和的に遊んでいたのも束の間。。
うちの子はその子の家の小部屋に閉じ込められてしまった。

なんでそんなことをしたのか聞いた時の答えは
『そう言う雰囲気だったからやった』
その日はうちの子は事態を私に話すことなく飲み込んだんでしょう。。

数日後。。いつものように学校の準備をするのに起こしたら『学校に行くのが怖い』と泣いていました。

訳を聞いたらLINEグループでのやり取りを見せてくれた。
その内容は数日、娘のことを閉じ込めた子どもたちが、その話を誰かに話したんだろうと娘を責めている内容でした。

すごく上から
『どこまで話した?』『何を話した?』
『嘘ついてるんだろ?』『さっさと言いなよ』
と3対1で責め立てていたんです。

しまいには『話し合うから明日学校に来いよ。
ま、どうせ来れないか。泣くもんね。』みたいな言葉まで書いてあって。。

『お前の人生終わりだな』みたいなことまで書いてあって、それに対してうちの子が
『なんで終わらないといけないの?』と返してるわけですよ。。

とても悲しい。。

うちの子が喋ったかもしれないからと言うもっともらしいことを掲げて攻撃してるけど。。
理由もなく雰囲気だからと閉じ込めたのはその人で、喋ったらいけないようなことならはじめからやらないでほしいのです。
なんなら私だって誰かに閉じ込められたら
いろんな人にこんなことがあったと言いますしね。

閉じ込めたことを言われたくないなら
閉じ込めないで欲しい。

もうこうなると
対等な話って相手には聞こえないので
ただ単にうちの子を打ちのめすための言葉。
ただ単に傷つけて加害者が勝つ言葉。。

うちの子に植え付けられるのは恐怖や不安で
その顔を見て優越感でも感じるのでしょうかね。。

『私たちの悪事を誰かに喋ったな?』という理由で、いじめをする正当な理由になっていると言うのが恐ろしすぎる出来事です。

堂々と怒れば正当な理由のように感じるのか。。
信じ込むことができるのか。。
加害者の心理は分かりませんが、

でもいじめなんて。。そんなもんなんですよ。
思い通りじゃないことに腹を立て、
懲らしめたい。
自分たちの力をわからせてやりたい。。

そんな加害者の
根本にあるのも愛着障害です。。
認めてもらえなかった悲しみや怒りを
うちの子に投影してうちの子どもをサンドバッグに発散している。。

うちの子が言うことを聞いたところでその心は満たされないのでエスカレートするんですよね。

自分の傷に向き合えない人間は
他者を利用して傷を緩和しようとしますが
それってなんの意味もないと思うんです。

愛着障害のカラクリを知ると、
そんな加害を行う子どもたちの悲しみや不憫な気持ちなど、全く感じないわけではないですが。。

私にとって大切なのは自分の子なので、
自分の子どもの心を守っていきたいです。
失ってはいけないのは
うちの子の尊厳であり、安全地帯ですから。。

自分の子どもの逃げ場を作る。
学校が怖いから今は行かないを選択してもいい。

でも時間をかけても自分がされて嫌だったことを末っ子には考えて向き合ってもらおうと思います。
結局は彼女の人生は彼女次第だから。。

嫌な思いをしたことを優しさで許してしまわずに
自分が対等に扱ってもらえなかったことを受け入れて、懲りなくてはいけないかなと。。
厳しいけど。。
また学校に行きたいと思い始めた時に、
誰とでも仲良くすることや
なんでも許してあげることをやめて、

仲良くする子を自分で選ぶ。
大切にされないなら大事にしなくていい。。
許されないことをされた自覚をしっかり持って
その人間と距離を取ることができる芯を持てた上で、人生を自分で動かして欲しいと思います


今は心を癒しながら。。
少しずつね。。

自分を傷つけた人間を嫌いになる勇気を持っていいと私は考えています。
全員となんか。。むしろ意地悪な人間なんかと
仲良くしなくていい。。

加害者が変わるのは加害者自身の問題なので。。

つくづく感じるのは
人付き合いは対等がベースってことですね。
お互い尊重や共感が
わからせようとする上下関係になった時点でその人間関係は死んでますから。。


いち早く、自分を傷つける人間から離れて
自分の人生を生きれるお手伝いを
したいなと思います。。

ほんといなくならないなぁ。。
嫌な人たちって。。

でも人を変えることはできないんですよね。。
加害者もその本人が気がついて改めて進むこと。。

被害者もその本人が気がついて自分と向き合って
進むことしかできないので。。

娘が自分の力で立ち上がるかたわらで
しっかりと支えられる自分でいたいです。




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