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依存=支配

昨日。
『依存してた人に虐待はありえるのか?』という質問に対して
『依存』=『支配』という私なりの解釈を
noteにしたんですけど。。

今日はもう少し掘り下げて『依存』=『支配』に対しての私なりの考えをまとめてみようかなと思います。

依存というのはさまざまな種類があるんですよね。依存は否認の病と言われてるほど
自覚をするのがとにかく難しくて
近くまでたどり着くまでが治療の全てと言ってもおかしくないほど、
案外、人っていうのは自分自身には無頓着なんだと思います。
なんというか。。人から自分はどう見られているかは気にするけど
自分がどうしたいか、どういう自分で毎日を生きていきたいかは
全くわからない。。。みたいな感じです

ギャンブル、お酒、パートナーや異性、
買い物、整形、富や名声への執着の形が依存なんですけど、
依存は『コントロール効かない物に対してコントロールしようとする、またはしてしまう』と思うんです。

ギャンブルもお酒も薬物も。。依存者は
『自分はそんなにひどくないコントロールしようと思えばできるし、いつでもやめられる』と
本気で思ってるんですよね。信じてるんです。

そして人への依存も、
『その人のために教えてあげてる。
その人の幸せを考えてあげてる。』という自分の気持ちをコントロールできてない状態と言えるのではないでしょうか。。

なんなら、
『自分がこんなに心配してるのに言うこと聞けないの?』
『私(俺)がこれだけ好きなんだから私(俺)を不安にさせるのは許さない』みたいに
思い通りに事が進むことにのめり込むことが依存ですかね。。
相手に認めさせようとする感じ。。
もはや自分の気持ちを制御できていない状態ですし、自分と他人の気持ちの境界線も曖昧に見えますよね。。。


本人はその人を思ってるつもりだから
愛のつもりなんですよ。
愛という形をした支配なんですけど。。

なんでそんな事が起きてしまうかと言うと。。
そこには多分。。
『自愛』が大きく影響してると思います。


自分を認める事ができない
自分を受け入れる事ができない
自分を労り、自分を癒す事ができない
自分で自分の機嫌を取る事ができないから
他のもので補おうとするし、
他のものに受け入れてもらい、認めてもらった気持ちになりたいから
外側に自分の全てをぶつけてしまうのではないかなと思うんです。


そこに相手の気持ちを汲み取る余裕はなく、
他人を救ってるつもりで
実は救われたいのは自分。。みたいな
自己中心的な振る舞いが依存であり、支配なのではないかなと考えてます。


不思議ですよね。。
人って。。
しっかり自分を認めて、自分を労り、
愛する事ができないと
自分以外を大切にできないんですよ。

これは本当、愛着の問題にもかなり大きな繋がりがあって、
親がまず自分を認めて自分を愛せる人間じゃないと、子どもを愛せないんですよね。。
親が自分に依存して支配してる環境だと
自分の中の愛が育たなくて、
不安を持ち、その不安を自分で解消できないから他人や他のものに満たしてもらおうとする。。。

これが依存と支配のカラクリだと思うんです。

どうしたらいいかの解決のお話すると
繋がってくるのは『自愛』で
まず自分を満たす事。
自分を許して、自分を認めて行くこと

毎日小さい事でも自分の選択や
自分の気持ちに対して『これでいい』『大丈夫』と受け止める力が愛なので。

まず自分。それから人へ。。
その受け止める範囲を広げて行くのが
愛なのではないかなと私は考えています。


依存は自分の気持ちに対しての相手への期待なのでどうしても叶えたくなると支配的になってしまいますよね。。

そこをね。
自分の気持ちは自分のものとして、
相手の気持ちを受け止めたり認める事ができると
それは愛としてとても思いやりのあるものになって行くのではないでしょうか。。


まぁ。。難しいテーマではありますけどね。。
私なりの解釈を、
私なりに相談してくれた人へ
まっすぐ向き合った気持ちが
noteにまとめるとこんな感じです。



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