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私が願い求めた『尊重』の心

人間関係を築くにあたって『尊重』とはどんなものか考えています。

私の人生に足りていなかったものです。
子どもの頃から私が周りの大人や友達、全ての人に求めていたことでもあります。
アダルトチルドレンである私が
いつもモヤモヤしていて
傷ついていた何か。
欲しかった何か。
求めていた何か。。

それを言葉にするなら『尊重』です。

私が欲しいもの。
信頼や愛情や優しさ。。思いやり。。
そう言ったもの。。『優しくして欲しい』とか
『無視しないで欲しい』とか願いに近い状態で
私を傷つける人に求めていたものを
アダルトチルドレンや愛着障害を学ぶうちに
やっと言葉としてはっきり自分の望むこととして自覚できたのが

『私を尊重してほしい』ということでした。

子どもの頃から思っていることなので
言いかえれば、『人はどんな年齢でも他人からの尊重の気持ちを理解して受け取っている』ということなんだと思います。

尊重って。。なにも大袈裟に
リスペクトして欲しいわけではないんです。
何でもかんでも自分に合わせて欲しいわけではないんです。

私は加害者側の人にも勇気を出して伝えたこともあるんですよね。
その時の言葉が、しっかり伝えられる言葉だったのか自信はないですけど、
自分が傷ついていること。
自分は今こんな気持ちでいるということを伝えたことがあるんです。


返ってきた言葉は
『だからなに?』『大袈裟』『考えすぎ』
『あんた私を責めてるの?』
『俺を責めるのやめてよ』
などトゲのある言葉が多かったのですが。。

なんというか。。
私は相手の気持ちを受け止めたかったし、
話して欲しかった。
丸ごとあなたを、あなたとして受け止めるのと同じように。。

私のことも聞いて欲しかったし
私のことも受け止めて欲しかった。

『尊重』の心が欲しかったわけです。
大袈裟なリスペクトではないんです。


そうですね。。言葉にするなら
『あなたはどう思う?』
『あなたはどうしたい?』と私の気持ちを
聞いて欲しかった。


尊重とは、別に相手を称えたり、
相手を持ち上げたり、相手を優先させる意味ではないんだと思ってます。

過去私は自分の意見を通したいわけではなく、
優先して欲しいわけでもなかったので。。

ただ、『今どう感じているか』『今どう思ってるか』ぐらいは。。寄り添って欲しかったなと
思っています。


あなたはどうですか?

目の前の人に『あなたの意見はある?』『どう感じてる?』『今どんな気持ち?』と
聞いたりしてますか?

相手の気持ちをわかったつもりになって
勝手に自分の都合でコントロールしてませんか?


私は人間関係。。
それは親子関係でも恋人関係でも
夫婦関係でも友人関係でも、
どれが大事でどれが1番でとランク付けを一切しないのですが、

どの人とも『自分』と『自分以外』という
境界線をしっかり持つようにしてます。

別の人間だからこそ、
人の数だけ想いがあるし、
人の数だけ意見もあると思うんです。


だから。
子育てをしてる今も、私は子どもたちに
『〇〇ちゃんはどうしたい?』
『どう感じてる?』『どんなふうに考えてる?』と聞きます。

相手の意見や気持ちって本人に聞かないとわかりませんから。エスパーじゃないですからね。

夫婦関係や恋人関係でも
相手の気持ちを知りたいし
何より自分の気持ちを知ってもらいたいと思ってます。
これね。。大人になればなるほど不思議ですけど
相手の気持ちを蔑ろにするんですよ。

よーく観察するとね?
子どもの世界って『〇〇ちゃんどうする?』って聞いてるんですよね。

大人になるにつれて。。
そして大事な人になればなるほど。。
自分のことのように旦那さんを語ったり
自分の一部のように子どものことを語ったり
恋人に対しても全てを相手の全てを手の内に入れているような事を言う人。。
めちゃくちゃ多い気がします。

大人こそ、『尊重』という気持ちを知っておきたい。

目の前の人を尊重してほしいし
もちろん、その尊重の気持ちは自分にも向けて欲しいです。

自分に向かって『今どんな気持ち?』
『今何がしたい?』

自分へも他人へも
個人個人の気持ちに寄り添うこと。
個人個人の気持ちを知ろうとすること。

この気持ちが『尊重』かなぁと思います。


私が欲しかったものです。
親からも。。
恋人からも。。
旦那さんからも。。
どんな人間関係の中でも。。

私が欲しかったものです


そしてね。実は
子どもたちが私にくれたものでもあります。


『尊重』


『ママ何食べたい?』
『ママ何欲しい?』
『ママ行きたいとこある?』
『ママはどう思ってる?』
『ママのお話しして??』

いつも。。子どもたちは自分のしたいことや
自分の気持ちを言った後に
私にも聞いてきてくれます。


私がアダルトチルドレンとして生きて
愛着の大きな傷を持ちながらも
心を失わずに済んだのは

無条件に私を認めてくれて
私を愛してくれる子どもたちに出会えたことが
1番大きかったような気がします。



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