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野生の思考/レヴィ=ストロース

100分de名著のレヴィストロースの回に衝撃を受けた。


レヴィストロース「野生の思考」

第一回 構造主義の誕生


この回の冒頭はこうだ。

"人間の思考には、野生状態がある"


つまり近代の法律や計画などによって縛られたり変形されたりしない思考能力がある。


それは国によっても変化することはなく、全く同じところからくる普遍的な思考。


ユングが研究していた集合的無意識に重なるものがあると思う。


4回に分けて詳しく解説してくれるありがたい番組100分de名著。

第一回は、アメリカ先住民のトーテムについてだった。


トーテムポールが昔から私は好きだった。

神秘的でなんだか根源的な感じがするから。


ホピ族のように、クマ族や蛇族など人がそれぞれなにかのトーテムに所属しているのも面白いと感じていた。


トーテミズムは、未開社会の論理以前の思考方法だと思われていた。

今も割とそう思われている。


しかしながら、トーテミズムは世界を分類し、体系化する高度な思考方法だという。


ネットで検索するような、データベースの体系と変わらないものだと、中沢新一氏は語る。


ぞうやりすや猿は見れば見分けがつくけれど、人は見分けがつきにくい。


だから、動物の体系と対応させておく。すると自然と対応しているので秩序が保たれる。

そういう心構えで生きていこうと道徳部分もある。

トーテムを背負う=信用でもある。


実は、非常に理にかなっている。


今は、自然と人の世界を分けすぎている。


もっと混沌としていて、境界線は曖昧なものなのだと思う。


人間は、まだ失っていない潜在能力として野生の思考もっている。

しかしながら、それらは抑えつけられている。

もう一度開放していかないと人類自体が袋小路に入っている。

中沢氏はそのように言っていた。


野生の思考というものは一番基本の思考として未だに生きているもので、日常生活でもこれを適応しているわけだけれど、もっと拡大組織化していって、そして社会の構造を変えていくことまで可能になっていく。


私達は、歴史によって未開社会から進歩していると思っているけれど、本当は進歩なんかしていないのかもしれない。

今日まで大きな戦争もなく、未だ続いている社会にこそ学ぶべきことが多くある気がする。


進化していないと思われているけれど、今日まで破綻せずに続くことのできる非常に優れた社会なのだと考えることもできると語られていて、ハッとした。

未開社会の人々は、飢餓の危険があっても"贈与"を惜しまなかった。

なにより争いを避けるため。


所有という概念もなく、すべて分かち合っていた。

争いを避けるための智慧


その智慧を失っていないからこそ、こんなにも文化や精神的な部分で大きく崩れることもなく、続いているのだろう。


この私たちの生きる現代社会ではどうだろう。

便利な世の中になったものの、争いを避けるための智慧を手放し、なにより避けてきた大きな争いが生まれている。

もう社会は、破綻しかけていると語られる。そうじゃないかと思う。


論理以前の思考だと思われていたものが、これほど理にかなっていたのは驚きだった。


面白いことにレヴィストロースの言うことは、岡本太郎の言っていることとかなり一致している。

太郎さんは、どこまで深く理解していたのだろう。



神話とブリコラージュの話、

呪術は未開社会の科学的な思考法という話、

第二回以降も面白かった。


レヴィストロースは、日本に来た際、先進国であるのに日本人は野生の思考を強く持っていて、上手く併せていると、希望を持っていたという。

でも、いまは随分、失われている気がする。

それでも、全く失われてしまったわけではないのだと思う。


レヴィストロースのみた日本。

彼のフィルターを通してみた日本に、希望を持った。



世界や社会、精神を構造化するのは、面白いと思う。

霧が晴れるかのようだ。
プリミティブなものに、希望を見出す。






 




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