推しの鴨長明から学ぶ、シンプルライフ
私の推しは鴨長明。日本三大随筆のひとつ、『方丈記』の作者。
下鴨神社の宮子の跡取り息子だった彼だが、父の死後、後継者争いに敗れた。家と地位を失い、三度の自然災害に見舞われ、家や人生の「無常」に向き合った。出家して、最終的には山奥の庵(今でいうキャンピングカーみたいなもの)に隠居し、自然と芸術を愛しながらその生涯を閉じた。
長明の庵は、今は生家の下鴨神社へと戻った。わずかな日数しかない日本帰国、推しの家を見たい。その人が歩いたかもしれない場所を、自分も歩いて推しに想いを馳せたい。
下鴨神社に行ったら、あるべきはずの場所に庵がない!
小さく案内板が出ていて「現在移設中」となっていた。何で、今やねん。
次、いつ日本に帰って来れるか分からんのに最悪のタイミング。しょんぼりしていたら、旦那さんが言った。
「長明はひとつの場所に留まりたくないんじゃない?だから移動してる。そう思うようにしてみたら?」
長明は生家に戻れてよかったのだろうか。色んな人が庵を見にきて静かにできないかもしれないな。今は別の場所で静かにお休みしていて、近々どこかのエリアでまた一般公開されるんだろう。
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なんで彼が推しかというと、逆境だらけの人生から逃げずに、無常で無情な世の中をどう生きるか考えたから。
長明が生きていたのは、平家の興亡とピッタリ重なる時期でもあった。この頃の京は大火災、飢饉、竜巻に大震災に見舞われた。それでも生きていた長明がすごい。
文章からは時折、名家の自分が家を失い、貴族たちが偉そうにしているのが腹立たしい様子も伝わってくる。「もう家に執着しない」みたいに書いておきながら、めっちゃ他の貴族や家を意識している。人間くさくて好き。
災害が起きれば、栄華が衰退すれば、貴族も一般人もみんな「同じ」。威張っていた貴族たちも家を失えば、お金も、家来も、豪華な服、豊かな食事も失う。
長明は、人は「家」に執着すると考えた。
災害でも家を守ろうとして命を落としてしまう人、立派な家もただの木屑になって全財産を失う人もいる。人の一生も似ている。どちらも無常だ。じゃあ、どう向き合って生きていくのかを長明は考えた。
彼は最終的に、移動式の庵に住むことにした。これならいつでも行きたい時に家と移動できて、身軽だから災害でも心配は少ない。自分1人が寝て起きて、芸術と生活をのんびり過ごすスペースさえあればいい。
出家しても煩悩は捨てきれず、50代になっても「これでいいの」か悩んだりする。60代では、庵のシンプルライフがどれだけ良いのかを説いている。彼は煩悩を捨てて、世の中に憂うこともなく、静かに生涯を終えた…とはならない。最期に気がつく。自分はずっと「家」に執着していて、何も変わってないな〜って。
人間らしくて好き!人の気持ちは簡単に白黒つかない。何歳でも多分悩み続けるし、自分を誤魔化してしまう部分も大いにあるんだと思った。
私は「家」にトラウマがある。高校生の時に、オーシャンビューでヤシの木が立ち並び、プール付きのお家もある、いわゆるお金持ちエリアの一軒家に引越した。
我が家は、裕福どころか家計は大炎上だった。後先考えない父の見栄と欲で引っ越しただけ。当然、母は父を罵り、父は母を殴る。太陽が照らす明るい家もだんだん陰りを見せて、最終的に一家離散。
私は身の丈に合った家が良い。あの頃からそれは変わっていなくて、旦那さんがいて、安全に寝起きできて、自分が快適だと思える家と場所に住めたら何でもいい。今まさにその生活ができている。
ことわざにもあるように、どんなお金持ちでも、人ひとりが占める場所は起きていれば半畳、寝るときは一畳あれば良い。
本当にその通りだと思う。私も1日の半分をデスクで過ごしている。
人が生きている中で、物はそんなにたくさんいらない。カナダに来る時も、大きなスーツケースひとつとバックパックだけだった。さらに、死ぬ時も家とお金は持っていけない。みんな最後は、腕の中で収まる小さな骨壷サイズになる。
なぜ物が多いのか。ある人は欲と見栄で固めたいのだろうし、またある人は自分を形作る思い出の品でいっぱいにしたいのかもしれない。
私は下鴨神社の糺の森を散策しながら、長明のように「家」について考えていた。
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