心を揺さぶられた_ポイント3つ

夏目漱石の『こころ』に、心を揺さぶられたポイント3つ

太宰治の『人間失格』、芥川龍之介の作品集など、今も愛される昔の作家たちの作品を読むのも楽しいと思い始めたこの頃。

今回は、夏目漱石の『こころ』を読了。

あらすじ

「私」は、鎌倉の海で出会った「先生」の不思議な人柄に強く惹かれ、関心を持つ。「先生」が、恋人を得るため親友を裏切り、自殺に追い込んだ過去は、その遺書によって明らかにされてゆく。
(Amazonより引用)

ざっくりした感想は、病む。先生、狡猾すぎる。そんで、遺書長ッ!「私」が読んだあと、それの処分に困りそうやな。

冗談は置いといて…『こころ』の内容を思い返せば、生きること、死ぬことを「先生」の立場になって考えると、感慨深いものがある。

お話は3章で構成。1章は「先生と私」、2章は「両親と私」、最終章は「先生と遺書」。

私は2章まで読むのに、3日くらいかかった。淡々とお話が進み、特に物語のアップダウンもなく退屈したから。でも最終章は、1・2章の退屈さが嘘みたいに夢中になった。トイレに行くときも、Kindleから目を離すことができなくて、用を足してもトイレに座ったままだった。


◆私が心を揺さぶられて、悲しくなったポイント3つ◆

1.先生が語る「悪人」について

「鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしい。油断ができないのです。」

先生のこの言葉には、共感。私のバッタモン家族を見ていて、嫌ほどそれを実感したから。

私の話は脇に置いといて…先生自身が両親を失い、信頼していた叔父に裏切られて人間不信になったから、先生はそういう人間を嫌っていたと思う。

だけど親友の恋心を知っていたにも関わらず、自分の気持ちは隠して、Kに恋を諦めさせるように仕向け、抜け駆けしたのは狡猾すぎる。「先生が忌み嫌っている”裏切り”を自らしてしもたやん。あかんやん。」って。

先生は急に悪人に変わったのではなく、内にたまったお嬢さんを好きな気持ち、Kに対するモヤモヤとした気持ち、卑屈な自分に苛立つ気持ちが溜まりに溜まって、あんな結果になったのかも。

完璧な善人はいないと、私は思っている。人の「こころ」には狡猾、残酷さも少なからずあるような気がする。どんなにいい人でも、私のこころにも、自分で認めたくないほど、醜い感情はある。この作品は、人間のそういうドロドロした部分を見せてくれた。

いつの時代も恋は複雑で、盲目になってしまう。

2.Kの自殺

あらすじを読んで、Kが自殺するのは分かっていたけれど、先生の遺書の中で唐突にKが自殺したことを、サラリと知らされて、「え!ここ?」って驚いた。そこから先生の苦悩、Kの心情を考えると、どんどん気が重くてなっていった。

「恋は罪悪」と言った先生の言葉も、3章目を読んだら重みが違う。先生は、Kの自殺後にお嬢さんと結婚したけど、罪悪の結婚生活を送ることになったのです。

先生は結局、幸せになれなかった。自分が幸せになれば、お嬢さんとの間にKの影がチラつき、幸せになってはいけない気持ちになったはず。自分が
親友を裏切った代償はあまりに大きい。

「自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだいう考えが起こります。私は仕方がないから、死んだ気で生きていこうと決心しました。」

だから、この言葉が出たのか。

3.先生の懺悔の手紙

「人間を愛し得る人、愛さずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手を広げて抱きしめることのできない人ーーそれが先生であった。」

ほんまに正直な気持ち。3章目の先生の遺書読んで「いや、先生まで死なへんでもええやん。」って、背中をバシッと叩いてやりたくなった。

でもよく考えたらその時代は、恥を晒すくらいなら切腹!とかの時代やったんよね。先生は「私」に恥を晒してしまったから、死ぬしか考えられへんかったのかな。

あと私がもう一つ考えたのは、この時代は病や自殺や寿命よりも、「生きる」ほうが辛かったのかもしれない。今の時代よりももっと、しがらみが多く、恥を抱え、葛藤して、生き辛い世の中に希望を見出すのが難しかったのかもしれない。

感想を書いていても、内容を思い出してどんよりした気持ちになる。だけどここまで人の心を揺さぶり、感慨深くさせる作品を残した夏目漱石さんは素晴らしい。彼の死後100年経っても、彼の作品はそりゃ愛されるよね。

3章を読んでから思ったのは、3章に続く伏線が1・2章に書いていることが分かった。時間を置いてまた読み返したい。次はまた違う見え方があるように思うな。

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