『ヒルビリー・エレジー』動く悪人or動かない善人、トランプ、イーロン・マスクそしてバンス
J・D・ヴァンスの叫びが(ラストベルトの悲鳴が)、
動く悪人を選択する時、
動かない善人は恐怖に震えて立ちすくむしかない。
そこに愛はあるんか?
論理も効率もデータもエビデンスもいらない!
回想が多い作品は、
成功していない例が少なからずある。
理由は、
現在→
回想←
観客の物語を追う気持ちに、
ブレーキがかかる為。
ガキJDとグレン・クローズおばあちゃん。
オトナJDとエイミー・アダムスおかあちゃん。
回想と現在を、
物語を追うよりも、
JD⇄グレン、
JD⇄エイミー、
グレン
↓↑
エイミー
の気持ちのみに削ぎ落として、
→→回想→→現在→→グレン→エイミー→JD、
を直列つなぎでグングンみせる。
娘には地獄の底までしか、
寄り添えなかった。
孫には地獄の果てまで、
寄り添う!
もう後悔はしない!
その迫力が孫から娘に逆流する。
シナリオというよりも演出というよりも、
編集よりも・・
そこに愛はあるんか?
ロン・ハワードは、
どんな規模の大作でも、
どんなに登場人物が増えても、
どんなにスピードが出ようとも、
遥か宇宙に出ようとも、
難なくこれをやってしまう。
そしてあらゆるケレンを排除して、
そこに愛はあるんか?
気持ち、気迫。
それが~一番大事~。
ハッピー?デイズな、
オハイオ・グラフティ。
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