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【うつ病無収入】 私が"文章を書ける"理由

"文章は書けている"


うつ病になった私は、できないことばかりでした。
眠ること、食べること、ベットから起き上がること、顔を洗うこと、テレビを見ること、音楽を聴くこと、誰かと会うこと、話すこと、笑うこと…日常生活のそんな”当たり前”なことが一切できませんでした。

うつ発症のきっかけがあったのは3ヶ月半前。
通院を始めたのは1ヶ月半前です。

頭の中でぐるぐると「死にたい」「死ななければ」「生きる価値も意味もない」と考え続けるだけでした。今でも、そんな気持ちになったり、支配されそうになったりする時間があります。

ようやく今は、食事も準備し食べられるようになりましたし、睡眠薬のおかげで眠れるようにもなりました。
調子がいいなと思える日は、少し散歩に出かけたり、必要なものを買いに行くこともできるようになりました(外に出ることは、まだ「怖い」ですが…)
でもそれも、ほんの1週間前くらいからのことです。
『うつの症状には波がある』とよく言われますが、この1週間は上向きの波に乗っている時期なのだろうと思います。

そんな私は、いま、文章を書いています。書けています。
パソコンに向かって、文章を打ち、記事のTOP画像を編集し、校正・推敲し、そして記事を投稿できています。

まだ、映画やテレビ、音楽を聴くことはできません。
自分から誰かに連絡を取ることもできません。
既読スルーしているLINEにも、なかなか返信できずにいます。

うつ病と診断され苦しんでいた私は、同じ病に罹った人の体験談をネットで検索して読んでいました。
しかし、どんな発信を目にしても
『本当にうつの症状がひどいなら、文章なんて書けるはずがない』
『そんな気力も体力もないはずだ』
『うつ病について発信できている人は、症状が治った意識の高い人だからだ』
そうとしか思えませんでした。

でも、私はいま、文章は書けています。

うつ病でも、テレビが見れる人がいたり、映画を見れる人がいたり、音楽を聴くことができる人がいるように。

私は、文章が書けています。

一番は、自分自身が思考の渦から解放される時間を得るためです。

でも。
同じように苦しんでいる誰かに、届くといいな。

そんな期待も、ちょっとだけ込めて。


私が”文章を書ける”理由

読書が好きだった

がっつり文系の私です。
本を読む楽しさを知ったのは、小学校中学年くらいからだったと思います。
当時、ハリーポッターが出始めたんですよね。それにどハマりしました。
それまでの人生で読んだ本の中で、一番分厚い本でした。
自分自身にも、ホグワーツ魔法魔術学校から入学のお知らせが届くんじゃないかと胸を躍らせて待っていました。
『自分は絶対グリフィンドールだ!』と思っていました。

外国の、知らない世界の、架空の物語です。
その世界に自分もいるような感覚が、私の心をとてもワクワクさせました。
その世界を旅している間は、つらい現実(家庭に問題アリだったので…)から遠ざかることができました。


それからは、いろいろな本を読みました。

中学時代に一番好きだったのは、重松清さんの小説です。
当時、既に出版されていた本は、たぶん全てを読んだと思います。

最初に読んだのは『疾走』という小説です。
表紙のイラストも怖いし、内容も決して明るいものではなかったし…中学生向けじゃないことは読んでいて分かりました。

でも、読みました。

重松清さんが描く物語は

『どんなにつらく孤独な人にも、
 わずかな希望があるかもしれない

そう思わせてくれるものばかりでした。

『ある』と言い切ることも『ない』と断言することもなく『あるかもしれないよ』
そんなメッセージを、重松さんのどの作品からも感じていました。

私が育ったのは、"幸せ" "普通"といわれる家庭環境ではありませんでした。
幼い私は、自分自身の置かれている環境をどうすることもできず、ただひたすら、耐えるだけの日々でした。

重松清さんの作品は、その多くが"家族"に関する物語です。
他の"家族"に関する表現に触れることは、私にとって心がズキンと痛むことでもありました。
いまでもそうです。

でも『あるかもしれないよ』

重松清さんの作品から発されるそのメッセージを、私は自分自身に向けられているものだと思って、読みまくりました。

その中でも特に大好きだったのは『その日の前に』という作品です。
映画化やドラマ化もされていますが、もしよかったらぜひ、お読みください。


他に好きだったのは、福井晴敏さん、逢坂剛さん、荻原浩さん、伊坂幸太郎さん。
硬派でハードボイルドな物語からクスッと笑えるポップな物語まで、幅広いジャンルですが、どれも読んでいるとドキドキワクワクして、その世界にいる時間は私にとって大切なものでした。
大嫌いな数学の授業中、教科書を読んでるフリしてページの間に文庫本を挟んで読んでました。
先生、ごめんね(テストは赤点でした笑)

せっかくなので、オススメも挙げておきます。
福井晴敏さん
Twelve Y.O』『川の深さは』『終戦のローレライ』『亡国のイージス
逢坂剛さん
百舌シリーズ』(複数のタイトルで、繋がった物語の小説が出ています)
荻原浩さん
砂の王国
伊坂幸太郎さん
フィッシュストーリー
他にもたくさん読みましたが、その中でも特に記憶に残っている作品です。

あと、小説ではないのですが、銀色夏生さんの詩集も大好きでした。
この方の作品については、いつかまた、別の記事にしたいなと思っています。


『おぎちゃんは文章を書き続けて』  そう言ってくれた人がいた

私にとっては、たぶんこれが一番大きな理由です。

そう言ってくれたのはNさん。
仕事をしていた頃の上司(と言っても遥かに上の存在)で、東京の本社に勤める正社員の女性でした。

当時の私の職場(地方支社での勤務)環境はこんな感じ。

本当はもっとたくさんの部署・メンバーが関わっています

プロジェクトごとに各部署の担当スタッフが集められ、全員でプロジェクトの完遂を目指す感じです。
プロジェクトの規模に応じて、部署やスタッフの数・作業期間は大きく変わりますがなんとなくこんな編成です。
会社全体で大体3〜5くらいのプロジェクトが同時進行で動いていたので、毎回同じメンバーで仕事をするわけではないのですが、私はNさんがリーダーのプロジェクトに参加する機会が比較的多かったです。

私の仕事内容は本当に多岐に渡っていたのですが、最も大きな役割は『プロジェクト完遂までに必要な、様々な書類や資料を作成すること』
特に『必要な文字情報を考える』それが一番大切な仕事の一つでした。
短いワードから、論文のように長い文章を考えなくてはいけない時もありました。

そしてNさんは、そのありとあらゆる文章やその内容をチェックしてGOサインを出す責任者でした。
私はプロジェクトの中では下っ端中の下っ端でしたが、リーダーであるNさんとはチェックや修正などで連絡を取り合う間柄でした。

役割上、Nさんは私の書く文章を一番多く読んでくれていた人になります。


更には、入社した当初、新人教育の一環として『他のプロジェクトの完成品を目にした感想文を毎週書け』という指示が出ていました。
その感想文はリーダー格の人たちにメールで共有されるのですが、当時の私はプロジェクト現場の激務に追われそんな余裕は一切なく、ほぼ無視していました。
確か1年半で3回くらいしか提出しませんでした。ひどいですね笑。
でもほんまに、そんな余裕なかったんです。

でもNさんは、たまーーに送られてくるその感想文を読んでくれていたんです。

Nさんは立ち上げの初期から最後の最後まで、プロジェクトに関わり続けるポジションです。
私なんかよりも遥かに激務だったと思います。問われる責任の重さも全然違います。

私みたいな下っ端の仕事を細やかにチェックしつつ、天上人の方がたとお付き合いし、プロジェクト全体の進行を見守りながらも重要な判断を委ねられ、少し落ち着いたかと思えばすぐさま次のプロジェクトが始まる……。
Nさんの仕事内容の全貌はわかりませんが、本当にめちゃめちゃ忙しくて、大変な立場だったと思います。
きっとメールなんか毎日わんさか届いて、私の”読まなくてもいい”感想文など、
目に留める必要もなかったはずです。

それなのに、読んでくれた。
そしてなんと、感想のメールまで送ってくれたんです。

私はそれが、とても嬉しかった。
本当に嬉しかった。

そしてプロジェクトの現場でお会いする時には、折に触れて
「おぎちゃんの文章力はすごいね」
「面白かったよ」
「誤字脱字も少ないから、おぎちゃんの資料は安心できて任せられるよ」
「○○さんも"助かった"って言ってたよ」

もちろん、ミスをしている時もありました。迷惑をかけちゃった時もあります。

でも、そんな言葉をかけ続けてくれたのです。

格上のリーダーが。下っ端の私に。

Nさんは私のような下っ端が考える文章をチェックする以外にも、より専門的でプロフェッショナルな『文章を書くこと』を生業にしている方々ともお付き合いが必要な職種でもありました。

そんな方が、私の文章を褒めてくれた。
そんな方に認められているその実感が、とても嬉しかったです。

Nさんがリーダーのプロジェクトを引き受ける時は「Nさんのためにも頑張ろう」そんな気持ちになれました。


私は仕事が好きでした。
愚痴も文句もたくさん言ってましたが、それでもやりがいのある、自分に合った、憧れで、夢の職場でした。

しかし今年の2月中旬。
私はその大好きだった職場を離れる決断をしました。
スタッフィングの担当者に「今後の仕事は一切受けない」とお伝えし、フリーランスとして唯一だった仕事の受注先を自らの判断で失いました。

詳しくは書けませんが、いろいろなことが重なり、その職場で働き続けることはできないと思ったのです。

それから1ヶ月ほどが経った3月中旬。
私はうつ症状(まだ受診前)に苦しみ、人生史上最悪の、どん底の気分に沈み切っていました。
「死にたい」
「死ぬしかない」
「生きていても意味がない」
そんな苦しくつらい思考の渦にいました。

そんなある日です。
Nさんから着信がありました。最初は気づかなかったのですが、
『怖い電話じゃないから安心してね笑。折り返しもらえると嬉しいです』
そんなメッセージが届いていました。

当時の私は人と話をすることすら怖かったのですが、仕事を辞める直前はNさんがリーダーのプロジェクトに参加していたこともあり、
「もしかしたら何かあったのかな?」
「私が辞めたことを知って、心配して連絡してきてくれたのかな?」
と勇気を出して折り返しました。

結局、そのどちらも違ってました。

『人事異動が発表になって、別の部署に異動することになっちゃった』
そんなお知らせから、電話は始まりました。

今までのプロジェクトの最前線に立つ職種から、全く違う別の部署に異動してしまうことになったそうです。

でも。
そんなことは、地方支社で働くフリーのイチ下っ端アシスタントに、Nさんのように多忙な方がわざわざ電話をしてまで伝える必要なんてないことです。
掲示される【人事異動通知】を見れば分かりますし、それに先駆けて噂話で耳にすることもあります。
仮に伝えるにしても、一斉メールをポチッとしちゃえばいいだけの話です。

なのに、わざわざ電話をかけてきてくれた。

そんな連絡をしてきてくれたことに驚きつつ
「実は、仕事を辞めたんです…」
症状ことは話せませんでしたが、私はNさんにそうお伝えしました。

『知らなかった…そうだったんだね…』と残念そうに言葉を紡いでから、Nさんは"私に電話をかけた本当の理由"を話し始めてくれました。

『異動になっちゃってもう一緒に仕事をすることはないかもだけど…。でも、どうしてもこれだけは伝えたくて…』

『おぎちゃんは、どんなカタチでも、文章を書き続けて』

『それだけを伝えたくて、電話したんだよ』


当時の私は、自分の人生に絶望していました。
いろいろな不安や悩みが脳内を駆け巡っていました。
その苦しみから逃れるために、そしてその苦しみを招いた自分自身への罰として、「死にたい」という感情にだけ支配されていました。

メンバーの誰よりも元気よく大きな声を上げてプロジェクトの完遂に向けて駆け回っていた私が、そんな思考に囚われていることなど、元気な頃の私を知っているNさんからしたら想像もつかないと思います。

でも私は、そんな状況にいました。
正直、いまも、います。

でも。通院を始めて1ヶ月半。ようやく薬が効いてきました。
まだ、働くことはできません。
テレビも映画も音楽も、好きだった読書も無理です。
でも"何か時間を潰せること" "自分にできること" "自分がしたいと思えること" をしたいと思えるようにはなりました。

ボロボロに壊れてしまった私の心に蘇ったのは、Nさんの言葉です。

『おぎちゃんは、どんなカタチでも、文章を書き続けて』

電話でそう伝えられた当時の私は『ありがたいな』とは思いつつも、それ以上に強い『死にたい』『生きる意味なんてない』そんな思いに支配されていました。

でも、私はいま、その言葉を思い出し、その言葉を頼りに、こうして文章を書いています。

もしかしたら、私と同じ病気に苦しむ誰かの、わずかな支えになるのでは、と。
こんな私の書く文章が、誰かの暇つぶしになるのでは、と。
少しでもうつ病のことを知ってもらう機会になれば、と。

そんなわずかな想いも、ちょっとだけ込めて。


Nさん。
こんな状況になっちゃったけど…。
想像もしていなかったカタチだけど…。
私はいま、文章を書いています。

何もできない"いま"の自分にとっては文章を書いていることだけが頼りです。

あの日『文章を書き続けて』と伝えてくれて、本当にありがとうございました。
その言葉があったから、私は"いま"こうして文章を書けています。
その時間は、病気の治療に向かっている自分にとっては必要で、唯一とも言える拠り所です。

部署は変わっちゃったし、私も職場を離れたけど…。
Nさんと出会えてよかったです。

Nさんが私にこうして文章を書くきっかけを与えてくれて、その記事が同じ病気に苦しみ・悩む誰かに届いて、もしかしたらほんの少しでも救われる瞬間があるかもしれません。

小さな奇跡のような。
バタフライエフェクトのように。

そうなったらいいなって思います。

いつか元気になったら、直接「ありがとう」を伝えさせてください。
そんな日が来るように、私もなんとか、病気と向き合っていこうと思います。


この記事を公開するにあたり、下書きをNさんにお送りしました。
仕事に関する記述も少なからずあるし、もしかしたらご本人にとっては気恥ずかしい部分もあるかもしれないと思い、その確認のために。

お忙しいだろうな…
うつ病だなんて知らせたら余計な心配かけちゃうかな…とかも思いつつ、久しぶりにメールしてみました。

すぐに返信がありました。
しかも、めちゃくちゃ長文で。笑
下書きを読んだ感想や、私に対して思っていたこと・思っていること、そして(仕事してた時と同じく)誤字脱字の修正案まで。笑

結果、公開のGOサインをいただけました。
ご許可いただけたことで、加筆修正し、安心してこの記事を投稿します。

Nさん、改めてありがとうございました。


"文章は書ける" そんな自分でよかった

いまの私は、文章を書くことしかできません。
長々と、だらだらと、いいこともわるいことも含め、ありのままの自分の、"いま"の想いや、病気のことを。

でも、その時間に救われています。

そうして公開した記事が、名前も知らないどこかの誰かに読まれたり、スキを押していただけたりすることが、世界の片隅でひっそりと1人孤独に呼吸をしているだけの私にとっては、喜びであり、救いです。

"文章は書ける"
そうすることで"誰かと繋がっている"ことを感じられます。
嬉しいです。

"文章は書ける"
そんな自分でいられてよかったなと、体調が上向きの”いま”そう思っています。

「noteで稼ぎたい!」そんな想いで書き綴っているのでは決して無いのですが…。 なんせ無収入の現実です。。。 もしお気持ち・お心添えを頂けることがあるのなら、めっちゃ嬉しいです! 治療に向けての日々のため、大切に使わせて頂きます。