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どうして効果音を作る『仕事』を始めたか。(前編 ~はじまり~)

こんにちは!ゲーム効果音を専門に制作・受注しております、OGAWA SOUND(https://www.ogawa-sound.com/)の小川哲弘と申します。私はOGAWA SOUNDとして個人で活動してから約8年が経ち、今年で9年目を迎えることができました。
個人で活動する前はゲーム会社にサウンドデザイナーとして約5年勤めていましたので、2つの期間を足すと約13年間ゲームサウンドに関わるお仕事をさせて頂いております。

今日は、どうして効果音を作る仕事を始めたか?について私のこれまでの経験を書いてみたいと思います。もし就職関係で悩んでおられる方がいれば、なにかしらの参考になれば幸いです。

"きっかけは転職雑誌"

転機となったきっかけは、音とはまったく関係のない賃貸営業の仕事をしていた時代に遡ります。賃貸営業の仕事は人と直接対面する仕事で、お客さんの希望に沿う物件を探し、案内、契約をするのが主。

歩合制ということもありやりがいを感じていました。同僚、上司との人間関係もよく、仕事に対して不満はない環境でした。しかし、あるときふと自問してしまいました。

「ずっとこのままこの仕事を続けていくのか?」と。

「続けていく」という選択肢を即答できませんでした。そんなときに転職雑誌を何気なく立ち読みしたんです。するとそこには一人のサウンドクリエイターのインタビュー記事が載ってあり、こう書かれていました。

『自宅でコンピューターを使い、音楽を作ってデータを納品しているんです。』

衝撃でした。そんな仕事があるの!?と。
私はそれまで趣味でドラマーとしてバンドを組んでたこともあり、音楽の世界を少しは知っているつもりでしたが、コンピューターですべて音楽が完結してしまう世界をよく知りませんでしたし、何より家に居ながら個人で音楽制作の活動をして収入を得ることが可能なんだ!と衝撃を受けたのです。(当時2006年頃)

それを知ってからは頭の中はコンピューターを使った音楽制作のことばかり。もともと小さなころからゲームが好きで、高校生からずっとバンドをしていたこともあり、これまで自分の人生を大きく占めてきた「ゲーム」+「音楽」を組み合わせた、「ゲームサウンド制作」という仕事に興味を持ったのです。

"コンピューターは独学"

ゲームサウンドを作るのにコンピューターは必須です。当時の私はSONYのVAIOを持ってはいましたが、普段はインターネットを見る程度。DTMを始めるには知識がまったくありませんでした。
当時27歳くらいです。クリエイティブ職のスタートとしてはかなり遅いほうだと思います。VAIOを買ったのも25歳くらいだったので、コンピューター自体なじみのないモノでしたね。

ゲームサウンド制作の仕事に興味をもった私はそれまで勤めていた賃貸営業をやめる決心をし、DTMを習うことができる半年コースの学校に通うことにしました。そこで教えて頂いたDAWがACIDとSoundForgeです。半年という短いコースで教えて頂いた内容は、主にDAWの操作方法と映像に対して音をつけるMA作業。映像を作る別のクラスとコラボして、オーディションをしたり発表会を設けたりして良い経験をさせて頂きました。

ただ、生で演奏したデータで音楽を作ったり、効果音をゼロから作るような授業はほとんどなく、効果音は効果音ライブラリーから、音楽もループ素材を組み合わせて作るような内容が主でした。そのため、ゼロから作り出す創作方法より「素材を選んで組み合わせる」創作方法ついて特に得られるものが大きかったです。

"やりたい仕事に近い場所に身を置く"

なんとか音を形にできるようになった私は、ゲームサウンドに関わる仕事を探します。しかし、一般職に比べて特殊な職種ということもあり求人雑誌にはまったく載っておらず、先の学校からの案内にもそうした仕事はありませんでした。

なかなかゲームサウンドの仕事が見つからない中、たった一つだけゲーム会社のアルバイト募集を見つけました。

職種は「ゲームデバッグ」。

ゲームデバッグとは、開発中のゲームが問題なく動作するかをチェックする仕事で、常にゲームをチェックしてバグを見つけることが主な仕事です。

「もしかしたらゲームデバッグからサウンド部署へいくことが出来るかもしれない」

そんな希望を抱いて、私はゲームデバッグの仕事に応募をしました。面接のとき、「デバッグからサウンド部署へ移動された方はいますか?」と面接官の方に質問したところ、「いますよ~!」とのこと!これを聞いた私はゲームデバッグの仕事をしながらサウンド部署へ行くことを決めました。

直接ゲームサウンドの募集に応募することは出来ませんでしたが、ゲームサウンドの仕事に就けるよう、なるべく近い場所に身を置くことにしたのです。

"最初の仕事はゲームデバッグ"

ゲームデバッグの仕事は思ったよりハードでした。ゲームは子供のころから大好きだったので、1日中ゲームをチェックする仕事なら問題ないだろうとタカをくくっていました。実際は同じことの反復作業が精神的にキツく、さらにバグを見つけることができなかったときは一日の仕事に達成感を感じにくいので(バグが見つからないのはゲームとして素晴らしいこと)、モチベーションが下がってきます。

また、それまで直接対面で感謝や言葉を頂いていた賃貸営業からの転職だったので、余計に仕事の達成感を感じにくかったのかもしれません。

そんなデバッグ作業の中でしたが、私は自分の作った音楽や効果音の作品をCDに焼いて、自分はゲームサウンドを作って働きたい!と目指していることを度々上司にアピールしていました。そして、作品のアピールを繰り返して数か月後、ゲーム開発部署から音の調整手伝いをしてほしいとの連絡を頂くことになります。

「よしっ!!」

私は心の中でガッツポーズをとりました(笑)ようやく、サウンドの仕事をすることができるんだ!と。

"念願のゲームサウンドのお仕事"

移動した開発部署では、すでに発売しているゲームを多数収録しなおすアーカイブ作品を作る開発ラインで、私を入れても3人の少人数で調整している開発部署でした。私以外はプログラムを担当されているJさんとAさんのお二人、そしてもともとサウンド調整の人がいたが辞めることになったらしく、空きが出たから私が呼ばれた状況。

念願のゲームサウンド初仕事は、「各音素材の音量調整」です。

収録されるゲームは昔発売されたものなので完成されており、アーカイブ用にそれぞれの音素材の音量を調整することがメインの仕事です。音量を合わせる基準や目安はなく、パラメータ調整したものを直接実機で確認するしかありませんでした。自分の耳だけを頼りに必至で音量チェックに取り組んだのを今でも覚えています。

昔に作られたゲームなので音の演出が足りないと感じる箇所も多々あったので、私はこっそりと得意の音素材の組み合わせで演出を強化したものもあります。
例えば、フェニックスの形をした炎をまとい超必殺技を放つ演出。炎の音しかなかったので、ほかのシーンで使われている「フェニックスの鳴き声」をこっそり足したりしていましたね。気づいた人はいるでしょうか?(笑)

何にせよ、私はようやく就くことができたゲームサウンドの仕事にとてもやりがいを感じていました。しかし、それも束の間・・・

次へ続く。

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