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【目印を見つけるノート】427. とてもよく晴れていた日で

6月3日(木)晴れときどき曇り
友引(壬午)月齢22.3
📚きのうのことを書いています

6時起床。まあまあです。夜中まで小説の更新がかかってしまったので、寝不足ばりばりです。ぼけぼけっとたまに寝落ちしそうになりながら、仕事は何とか終わりました。奇跡的です。最近はしゃちこばらずに、お客様からの電話を受けています。

ニュースは見ていますが、最近はひどいなって思ってしまうものも多くて、どうしたらいいのだろうと思います(何もできないです)。特に、弱い立場の人がひどいことをされるニュースには、こちらにまったく書けないほどの気持ちを覚えます。
そうですね。遮断すればいいのかもしれません。関わるプライバシーについて至るところで拡散されるのもどうかと思いますし……その一端は担えません。でも、知ったことについてスルーしたくはないと思います。

この日、6月3日は雲仙普賢岳の大火砕流から30年目の日です。
犠牲となったすべての方のご冥福をお祈りしています。
黙祷。

ちょこっと話したりしていた先輩がこのときに亡くなりました。
30年前の6月3日の夜は、仲間内で電話連絡が回ってきて、22時頃かな、それから自転車で友だちの家に行きました。テレビに映る凄まじい噴火の様子に息を飲み、まんじりともせず夜を明かしました。
NHKのテロップ画面ばかりが暗闇に浮かび上がっていました。

以来毎年、このことに関するニュースを見てきました。当時はインターネットも普及していない頃でしたが、それから10年経ったら普通になっていました。そこでもこのことは伝えられるわけですが、ただ見てきました。ジャーナリストの江川紹子さんがこの災害について書かれたご著書を読んでからでしょうか。少し全体を落ち着いて見られるようになったのは。
先輩の口ぐせが書いてありました。すごい取材力ですね。

島原には2度行きました。
そのような機会があってよかったです。

ニュースのことをよく私は書きますが、そこから自分がどう判断し行動するのかが、もっとも大切だなというのはずっと思っています。又聞きよりも自分で実際に知ったほうがいいことは言を待ちません。そして時間をかけて見た方がいいことも。

島原行き。
1度目は泥水が張ってしまった田んぼに陽光が輝いているのを見て、島原鉄道で女子高生が手を叩く音の揺らぎを聴いていました。
このときには初めて長崎弁を聴きもしました。
「避難したとよ、おそろしかもん」
諫早に避難したとおっしゃっていました。
2度目は取材でした。復興テーマの取材でしたが、行かせていただいたことに感謝しています。地元島原市の『ガマダス』(復興プラン)について市の方にお話を伺いました。
そして、ヘルメットをかぶって『定点』と呼ばれていたところにも行きました。今もでしょうか。

よく晴れていました。



⚫今日の1曲

Cocco(こっこ)『Raining』

さきほどの、「よく晴れていた」という時を思うときに出てくるのはこの曲です。

雨なら泣けたのに、とても晴れた日。
吐き出すことができない悲しみのこと。

曲の歌詞と細かな状況は違うのですが、この曲以上にあのとき空を見た気持ちにあてはまるものはありません。

今日はそんな感じです。
雨、あまりひどくなりませんように。
梅雨がどうなったのかよく分からないのですが。

それでは、読んでくださってありがとうございます。

尾方佐羽







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