休職日記30
今朝は、起きられなかった。
ここ数日の反動かのように、からだが重くて、動けない。
同居人氏2が起きてきた気配がしたものの、わたしは起き上がることができずに、そのまま寝そべっていた。
すると同居人氏2は、特に気にする様子でもなく、昨日の帰りに自分で買ってきたお気に入りのパンと、お気に入りのよつ葉乳業のクリームチーズをいそいそと食卓に並べ、なんなら昨日の残りのお味噌汁まで温めちゃって、充実した朝ごはんを堪能していた。
同居人氏2のお気に入りのパンは、まんまるの白いパンで、近所のスーパーのお惣菜コーナーでひと袋5個入りで売っていて、それを昨夜2袋買って帰ってきたので、どうやら今日の朝ごはんが楽しみだったようである。
同居人氏2、前回はよつ葉乳業のバターで食パンを4枚食べていたけれど、今日はお気に入りの丸パンを5個も食べていた。
育ち盛りなのか。
なんにせよ、おいしくごはんが食べられることは、良いことだ。
わたしは、同居人氏2が出かける間際にどうにか這い出して、古紙回収の日だから段ボールを託し、いってらっしゃい、と見送った。
すでに細々と在宅業務を始めていた同居人氏1に、
すみません、今日はなんかめっちゃ調子悪いっす、ちょっとなんもできないかも…
と伝える。
台所には、昨晩からの洗いものたちが、たんまりと積まれていたので、申し訳なさマックスだった。
すると、同居人氏1は、たいして気に留めることもなく、
いいよいいよ、今日はゆっくり寝てなあ〜
と言うやいなや、ちゃっちゃと汚れた食器たちをキレイに片付けてくれた。
ほんとうに、同居人氏1は、仕事のできるひとなのである。
そしてわたしはお言葉に甘えて、ソファでじっ、としていることにした。
少しだけ、図書館から借りていた詩集を読んだけれど、すぐに眠くなって、眠った。
お昼頃には一応起きて、同居人氏1と一緒にお昼ごはんを食べたあと、noteを読んだり、スマホのゲームをしたり、太って着られなくなった衣類を段ボールに詰めたり、していた。
着られなくなった衣類を回収して、途上国の子どもたちへのワクチンにしてくれるサイトがあったので、そこに申し込んだのだった。
このようにして、今日は1日だらだらと、ゆっくりさせてもらっている。
わたしは、わたしのnoteに、こんなふうな、なんともない毎日を書くことが、好きだ。
こころの病いを抱えた人の中にも、いろんな人がいる。
休職期間中に、自己研鑽に励むというか、なにかの勉強をはじめたり、うつにはこんなことがいいよ、と情報を共有してくれたり、ほんとうに千差万別だ。
餅は餅屋、ということわざがあるように、そういう、なにかを「発信」することが得意な人は、どんどん発信したらいいと思う。
その発信を受け取った誰かが、なにか感じ取るものがあって、変わることができるかもしれない。
それは、ほんとうにほんとうに、素晴らしいことだ。
でもわたしは、「発信」しない。
得意じゃないのだ。
だから「お披露目」している。
こんなふうにだらだらしているよ、こんなふうに思ったよ、こんなごはんを食べたよ、同居人氏たちとこんなふうに生きてるよ、と、お披露目しているのだ。
こんなわたしだって、有意義なこと、たとえば、なんだろう、何か資格の勉強とか、したくなったら、するだろう。
でもなぜか、むかーしから、そういうの、得意じゃなかった。
それよりも、音楽を作ったり聞いたり、お話を読んだり書いたり、そういう、無為の行為に、こころが踊ってしまうタチなのだ。
餅は餅屋。
だからわたしは今日のこんなわたしも、お披露目している。
今日はダラダラしましたよ。
明日はちゃんと病院、行けるかな?
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい