HiranoSachiko

クラウンネームはさっちー。36年と2か月のソーシャルワーカー勤務を経て人生は還暦後のス…

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クラウンネームはさっちー。36年と2か月のソーシャルワーカー勤務を経て人生は還暦後のステージへ。これまでの憶えていることをメモメモ。どんどん忘れちゃうからね(笑)。赤ハナつけていないときもクラウンな日々。金本麻理子主宰クラウン・ワン・ジャパンにつながっています。

マガジン

  • パッチに会えた♪

    このマガジンはクラウンの師匠まりちゃん(金本麻理子さん)とのつながりから出会えたパッチ・アダムス氏に関わる記事をまとめました。HiranoSachiko noteは、還暦後のステージに突入し憶えていることをメモメモしている回顧録。なんでクラウンでありたいかも、過去を振り返りながら探究してまーす(笑)。

最近の記事

さくら満開誕生日 涙はハートになって舞っている♪ー33-2024/4/7

 2024年4月7日、4つ(64歳)になった。  母が享年59歳だったから、60過ぎに元気でいる自分の姿を全く想像できずに50代を過ごした。哀れなほどに、おろおろと気持ちは低空飛行だった。だってもうあと少しだから、、、と。定年前にフルタイム勤務をやめたのも、もう元気ではいられないと思ったから。4つを迎え、そんなことを思っていた自分が可笑しくておかしくて、笑ってしまえるようになりました(笑)。  ここへきて、複数の方から、  「今がいちばんイキイキしているねーー」 とか、

    • お母さんとの別れ「どうやって超えたんですか?」32-2024/3/27

       「どうやって超えたんですか、、、?」  ほんの最近お母様との急なお別れをした方からの言葉。「あなたはお母さんとの別れをどうやって、、?」と。その方は友人ではない。とある居場所的な場で出会った方の言葉。応えは、しどろもどろに、、、。ろくなことを言えなかった。申し訳ない。  正直、超えてはいないのだ、私。そう自分の中で認めることができたときに、少し心が軽くなったのを覚えている。グリーフは解放されない。私はいつでも涙が溢れてくる。解放される「時」はこない。  でも、こなく

      • 入試のランチはツナサンド31-2024/2/27

         2月といえば入試シーズン。ン十年前の大学入試をふと思ったとき、ぱあーと浮かぶ映像(画像かな?w)は、ホイルに包まれたツナサンド。どうしてだったか思い出せないが、母にリクエストした。お昼にツナサンドをぱくついて、あんまりできがよくなかったなーという大学から合格をもらい、おっいけるかも!と思ったとこの桜は散った、、(笑)。  第一志望と第二志望に落ちた。ちょっとばかり公立のなかの進学校だったから、なんで浪人しなかったの?なんて言う人もいた。もう1年の受験勉強?!には耐えられそ

        • わが家の遊び-花札に麻雀牌?and百人一首30-2024/1/27

           2024年を迎えました。いったいどんな年になるのか。明けた途端の元日に親友が来てくれてスキヤキ!!うれしいはじまりだった。だが、能登半島の地震ニュースに驚愕、鍋をつつくのが申し訳なかった。自然は、元日も無関係と思い知る。能登半島のみなさん、心よりお見舞い申し上げます。  年明け、かかわるNPOが企画を担当するシニア向けカフェで、お正月の遊びを尋ねる機会があった。参加のみなさん(70代80代がほとんど)からは、いろいろいろいろ、ひととおりの遊びが出てきた。その日は、みんな

        さくら満開誕生日 涙はハートになって舞っている♪ー33-2024/4/7

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        • パッチに会えた♪
          6本

        記事

          とんがりはっとは出会いの場?!29-2023/12/31

           2023年大晦日を迎えた。思いのほか初めて体験をした今年。出会えたみなさま、支えてくれた方々に感謝の想いばかり。  昨日12月30日は、ここ数年の恒例行事となった、茨城県那珂市のとんがりはっとで買いものをして、常陸太田市にある母方祖先のお墓にお参り、イトコと叔母あやこばちゃんとの大おしゃべり大会。恙なく終えることができた。そして、あやこばちゃん作のし餅と松前漬けをもらい、いよいよ新年を迎える気持ちが高まった。89歳のあやこばちゃんからは、「今年が最後かも」と。そのあと、

          とんがりはっとは出会いの場?!29-2023/12/31

          酒粕は荷物の緩衝材?!28-2023/11/27

           母の実家は酒屋だった。そこで育ったいとこは、現在は結婚して隣町に暮らすが、ひとり暮らしをされていた叔母(いとこのお母さん)が他界し、実家の跡片付けをしている。地元に足繁く通っているにちがいない。酒屋だったからか、地元の酒蔵とのつながりがあるのだろう。この11月の終わりに、搾りたて(!)という酒粕を送ってくれた。  こんなにいい香りがするんだ~というくらい香しい。  ふと、その昔、私が小学校低学年の頃だと思うが、、、母の実家の祖母が、手づくりの梅干しやらっきょうを箱に詰め

          酒粕は荷物の緩衝材?!28-2023/11/27

          「こわかった」けど、代わりのいないかけがえのない人27-2023/10/17

           私の4つ上の姉は、10月12日が誕生日、命日は10月9日。あと3日生きられたら42歳になれたのに(享年41歳)。私の姉の思い出を綴った1年前のnote 1) をもとに、「沁みる夜汽車」というNHK番組のひとつのお話に取り上げていただいた。初回の放映が9月半ば、10月にも放映され、そこへきて姉の命日と誕生日が通り過ぎるものだから、この10月は毎日姉のことを想っていた。ふだんだと命日には姉の好物のかりんとうを買ってきたりするのだが、今年はしそびれた。毎日想っているから、まあいい

          「こわかった」けど、代わりのいないかけがえのない人27-2023/10/17

          沁みる夜汽車~なつかしい音~26-2023/09/27

            63歳になって早半年。6回めの3つの「初めて」体験は、まさかのテレビ出演。約1年くらい前に書いたnote「電車の音がさ、懐かしいから窓あけておいてよ」16-2022/11/07 (https://note.com/officesacchi/n/nd9242bc6ef9e)を、NHKの番組ディレクター氏が見つけて連絡をくださったのだ。姉の思い出を綴ったnoteだ。「沁みる夜汽車」は、鉄道に関する実話をもとにしたお話を集めた番組。国鉄マンの父の下で育った私の思い出が、この番組

          沁みる夜汽車~なつかしい音~26-2023/09/27

          ハナの日夏の日母の号泣25-2023/08/07

           今日は、語呂合わせで「鼻の日」「花の日」「バナナの日」とか。いろんな日らしい。鼻の日を意識したのは、赤ハナをつけるようになってからだから、ほんの数年のこと。クラウンになったからね(笑)。暑苦しい今夏、この日に思い出したのは、夏の日に父が入院する病院で号泣した母の姿。もしかしたら誰にも話したことがないことかもしれない。  これまでにも度々書いてきたが、私が高校3年の5月、父が大病に倒れ約1年間入院、父は重度の障害者になった。命はとりとめたが、重たい障害が残るらしいとわかった

          ハナの日夏の日母の号泣25-2023/08/07

          TULIP「心を開いて」はパッチのいうI make meかも24-2023/07/07

           2023年7月2日日曜夕方、20年ぶりにTULIPコンサートに行けた(50周年コンサート@国際フォーラムAホール)。2回目の3つの歳(つまり13歳 笑)、初めてTULIPを生で観て聴いたとnote21-2023/04/07に書いた、あのTULIPだ(参照:3つは「はじまり~はじまり~」の歳https://note.com/officesacchi/n/n28e5cc7a8188)。  TULIPに熱狂したのは中学生のとき(1973年~1975年)。友だちの影響が大いにあ

          TULIP「心を開いて」はパッチのいうI make meかも24-2023/07/07

          いつももっている大切なもの???23-2023/06/07

           5月最終の週末、クラウンの師匠まりちゃんの20年来の友人であり、ケアリング・クラウンの仲間であるイタリアのジネーブラが来日した。ジネーブラは、まりちゃんの師匠パッチ・アダムスと1994年に出会い、以来共にクラウンとして戦地を含めた世界各地を訪れ、現在も活躍するクラウンである。とにかく存在そのものと表現がとってもチャーミング。ずーっといっしょにいたい~と思ってしまう素敵な方。今回2日間のワークショップを開催してくれた上、乳幼児親子サロンやシニアの暮らす場でのクラウニングもされ

          いつももっている大切なもの???23-2023/06/07

          お父さんのお鮨屋さん22-2023/05/07

           コロナ禍がなんとか過ぎつつある2023年5月GW。あっちもこっちも4年ぶりの嵐。  5月5日、私の子ども時代の「子どもの日」を思い出そうとしてみた。思い出そうとしないと子どもの日がどうだったか、浮かんでこない。姉妹のみだったから、五月人形も兜もわが家にはなかった。そうだ!!と思い出したのは、味噌案の柏餅を初めて味わったときの感動。びっくりするほど美味しいと思った(笑)。  もうひとつ思い出すのは、母と二人だけで行った「としまえん」。  小学校3年生頃だったか。ジェットコ

          お父さんのお鮨屋さん22-2023/05/07

          3つは「はじまり〜はじまり〜」の歳21-2023/04/07

           「今日4月7日と言えば、3年前緊急事態宣言が出された日です」とテレビから聞こえた。自分の誕生日は、知る人ぞ知る鉄腕アトムの誕生日といっしょだが、翌日のお釈迦様の誕生日を控え報道で語られることのない期日だ(と思う)。それが今や緊急事態宣言発出記念日なのか(笑)。2020年のその日は私の還暦の誕生日だったんだけどな、、、と3年前を想う。  今日は63歳の誕生日。3つになりました(笑)。6回目の3つである。  リアル3歳の頃はどんなだったか思い起こそうとしたが怪しい微かな記憶

          3つは「はじまり〜はじまり〜」の歳21-2023/04/07

          すみっこに飾れるお雛さま-母からのメッセージ-20-2023/03/07

           子どもの頃飾ったお雛さまが、私の元にきたのは26年前。飾れない年もあったが、この十数年は前職の職場に飾り、67年物のお雛さまは好評だった。今年もわが家のリビングのすみっこに飾り、ひな祭り当日はツレと雛あられとお寿司を食べた。  今年(2023年)のひな祭りはすでに過ぎたが、お雛さまは今もリビングのすみですましている。その昔「お雛さまを片付けないと嫁に行き遅れる」ときいたのは、いつのことだったか。この言葉、母から聞いた言葉だっただろうか。母からこのメッセージを聞いた気がしな

          すみっこに飾れるお雛さま-母からのメッセージ-20-2023/03/07

          不安から知った郷愁?!-初めての転校- 19-2023/2/07

          まちの人なら誰でも出せる展覧会に、OEKAKIクラウンさっちーの絵を出した。出展した絵は、現在どっぷり取り組むCAP(子どもへの暴力防止)プログラムで子どもたちに伝えている特別に大切な3つの権利と「I LOVE ME」を表すポーズを描いたもの。「I LOVE ME」は、クラウンの師匠の師匠パッチ・アダムスのメッセージだ。 CAPプログラムは、「私は大切な存在」と思える意識(人権意識)が育つようなかかわりを大切にしている。それは、私は大切な存在~大切な私を大切に想う~大切な私

          不安から知った郷愁?!-初めての転校- 19-2023/2/07

          頑なに拒んだ晴れ着18-2023/1/07

           お正月に晴れ着姿を見ることは少なくなった。成人式では晴れ着を着ているかな。ふと、自分の晴れ着?着物?和装?との接点を想う。こんな 思いがけない写真が出てきたからだ。  この写真、平野家家族4人で写っているレアな写真だ。家族4人の写真はこれ以外にはないかもしれないくらい、レアだ。父が写っているのだから、父が撮ったのではない。いったい誰が撮ってくれたのだろう。私は、小学校に入るかそこらのころだ。お正月、父方の祖父母に一家であいさつに来た時、祖父母宅の前。昭和な雰囲気が漂ってい

          頑なに拒んだ晴れ着18-2023/1/07