見出し画像

沁みる夜汽車~なつかしい音~26-2023/09/27

 

 63歳になって早半年。6回めの3つの「初めて」体験は、まさかのテレビ出演。約1年くらい前に書いたnote「電車の音がさ、懐かしいから窓あけておいてよ」16-2022/11/07 (https://note.com/officesacchi/n/nd9242bc6ef9e)を、NHKの番組ディレクター氏が見つけて連絡をくださったのだ。姉の思い出を綴ったnoteだ。「沁みる夜汽車」は、鉄道に関する実話をもとにしたお話を集めた番組。国鉄マンの父の下で育った私の思い出が、この番組のコンセプトにあったのだろう。それにしても、こんな素人の書いたものを「よくまあみつけてくれた!」とびっくりした。

 番組は、この9月15日夜中に初めて放送された。連絡をもらってから約半年。面談と電話での取材、計10時間近く。このように番組のひとつのお話にまとめてくださったこと、できあがるまでにはたくさんのプロたちが関わっていると知ったこと、私の記録に止まっていた現場の写真も撮って見せてくれたこと。数々の驚きの連続で、この歳になって知らない世界を垣間見せてもらったことにただただ感謝している。ディレクター氏は、終始誠心誠意で接してくださったと思う。そのことにも感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 だが、連絡をもらったときは、二つ返事でハイお願いします~の気持ちにはなれなかった。なんせ、大好きだったお姉ちゃんのことではなく、「怖くてたまらなかったお姉ちゃん」の話だから。noteにこっそり書くのはいいが、テレビ?!はどうかなーーだったから。取材を通して姉に関することをグイグイきかれて、あーこういうこともあったな、と思い出したこともあって、それはよかったと思っている。まちがいなく、物心ついたらいっしょにいた人で、代わりはいないたった一人の私の姉だから。

 それでも、やはり「怖くてたまらなかった」という姉の印象が解消されたわけではない。なんだか不可解なもやもやの塊がちょっと大きくなったかも。はっきりと文字にはしにくい。きょうだいは親と違って同じ時代を生きる人なんだから、なんで駆け抜けてとっとと走って逝ってしまったの?と今も思っている。生きていてほしかった。これは嘘ではない。でも、生きていてくれたら、やはりうっとうしくて怖いままだったようにも思う(笑)。それでもいいから、生きていてほしかったと思うのは、姉の代わりはいないからだ。

 赤ハナクラウンの私だから、この番組の取材を受けることができた、ように思っている。還暦も過ぎ老境の入口に立った。だが、新しい世界を知ったりチャレンジすることにわくわくできるのは、クラウンだからこそ。失敗なんて怖くないから。クラウンになれたのは、母と父と姉を見送る度にあふれ
た涙のお陰かもしれないんだけど(笑)。

 あらためて、当方のnoteを見つけてくださった、(株)スティーロの「沁みる夜汽車」ディレクター坂巻章太郎さんに深く感謝いたします。

 今、姉に再会できたら、赤ハナつけたクラウンさっちーにも会ってもらう。「なにそれ!!馬鹿じゃないの?」って言われるのかな。
(表紙の絵は、天国にいるはずの父母と姉にこっちは元気だよーと言ってるクラウンさっちー(笑))

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?