今の私と息子(私と息子の発達障害その3-1)
1)「顔色を見る」息子
小さい頃、衝動的に動く息子を危険から遠ざけるために私はずいぶんと強く「ダメ」を言ってきました。就学後も忘れ物を繰り返したり宿題をしていかなかったり、様々なことについて強い口調で叱ってきました。そしてなぜダメなのか、分かるまで説明しようとしました。
しかし、#ADHD の彼にはこれはあまりいいやり方ではありませんでした。
彼はいつもよい返事をしますが、守ることができません。いきおい私は「何で言ったことを守らないの」とさらに叱ってしまいます。
しかし、彼が「はい」と返事するのはただの勢いによるものであり、私の話は5分以上は彼の頭に残らず、彼にとってはただ時間をやり過ごしているに過ぎませんでした。
そんな状態ですから、彼の #自己肯定感 は大変低いものでした。
私は彼にとって「乗り越えられない壁」だったと思います。つらいとき、彼はしばしば自分の頭を殴るような自傷行動を行っていたとあとで知りました。
私が彼に意見を求めると、彼は自分の希望でなく、私の求めている答を答えるようになっていましたが、 #自閉症スペクトラム の私はなかなかそのことに気づくことが出来ず、その結果起こるトラブルを理解できずにいました。
中学から大学頃まで、彼はずいぶんとつらい状態だったろうと思います。
2)私の障害受容と自己尊重学習
息子が高校生の頃、私は人間関係のトラブルで #鬱状態 となり、仕事を続けられなくなりました。通院しつつどうしたらよいかを模索するうち、市内のあるサークルに出会いました。男女共同参画に関する会ですが、主に #自己尊重 ・ #アサーティブ をテーマに学習・トレーニングを続けていくものでした。
この会や市主催の #傾聴 講座その他の中で学ぶうち、私は一般の( #定型発達 の)人達のものの考え方や行動のしかたが少しずつ分かるようになってきました。
なぜなのかは理解できなくてもそのことを念頭に置いて対応すれば、社会的な困難は少しでも減るということが少しずつ分かってきました。
例えば私は #非言語性コミュニケーション (身振りや表情、声音など)が苦手なため、言うこととやることが違う人や、会議で意見を言わないのに後で文句を言う人を大変不愉快に思ってきました。
定型発達の人達は言葉で言わなくても「察する」というのですが、私にはそれがどういうことなのかが分かりません。しかし「推測する」ことである程度は補えるようだと気がつきました。
今までの自分の生きにくさや問題がどういうしくみで起こっていたのかがわかると、その分つらさは減り、自分も他の人も受け入れて尊重するという自己肯定感が少しずつ高まってきました。
自分は「そういうもの」なのだ、否定しても変えられないしムキになって他人を変えようとしなくてもいい。ただ存在し続ければOKなのだと。
自分が自閉症スペクトラムであることも、少しずつオープンにできるようになりました。
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