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MFにLGBTQIA+を加えるだけで終えない組織開発

体系から考える

組織に不合理を感じた時、どのように思考(思索)を進めるでしょうか。とっかかりは、もちろん目の前にある不合理の解消方法となるでしょう。しかし、1つの手続きを変更するためには、別の手続きの変更も必要となり、やがては別部署の協力も必要になってくることに気が付きます。多くの人は、この時点で不合理の解消を諦めるでしょうが、一部には、さらに思索を深める人もいます。そしてその人は、組織体系の問題に到達することになるでしょう。
組織が体系であるということは、組織はある種のカテゴリーから生成されているということを示しています。だから、目の前の不合理の解決を検討するとき、それが、本来、どこに属するべきかから始めることになります。そこで、単なる押し付け合いに発展するかもしれません。
しかし組織は、そもそも今の組織になろうとして成長してきたわけではありません。内外環境の変化に応じながらカテゴリーを変更してきた結果に過ぎないのです。
このような変更の当初は、おそらく新たなカテゴリーを作ることで対応していくでしょう。だから目の間の不合理は、そのようなつぎはぎを繰り返した結果だと見て取れます。つまり現行の組織は、そもそもの体系が崩れてしまったのかもしれません。
このように組織を捉えていくと、目の前の不合理を解決するためには、まったく新しい見方(体系)が構築されるべきだという考えに至ることになるでしょう。それは、今、既存の組織が揺さぶられ、それによって枠からこぼれ落ちてしまうような存在を救おうとしていることなのかもしれません。つまり、このような撹乱への対応方法として、組織を見直すという結論に至るものだとも考えられます。

保守から生まれる未来を疑う

しかし、一方で、保守的な言動に固執する人もいます。保守とは、何を保ち守るのかと言えば、古き良き時代です。例えばIT革命期、「限らた画面では全体が俯瞰できない(結局は出力紙をテープで貼って大きな1枚の用紙にするのだから、最初から手書きした方が良い)」「画面上の確認は出力紙の確認よりも見落としが多い」など、従来のやり方の方が優れている点を列挙する人がいました。今なら、スマホの弊害を殊更に喧伝する姿勢に通じるかもしれません。
このように、保守的であろうとする心情が生まれるのは、安定していることを第一に(今より悪くならないで欲しいと)考えるからでしょう。組織は、仕事における土俵のようなものです。だから、それが丸でも四角でも、狭くても広くても、変わらずに一定であることを重要視するのだと思います。一定であれば、対処方法を検討できるからです。
確かに、このような心情は理解できます。しかし、時代はとどまりません。ましてやグローバルな世の中ではなおさらです。だから、保守的であろうとする力が強ければ強いほど、外部環境変化に鈍感となり、結果的に急激な変化に見舞われることになるのではないでしょうか。

“一般的(普遍的)”の呪縛から離れる

このように、保守的であることが明るい未来に繋がることはありません。しかし、常に激流のような変動にさらされることもまた、辛いことでしょう。だからこそ、変化を受け入れるのではなく、変化を起こす立場に立つことが必要なのだと思います。
そもそも、なぜ、今、組織の不合理を感じたのでしょうか。それは、過去への郷愁からだったのでしょうか。おそらく、そのようなことからは切り離され、ただ、今を考えた結果だったと思います。そしてその不合理は、必ずしも一般化(普遍化)することはできないものかもしれません。しかし、同じ組織メンバーであれば、共感を得ることが可能かもしれない不合理でしょう。
重要なのは、過去ではなく現在に目を向け、かつ、自身の属しているこの組織を対象とすることです。なぜなら組織とは、その点で共感できるメンバーの集団だと考えるからです。もちろん、完全に考えが一致するということはないでしょう。しかし、一定レベルで相互が許容できる範囲ではあるはずです。
余談ですが、もし、共感を得られなかったり、許容範囲を超える自制を求められたりするのであれば、ましてや組織(あるいは組織内の他者)が物理的にも精神的にも強要してくるようであれば、自身がその組織のメンバーであることは相応しくないと考えるほかないでしょう。

未来をイメージする

このように変化を求めるとき、方法論として「あの時は良かった」と懐古するのは簡単で、ある種の納得性を持ちます。しかし、現状は過去と同じではありません。過去に戻ろうとするのではなく、現状に対する不合理が解消された未来を思い描くほかないのです。
そのためには、今、全体をどのように俯瞰するのかを検討することが大切です。カテゴリーの総体は全体であり、全体がカテゴリーに分類されるからです。そうすれば、今とは全く別の在り方(世界あるいはビジョン)が見えてくることになるでしょう。
そして、この時に必要なことは、大切にしたい何かは、残すのではなく、未来にどのように存在しているのかをイメージすることだと思います。そして、結局、それが現状の不合理の解消にもつながるのだと考えます。

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