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人事制度が“ブレる”からモチベーションが上がる組織開発

制度を翻弄する2つの視点

人事制度は、常に揺れ動いています。例えば、若年者の“やりがい”を阻害する要因として、年功序列に依る“ポスト”不足が問題になりました。そこで導入されたのが役職定年制度で、多くの企業が、55歳を境にしてこの制度を導入しました。しかし、公的年金の原資不足から、65歳までの雇用延長が義務化されると、10年間も組織にぶら下がるだけの社員が激増することが想定されるようになります。そこで、60歳以降も組織に残る(再雇用契約を結ぶ)と、給与の7割カット(年金相当額の補償のみ行うこと)が普通のこととなり、必ずしも雇用延長を望まない人材も少なからず存在する状態を作り出しました。ところが、技術職を中心とした人手不足が顕在化すると、再び役職定年制度を廃止し、人手確保に奔走するようになります。
組織は誰のものかという問に対する答えは、なかなか出るものではありません。しかし、その問を持つことは重要だと考えます。なぜなら、組織にとって善なる制度と、そこで働く個にとって善なる制度は、そもそもの視点が異なるということに気づくからです。双方は、必ずしも相反する方向にあるわけではありません。しかし、同じ土俵で検討することはできません。いわば、車の両輪として検討されるべきだと思います。

組織にとっての善と個に対する善

役職定年制度が導入された当初は、60歳定年で組織を去ることが前提でした。だから役職定年後の5年間は、これまでの組織人人生の締めくくり、来るべき老後に想いを馳せる期間として、組織も許容することができました。しかし、65歳までの10年間となると話が違います。そこで組織は、役職定年後の10年間も組織貢献が続くように、対象者に自身のキャリアを再定義することを求めるようになりました。実際、私もそのような研修を数多く実施しています。つまり、組織としてのニーズである役職定年と65歳雇用延長は残しつつ、個としてのニーズであるキャリアの再定義に対する機会の提供と、それぞれのニーズに合致した施策を一体として運用するようになったわけです。
しかし、組織にとっての善と、個に対する善を同時になすことは、それほど簡単なことではないでしょう。
組織にとっての善は、比較的簡単に見出すことができます。なぜなら、効率あるいは効果という視点から見出せる数値目標が、その前提になるからです。これは経営的視点ともいえ、意思決定をするということです。ここで意思決定とは、換言すれば選択することであり、したがって組織は、提示された選択肢にしたがって、ただ選べば良いだけのことだと言えるわけです。そうは言っても、どのように選ぶのか、選んだ責任はどうなるのかと思いを巡らせると逡巡してしまうかもしれません。また、「自分には選択肢が1つしかない」と思い込むこともしばしばであるように見受けられます。それでも、選べば良いということには変わりはなく、無から有を生み出すことに比べれば、「簡単」という表現も、あながち間違ってはいないでしょう。
一方で、個に対する善は、また違った状況にあるように思われます。一般に、「あなたにとっての善は何か」と問われたとき、自身に対する何らかの束縛からの解放を答えるでしょう。例えば、長時間労働からの解放や、低賃金からの解放などです。換言すれば、不満の解消を求める行為が、自身にとっての善のすべてだという固定観念に縛られた回答しか思いつかないのです。しかし不満の解消は、自身の満足度という視点で評価するなら、マイナスをゼロに近づけるだけの行為です。そして不満は、決してなくなる(ゼロになる)ことはありません。安い賃金が上がったとしても、「もっと、上がってもいいのではないか…」と、誰もが思うことでしょう。そこで求められることは、満足度がプラスに評価される事象への貢献です。

二項対立から統合へ

満足度がプラスに評価される事象への貢献とは、単純化すれば、楽しいと思える時間を増やすことです。ここで、ワークライフ・バランスなどのように、つまらない勤務時間を短くし、楽しいプライベートタイムを長くするという施策が思いつくかもしれません。しかし、これはわかり易いですが、短絡的であると言わざるを得ません。事実、仕事が終わって帰宅しても、とくにやりたいこともないという人は、案外、多いのではないでしょうか。
一部で、「抽象化能力」の重要性が指摘されています。ロジカルシンキングの領域では、チャンクアップと呼ばれる思考テクニックです。この能力を推奨している人は、「歴史的事実は、二度と起こることはない。それは過去にあった出来事だから。しかし、その事実と現在の自身の状況を比較し、共通点を見出すことができれば、今の苦境を脱することができるかもしれない。つまり歴史的事実を学ぶということは、今を有意義に暮らすためのヒントを得ることだ」と、よく言います。この箴言を換言するなら、「それが、ワークライフ・インテグレーションだ」ということになるでしょう。
つまり、楽しいと思える時間を増やすとは、楽しい時間とつまらない時間という2項対立を作り上げることではなく、100%つまらない時間を80%つまらない時間に変化させるような、グラデーションとして時間に対する有意義性を捉えることだと言えるかもしれません。そのために、これはコレ、あれはアレではなく、知識や感情を統合していく術(抽象化能力)の必要性が唱えられるようになっているのかもしれません。

制度とは、概念として存在し、実体を直接に感じることはできません。一方、感情とは、まさに自身が抱いていることであり、それは実体です。概念は揺れ動きますが、実体は確かに在ります。実体が概念に翻弄されない個を形成する学びは、いかなる学びの機会(コミュニケーション・スキル、論理的思考、リーダーシップ、経営戦略など)でも必要であるように思われます。

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