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ストレス対処から学ぶ組織開発

攻撃は防御にならない

「メンタルが強い」と「ストレスに強い」は、似ている概念ですが、完全に同義ではないそうです。ストレスに強いとは、困難な状況や失敗に直面するなどのストレスを感じる状況下でも、冷静さを保ち、精神的に安定していられる能力を指し、主に自己肯定感に左右されるものだそうです。一方、メンタルが強いとは、単にストレス耐性があるばかりでなく、さらに前向きに対処できる能力を指すそうです。
戦略論的に見れば、しっかり守るという防御があって初めて攻撃は成立するということでしょうか。だとすれば、「攻撃は最大の防御なり」という発想では、メンタルを強くすることはおろか、ストレスにさえ負けてしまうかもしれません。

科学的に突き詰める

ストレスは、現代病と理解されている方が多いかもしれませんが、江戸時代に健康指南書として貝原益軒が著わした『養生訓』にも、長生きの秘訣のひとつとして、「完全無欠を求めてはならない」と記されています。ここからストレスは、現代人に限らず、本来的に備わっているリスクと考えることができるでしょう。
ここで科学は、「本来的に備わっている」という曖昧な理解を嫌います。そこで、ストレスが、なぜ身体的不調へとつながっていくのかを追い求めようとします。そこで、セロトニン減少説・本人の気質説・遺伝説などが唱えられるようになりましたが、いずれも決定的な根拠とはなっていないようです。ただ、身体的不調を訴える人の多くが、特定のウィルスの影響を受けていることから、そこに原因を求めようする動きがあります。

原因の除去が最善ではない

このウィルスは、日本人のほぼ100%が感染していると言われ、その感染経路は、乳幼児期の経口接触によるそうです。しかも、時間の経過とともに身体中に浸透してしまうので、例えば身体的不調が現れてからそれを除去しようとしても、それは不可能なことらしいのです。ただ、このウィルスは、身体的不調を起こす引き金になるに過ぎず、症状を継続させるものではないことはわかっているようです。
そうであるなら、ウィルスの罹患を過度に恐れる必要はなく、ワクチンなどの開発を志向することも戦略的優位性を失うものと考えられます。(実際、ワクチン開発はなされていないようです。)問題解決技法では、真因を特定し、それを除去することが究極の目標になっていますが、現実社会では、それが必ずしも合理性のある思考とは言えないわけです。

対処療法も戦略的優位性を持つ

では、ストレスによる身体的不調には、どのように対処することが合理的なのでしょうか。身体的不調は、扁桃体や前頭前野の働きを低下させ、自分のなかでストレスを作っている(ネガティブフィールドバック)状態に陥ることによって起こるとされています。そこで、ひとつの見解として、この負の連鎖を断ち切ることが、対処法として推奨されています。これは、ストレス強度(負の連鎖に陥る臨界点)に個人差があることから、ストレス耐性そのものを高めることに、現時点で医学的見解がないからかもしれませんが…。
それはともかく、ストレスによる身体的不調を引き起こす負の連鎖に陥らないためには、緊張・活動の交感神経と、リラックスの副交感神経とからなる自律神経のバランスを整えることが大切だとされています。バランスとは、交感神経が優位な時間と副交感神経が優位な時間が、リズム良く現れることです。だから、規則正しく睡眠時間を確保することが効果的だとされています。
一方で、交感神経と副交感神経を意識的に高めるストレッチも、瞬間的なストレス軽減の効果があるとされています。同じリズムを規則正しく繰り返すこともバランスですが、シンコペーションのようなアクセントを入れることも、また、バランスになっていくようなものでしょうか。
例えば筋肉に負荷をかけるストレッチは、筋肉の緊張と心の緊張が連動していることから、短時間でのバランスがとれ、即効性があるとされています。その他にも、笑うことが推奨されています。笑うとは、意識的に交感神経を活性化させることです。そこで、笑いが収まると、高まった交感神経の働きが急激に低下していきます。このとき、リラックス効果を生むのだそうです。逆に副交感神経を意識的に高めるのが、泣くと言う行為です。睡眠以外で副交感神経を優位にする唯一の方法とされ、「涙活」なども盛んに行われています。
もちろん、温泉に行くなど、物理的かつ精神的にストレッサーと距離を置くことも、仕事など日常のストレスに対処するためには効果的とされます。これなども、長期に亘るバランスと言えるでしょう。

恒常的対処をシステム化する

さて、ストレスは蓄積することから、強弱よりも、継続によって身体的不調を引き起こすことが多いようです。また、感情の変動性も、脳への負荷が大きいために身体的不調を引き起こす可能性があるそうです。つまり、一喜一憂の振れ幅が大きいと、身体的不調を引き起こす可能性があると言うことです。これは、上述の泣き・笑いを一過性のものとして、後に引き摺らないようにするということを意味しているのでしょう。
いずれにしてもストレス対処法は、文字通りの対処療法です。そこで、これを繰り返すことに不合理を感じ、完治を求めたくなるかもしれません。しかし、対処療法を日常に組み込み、それをシステムとすることによって、新たな日常が発見できるとも思えます。例えば、生きていくためには食べなければなりません。しかし、食事が日常化することによって、おいしいものを発見したり、おいしいものを食べることに喜びを発見したりできるようになったのではないでしょうか。だから、食事を必要としない体に、それほど魅力を感じないのでは…。

自らを外に開いていく

ストレス対処を自身のシステムとするためには、精神的に外に開かれていることが重要でしょう。必ずしも、物理的に一人でいてはいけないわけではありませんが、誰かと会うことは強制的に外部に開かれていきますので、システム化の助けにはなると考えられます。
また、ストレスの自己制御は、加齢によっても変化します。とくに、経験によって得た知識をストレスの制御に使う能力は、加齢によって高まります。しかし一方で、加齢は前頭前野の働きを落としていくので、怒りやすくなったり、落ち込みやすくなったりもします。このような変化も見落とさず、システムは常に更新していくことが必要でしょう。そのためにも、システムは外に開かれていることが重要だと考えます。

原因の除去だけが最善なのではなく、対処のシステム化によって成長を促進していくことも、また合理的な解決方法であるように思われます。

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