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破壊からレジリエンスを生む組織開発

東京ディスニーランドには、完成がないと言われます。完成してしまえば、あとは衰退するだけと考えられるからです。しかし、土地には限りがあります。だから、破壊と再生を繰り返すことになるのでしょう。開業当初の東京ディズニーランドは、今の東京ディズニーランドとは別物です。それでも、そこは間違いなく“東京ディズニーランド”なのです。同様のことは、例えばコカ・コーラについても言えます。コカ・コーラの味は、発売当初と今では、全く違っています。それでも、いや、だからこそ“コカ・コーラ”であり続けるのだと思います。すなわち、一見、同じところに止まっているように見え、実は変化しているということが、成長の正体なのではないでしょうか。

しかし、多くの場合、この実践はなかなか難しいように思われます。それは、成功体験はなかなか否定できないからだとも言われますが、本質的には、永続させるために行われる破壊と再生が、同時に、そして等分に行われる必要があるにもかかわらず、それができない(求めない)からであるように思われます。すなわち、現実には、結果的に破壊の方が大きかったりすることもしばしばですが、そもそも、破壊よりも大きい再生を目指すのではないでしょうか。そして破壊を超える再生を、成長と認識しているのではないでしょうか。世界最長寿カンパニーと言われる金剛組は、決して世界を席巻するような超巨大企業になったことはありません。また、その社史を見ても、一般的に成長を遂げてきたとは評価されないでしょう。しかし、千年を超える長寿カンパニーなのです。

今、何をすべきかを考えるとき、人は現状を“評価”します。そして、その“評価”を疑うことをしません。誰かが決めた星座が見つからないと嘆くのではなく、満点の星空から何かを感じるとることが必要なのだと思います。「枯れ木に花咲くより、生木に花咲くを驚け」(三浦梅園・江戸時代の思想家)の言葉のごとく、あるがままを見つめることが大切なのでしょう。論理に基づく思考は、機械論的に物事を一対一対応として捉えます。しかし、現実に起こっていることは、決してそのようにはなっていません。ゴチャゴチャしたものを整理すれば、わかりやすくなります。しかし、わかりやすくすればするほど、「見ない」「考えない」ものを増やすことになり、結果的に現状からかけ離れていくものです。

例えばレジリエンスとは、欠損しているという状態を元に戻すのではなく、欠損しているという状態で新たなバランスを立ち上げることでしょう。だからレジリエンスは「回復力」と訳され、物事の可塑性を表すのだと思います。“復興”を“元に戻す”と捉えれば、おそらくは永遠に“復興”されないでしょう。しかし、新しいバランスを獲得しようとすれば、直ぐにも立ち上がれるのです。

成長とは、壊すことによって再生させることだと思います。換言すれば、壊れることを恐れるがゆえにレジリエンスが失われるとも言え、だから、生命力が落ちるのではないでしょうか。そうであるなら、壊されたものを、また設計図通りに直そうとすることは、自然に反する、辛い行為となるでしょう。必要なことは、新たに構築することです。したがって、どのように構築するかよりも、どのように壊すかの方が重要となります。ただし、これは効率を求めるものではありません。再構築を前提に破壊するのですが、決して再構築されるべきものが予定調和的に存在するわけではないのです。なぜなら、予定調和的な破壊は破壊ではなく、単なる作り替えに過ぎないものだからです。

偶発的あるいは日常的破壊に対し、その都度、感性に従って行動することが、おそらくは成長という名のレジリエンスにつながるのだと思います。

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