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脳科学のように理解していく組織開発

「学習する組織」とは、継続的に学び、成長することを重視する文化を持つ組織のことを指すと、ピーター・センゲが提唱したものです。具体的には、組織の共通目標を持ち(共有ビジョン)、それに向かって、固定概念に縛られず柔軟に対応しながら(メンタルモデル)、個々のメンバーが自己の能力を高め続け(自己マスタリー)、さらに互いが学び合ったり知識を共有したりすること(チーム学習)で、組織全体のシステムを理解し、全体的な視点で問題を解決しようとする(システム思考)組織のことのようです。
ここから、「学習する組織」の目指す方向性には、特段の目新しさはないのですが、「具体的にどうするか?」、あるいは「具体的にどのように考えるか?」については、新しい視点を加えたように思います。そしてその本質は、脳科学的な理解にあるように思います。
人の思考や行動は、脳内の各部位の反応によって起こります。未解決の部分も多いのですが、それぞれの部位に役割があり、それが関連付けられて思考や行動が生まれていることはわかっています。とくに、一見、関係なさそうな部位が連動したり、相反する働きに同じ部位がかかわっていたりと、その構造は組織における“人”とよく似ています。
例えば、物事を簡単に理解するために、1対1対応の状態を想定することがよくあります。確かに、全体を俯瞰する場合は一定の効果がありますが、それしかないとみなすことは、実体にそぐわないでしょう。にもかかわらず、そのような固定観念を前提にした議論あるいは思考に陥ってしまうのが組織であるとも言えます。「科学的に〇〇だ」という“証明”が、のちの時代になって否定されることはよくありますが、「今の情報で」証明しなければならないのですから、これも致し方のないことかもしれません。おそらく、組織もまた、科学と同じような宿命を背負っているのでしょう。
しかし、「〇〇は、××だ」という1対1対応は、仮定を置くということです。換言すれば、事実を記号化するということです。例えば、「0(ゼロ)」は、数学的には、数えられていないものが無限に存在することを表していますが、実体としては、数ではなく、情報を整理する記号として、古代マヤ文明の時代から存在しています(「44」と「404」を区別するゼロ)。したがって、記号としてのゼロがゼロであるという1対1対応に囚われている人が、数学的理解を手に入れることは難しいでしょう。記号化された仮定は事実ではなく、したがって、そこに固定観念をもった思考や議論は、なおさら実体から乖離していくと考えられるからです。
おそらく、このようなワナに陥るのと、ネズミもゴキブリもいないような部屋で生命の多様性を語る陳腐さは、同種のもののように思えます。すなわち、経験を経験として丸ごと引き受けず、わかりやすいカタチに再構成してわかった気になることは、危険な振る舞いでさえあるように思えます。
「学習する組織」が、組織が継続的に学び続け、成長し続ける姿を現すのであるとしたら、それは全く異なる複数の旋律を奏でるポリフォニーのように、「なぜだかわからないが、美しく1つにまとまっている」組織であり続けることなのかもしれません。

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